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はたらく現場

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喪に関わるひとたち編(霊柩車の工場の職人さん、墓じまいを任される石屋さん、ホテルマンのように自宅のお葬式を取り仕切るひと、若い女性納棺師さん、きびきび祭壇の花を飾るひと、、、)
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#インタビュー

『芝浦屠場千夜一夜』の山脇史子さんに聞きました(インタビュー田原町01)

「そうそう。ケガの多い職場なだけに、いつもみんな何かあったら飛びだせるような身体の態勢が出来ていて、すごく安心感がありました。あの場所がもっている大きな歴史があって、闘っていた歴史もあるし。だから魅力も大きいんですよね。それこそあの場にいることの魅力は、ライターの仕事よりも面白かったりしたんですよね」(山脇史子さん) インタビュー田原町01 30年を経てかつて働いた居場所『芝浦屠場千夜一夜』を書かれた山脇史子さんに聞きました。 浅草・田原町のReadin’Writin’

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インタビュー田原町08 『大川総裁の福祉論!』の大川豊さんに聞きました

2/10㈯ 浅草・Readin’Writin’ BOOK STOREにて 「インタビュー田原町08」 『大川総裁の福祉論! 知的障がい者と“食う寝るところ、住むところ”』(旬報社)を書かれた大川豊さん(大川興業総裁)をゲストに、福祉の現場取材の様子をお聞きしました。 2時間のダイジェスト記録です。 2/10㈯の「インタビュー田原町08」のゲストは、お笑い集団「大川興業」総裁の大川豊さん。 車椅子のお笑い芸人・ホーキング青山さんをデビューさせたり、完全な暗闇の中で行われる舞

屠場で働いた女性ライターが書いた私的ノンフィクション『芝浦屠場千夜一夜』。田原町のリーディンライティン ブックストアで著者インタビューを行います。

田原町にある本屋さん 「Readin'Writin' BOOKSTORE」(リーディンライティン ブックストア)で、 『芝浦屠場千夜一夜』(青月社)を書かれた山脇史子さんをお招きして、公開インタビューをします。 【芝浦の屠畜解体現場を見学した後、「一週間ほど働かせてもらいたい」と、意思表示をしてから、実現までに三か月ほど時間がかかった。作業現場には女性がほとんどいない。東京都職員である解体作業担当は、当時全員男性。内臓処理業者の作業場には、数人女性がいたが、経営者の家族親類

『ケアを紡いで』のカメラマンのはなし

テロップのないことが新鮮なドキュメンタリー語り手☘️田中圭さん 聞き手🌙朝山実(写真撮影も) カメラマンではあるが、田中さんはジブンが専門職だ、という意識がつよくあるわけでもない、らしい。 なんで? 「カメラがよかったねえ」 と、最新作『ケアを紡いで』(大宮浩一監督)の評判は高く、監督の大宮さん(『夜間もやっている保育園』など)は取材を受けるたび、カメラのことをイイね、イイねと言われるものだから、もうスネてしまっているという(といっても監督自身が見込んだ選択眼の正しさを確認

全員爆笑でまったくの新人監督の映画『日本原』の配給を決めた、彼らの理由

「日本一」の低温殺菌牛乳を生産するある牛飼い農家の一年を追ったドキュメンタリー映画『日本原 牛と人の大地』(黒部俊介監督)が9月17日より東京・ポレポレ東中野、大阪・第七藝術劇場での公開がはじまった。 夏のある日、届いた試写の案内葉書にこんな言葉が書いてあった。 〈父が牛飼いになって、もうすぐ50年になります。牛飼いになる前、父は医学部の医学生でした。〉 日本原という場所には一度も行ったことはないが、学生時代からの友人がよく行っていたところだったのと、医者を志した若者が

ヒロさんが仕掛けたワナ

【10000字インタビュー】 ぼくが『テレビで会えない芸人』のプロデューサーを引き受けたわけ 語り手=阿武野勝彦さん(東海テレビ・プロデューサー) 聞き手🌙朝山実 カラー写真=©️2021 鹿児島テレビ放送 『テレビで会えない芸人』より 東海テレビの阿武野さんは、ときおり、ひねったもの言いをする。ご実家がお寺さんで、父親に連れられて檀家まわりなんかもしたというから幼少期に身についたものかもしれないが。一休さんみたいだ。 プロデューサーを引き受けた、2022年

