言語学を調べたら、必要十分条件が理解できないひとの考えがわかったかもしれない。

大人になって第二言語の習得は難しいという話を聞いたことがあるだろう。
しかし、赤ちゃんが第一言語(以下母語)習得を楽にしているのかというとそういうわけではないというお話だ。

みなさんよく考えてほしい。赤ちゃんは何も知らずに生まれてくる。
まずコミュニケーションという存在を知らずに生まれてくるのだ。
これはかなりリスクが高い。
人間の赤ちゃんは歩くことすらできず、目もほとんど見えていないからだ。
早急に母に何かを訴えなければ、
食事さえできないのだ。

どうにかしたいけど、何もできないから
とりあえず泣くということになる。

そして、そのコミュニケーションに
必要なものは音だと気が付かなければならない。

それも手を叩いたり、周りで聞こえる環境音ではなく、
どうも口から発せられる言葉が大事ということに気がつかないといけない。

これはかなり難しい。
目もあまり見えていないのだから。
音の質や方向性で感じないといけない。

これら一つ一つにつまづいて言語習得をしているということに気がつかなければいけない。
その中で単語を認識するという作業がある。
これが非常に難しい。
例えば、

全く何も知らない状態で
🍌の実物(🍌=実物とする)を見せてバナナという音をずっと聴かせて、

これを覚えたとする。
🍌→バナナだと。

では、🍎、🍌、🍊を並べて、
『バナナ』と言ったら何をとってくると思うだろうか?
答えは、

何も選ばない

だ。
いやいや🍌だろと思ったあなた!
頭が固いです。

🍌→バナナというのは必要条件であり、
必要十分条件ではないからだ。

どういうことかというと全く知らない単語が名詞であるというのは
思い込みなのだ。
みなさんは🍌がバナナということを知っているからバナナと言われれば、
🍌をとると思ったのだ。

🍌→バナナはバナナという言葉が黄色の意味かもしれないし、
美味しいかもしれないし、好きかもしれないし、バナナかもしれないし、
このバナナだけの固有名詞かもしれないし、もっと細かい品種かもしれないのだ。

🍌→バナナだけの内容からは特定できないというのが正解なのだ。

必要条件というのは→の方向だけ成り立つということなのだ。
🍌→バナナ
バナナだと分かりにくいので違う例を出してみよう
🍌→果物
これは成立する。
しかし
果物→🍌
これは成立しないということはお分かりいただけるだろうか?
果物は他にもあるからだ。
これが必要条件だ。

ちなみに
これが逆方向で成り立つのが十分条件だ。
必要条件と十分条件は別物で、それが両方成り立つものは
必要十分条件という。

🍌⇄バナナみたいなことが必要十分条件だ。

ただ、どうもヒトという生き物はこういった単語を
名詞とする傾向が強いようだという実験結果がある。

そうすることによって、
単語を覚えやすくしているようだ。

本来単語を厳密に覚えるとするならば、
他の全てを否定しないといけないのだが、
そんなことをいちいちしていられないからだ。

しかし、これには意外な落とし穴がある。

前後即因果の誤謬

だ。
難しい表現だが、簡単にいうと
直前にあったことに因果関係があると思ってしまうという
間違った思い込みのことだ。

よくない間違いであった例としては
子宮頸がんワクチンを打ったら特定の時間になると痙攣するような発作が起きるという副作用があるというものだ。

メディアがおもしろおかしく持ち上げたのが原因だ。

実際は特定に時間になると痙攣発作が起きるような病気というのは、
ワクチンを打つ打たない関係なく起きる可能性がある。

もし、副作用として出さないといけないとなると、
ワクチンを打っていないひととワクチンを打ったひとで、
この病気の出る確率に有意差が出ないといけない。

これが統計で有意差が出なかったのだ。
しかも、特定の時間になると痙攣が起きる女性を時計のない部屋に
おくとどうなるのかという実験で、
痙攣が起きなかったという実験結果もある。

つまり、精神疾患の違う病気だったのだ。
病気がないとかそういうわけではない。
あるのだが関係なかったのだ。

ただ、直前に子宮頸がんワクチンを打ったせいで、
それと関係があると間違った思い込みをしてしまったということだ。

これを前後即因果の誤謬という。

ヒトという動物は言葉というコミュニケーションを得るために、
単語を覚える必要があり、それを可能にするために
バイアスを持って生まれたのだ。

その結果、必要十分条件の理解が難しくなり、
前後即因果の誤謬が起きやすくなるということが起きているということだ。

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