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城崎温泉に行きたい

――いつかはそうなる。

―――それがいつか?


学生の時分に文豪「志賀直哉」著の『城の崎にて』を読んだ。
死生観、を取り扱った作品であった。
妙に惹きこまれたと記憶している。

文豪、志賀直哉。
「小説の神様」と称される作家である。
無駄を省いた文章が高い評価を得ている、と作家紹介で読んだ。
文章表現力に乏しい私からみて、何が無駄か、はわからない。
そういった文章を書きたいと思う分には、私の心に響いたのだ。

「城の崎にて」は志賀直哉が実際に事故に遭い、城崎温泉に滞在したエピソードを元にしている。とか。

以下、ゆるふわ虚覚え(うろおぼえ。当て字)あらすじ紹介。

相当失礼なあらすじなので、

正しいストーリーは本を買って読んでね☆

電車にはねられ重傷を負った主人公。
療養で城崎温泉(関西の方)へきた。
なーんか宿でやることない。
ふと旅館の謎スペースから外を見たらハチが死んでた。
周りのハチは気にも留めない。
孤独やな、虚しいな的なサムシングを感じた。

何となく散歩してた。
川でおぼれてるネズミがいた。
橋の上からガキンチョがネズミに石を投げてた。
ネズミは一生懸命に溺れないよう、そして、石を避けようとしていた。
見るの辛ぇな、って思った。
やっぱ死ぬってやだな、って思った。

なんかイモリもいた気がするけど覚えていない。

総じて、生きるのは大変だけど、死ぬのも物寂しいな、と思った。

(申し訳なさ過ぎて出典を書けない)

ああ~~~ 大変失礼な気がする!(ごめんなさい志賀先生)


閑話休題。


なんとなく学校を卒業して
なんとなく就職して
なんとなく結婚して
なんとなく死んでいくのだと思っていた。


何となく生きてるのは変わらないけども。

「死生観」を強烈に意識することなんて、
こないもんだと思っていた。

よく
「死ぬような目に遭うと人生観が変わる」
だとか、
「死ぬ気になれば何でもできる」
なんていわれるけれど、
自分にはどうも当てはまらなかったようで。

特別優秀な学生でも、
デキる社員でもなかったけれども、
それなりに精一杯生きて、
出世もまぁまぁいいペースで、
相変わらず目の前のことに精一杯だったところで、
突然に目の前が真っ暗(比喩)になる。

「一生いっしょにいてくれや」
昔そんな歌が流行った。
愛する人と添い遂げる歌。
私と一生添い遂げようとするのは病魔という。
病魔は突然の風のようにやってきた。

”そういえば、キミ、やつれてるなとは思ってた。”
自分は筋トレの効果だと、当初は思っていた。
ある日のジムで、少し走っただけで尋常じゃないほど苦しくなった。
夜眠れないほどの口渇感。
数か月のことだった。
劇症型の病気であった。
原因はわからない。
直ちに死ぬことはない。
騙し騙し生きていくしかない。
人生是ロスタイムである。


キミといてもう何年経つかな。
ふふ、いまだにキミのことがわからないよ。
的なメルヘンカップルのようなことを思いつつ。
今日もなんとなく生きている。


いつかはそうなる。

それがいつか。


城崎温泉にいつか行きたい。



※この記事は一部フィクションです。
 実際の人物・団体とは関係あったりなかったりします。

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