ICUのひとびと

(前回からのつづき) 入院の際にはスマホの充電器は忘れずに ICU滞在は5泊6日だった(急性心筋梗塞で治療を受けました)。3日目くらいに副師長のウチダさんから「そろそろ出来ることは自分でやってもらいますから」と言われる。看護師さんからも「一般病棟に移られた患者さんから、なんか放っておかれたような気持ちになるという話は聞きますね」とも。 いくつか闘病記を読んだりもしてきたから想像はできるんだけど、実際ICUから一般病棟に移った二日間ほどは、ああ、とタメ息。ICUに戻りたい

【雑談ですけど】 『さよならテレビ』の阿武野勝彦さんに、ききました。

「親父は、これが給料袋かと言って仏壇にあげたんです」 『さよならテレビ』(平凡社新書)を書いた阿武野勝彦さんは、東海テレビのプロデューサーで、「人生フルーツ」「ヤクザと憲法」「さよならテレビ」などのドキュメンタリー番組を手がけ、名古屋のローカル局ながら全国展開の劇場映画シリーズ「東海テレビドキュメンタリー劇場」に取り組んできたひと。 岩波書店から番組スタッフとの共著などはあるが、単著はこれが初となる。映画版以外のテレビ放映作品についても綴られていて「阿武野勝彦全仕事」の印

ぼくは2.5者だと考えています。

絶賛上映中「きみが死んだあとで」(代島治彦監督)👉映画に登場する14人のその後の物語をまとめた本『きみが死んだあとで』が晶文社より発売 撮影カメラマンに話をききました【「きみが死んだあとで」backstoryI】 https://www.shobunsha.co.jp/?p=6587 語り手=加藤孝信さん 聞き手🌙写真撮影=朝山実 ©️きみが死んだあとで製作委員会 ▲予告編の動画を見ることができます  加藤さんを見かけた最初は、前作の「三里

特殊なクルマを作っている工場を訪ねました⑷

霊柩車づくりから 何気にやる気を起こさせる 「8割ほめ」の極意を学ばせてもらいました 写真©山本倫子  中古車を改造して「霊柩車」を作りだしている工場の見学ルポの最終回。茨城県にある工場を再訪問しました。  再び訪れることにしたのは、前回は日曜日で工員さんたちがお休みで、作業風景を撮影できなかったから。前回のときに見た小型バスの改造作業の進捗を見ておこうと思ったからです。

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特殊なクルマを作っている工場を訪ねました(3)

転職して始めた、霊柩車販売業 社長の前職は…… 写真©山本倫子  中古車を改造して霊柩車を製作販売している工場の見学ルポの3回目。引きつづき、ライフサポート・エイワの寺山和夫さんに話をうかがいます。  寺山さんは40代になってから霊柩車の販売に関わりはじめたそうです。 「もともとは歯科技工士で、入れ歯だとかインプラントの白い歯を作っていました」  寺山さんは昭和33年生まれ。22歳で歯科技工士となり、歯科医院勤務を経て自宅に仕事部屋をつくり、歯科医さんから注文を受

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特殊なクルマを作っている工場を訪ねました⑵

霊柩車は どうやって作られているの?  霊柩車は、トヨタとかイスズといった自動車会社が特注で作っているわけではなく、町工場が買い入れた新車や中古車を霊柩車仕様に改造して販売しているというところまでが前回のルポでかわったことです。  前回につづき、ライフサポート・エイワの寺山さんに話をうかがいました。  仕入れた中古車を補修し、普通に乗車できる段階にまで仕上げてから霊柩車へと改造していくのが工場での流れなのだと教えてもらいましたが、「霊柩車にしなくていいから、そのまま売って

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特殊なクルマを作っている工場を訪ねました(1)

「自分が手がけたものは、 見たらわかります」 写真©山本倫子 「基本は一台一台、イチからの作業なんですよね。だから、クルマを前にして、さぁ、どうしようかというところから入ります」  細身でがっちり体格の岩堀さんは、工場で「設計」担当をしている。作業中の車両の前で話してもらったが、すこし話を聞いただけでもクルマ好きが伝わってくる。ところでココではちょっと変わった自動車がつくられている。 「たとえば、作業の前にたまたまキャンピングカーの雑誌なんか見ていたとしたらイメージが

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『トラックドライバーにも言わせて』の橋本愛喜さんに会いにいく

 いまは対面取材が難しくなっているが、まだコロナが深刻ではなかった日、神奈川県内の小田急線の駅の改札口で待ち合わせた。駅前のチェーン店のカフェに腰を落ち着けると、橋本さんは鞄からノートを取り出し広げた。質問に困らないためのものだという。  そのノートには、びっしりと文字が埋まっている。「取材をするひとなんだぁ、それも熱心に」が第一印象だった。ノンフィクションライターのひとにもたくさんインタビューしてきたが、ノートを準備してきたひとは30年ちかい中でも彼女がはじめだった(過去に