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変わっていくものと 変わらないもの


気づけばnoteを更新しなくなって2年が経っていた。

この2年、いろんなことがあった
悲しいことも、嬉しいこともたくさんあった

それは私にとってだけではなく、私の周りや
みなさんにとってもそうであっただろう


先日12年ぶりにあるアーティストのライブへ行った
一緒に行く人が急遽来れなくなったからと言って誘われたライブだった

そのアーティストの曲は、いわゆる王道のバラードや、聴いている人たちを勇気づける曲が多い
当時は相当ハマって聴いていたけど、正直もうだいぶ聴いていなかった
それは私生活が忙しくなったり、ほかの音楽に触れるようになったり、様々な理由があるのだけど
いちばんの理由は曲に「共感できなくなっていた」ということだと気づいた。

当時学生だったわたしは、曲を純粋に受け止め、共感できていた
そこからの12年という月日の中は、そんな「元気を出して」ばかりの言葉や音楽では元気になれない日も多かったのかもしれない。
素直に受け取れず、「綺麗ごと」だと受け流すことも多くなり、避けたこともある。

これ自体が悲しいことだとは思わない。こんな風に客観的な視点で自分をみれたことは、新鮮だった。
もうすでに十分な大人なはずなのに、「大人になったなー」と思いながら会場へと向かった


そしてライブが始まった。
新曲は行きの車の中でしか聴いていなかったから、そもそもついていけるか不安だった。

でも、始まってすぐ、そんなことは関係ないと気づかされた。
久々に聴く透き通った歌声、生の演奏、心打たれる歌詞たち
わたしはそのすべてに圧倒されつつも、感動していた。

本当に泣きそうだった
ライブでこんな感情になったのは初めてだった。
特に3曲目の曲は、天国へ旅立ったあの子が、私に向けて言っていくれているかのような錯覚を覚えた。

この12年、いやもっと前の
あの子との出会いは、ちょうどこのアーティストがデビューした時期でもあった。わたしはメールアドレスにあの子の誕生日とアーティストの頭文字を入れているくらい、大好きだった。

それから長い間あの子は命を燃やし、そして尽きてしまった。
アーティストのメンバーもひとり、やめてしまった。
何十年という時の重さを感じた。
状況が変わって当然だけど、変わってしまったんだなあとしみじみ。

でもそれはこの会場に来ているみんながそうなんだなと思った。
ひとりひとりが真剣に曲を聴いて、感動したり、嬉しそうにしてたりしている
そんな空間だった。
一人一人の別の人生を歩んでいるけど、この瞬間は共有しているという一体感があって よかった。


もちろん変わらないものもあった。
まず、当時聴いていた曲に対する色褪せない感情
自分でもびっくりするくらい、歌詞を覚えていて、気づけばまあまあおっきい声で歌ってしまっていた。笑

アーティストの人たちの歌に対する姿勢も変わらず、みている人を楽しませる天才で
やっぱり最高だなと思った。

心の奥底には、自分はもうこういう綺麗な歌詞に感動したり、アーティストの人たちをいいなあと思ったりできないんじゃないかという恐怖があったのかもしれない。
それが変わらぬままであったことが嬉しかった。


少し違うのかもしれないけど、私生活も似ていると思った。

学生のころと、今は違う。
環境も、やりたいことも、やらなければならないことも、周りにいる人たちも、友達も、変わらないものもあるけど少しずつ変わっていく。

例えば人間関係
仲が良かった友達とも結婚・出産などで疎遠になったりすることがよくある。
おめでたい気持ちと、少し寂しい気持ちと、うらやましい気持ちといろんな感情から人と再会したり、反対に会えなくなったりとか、するのだと思う。

しかしそれが寂しいことだと思わない。
とても自然で、なるべくしてなっているとも言える。

疎遠になっても、ふとしたときに繋がったら、昔と何も変わらない安心感があったりもする。
そこにある変わらないものは、もしかしたらずっと変わらずにいてくれたけど気づいていなかっただけなのかもしれない。

今回の体験は
そんな日常に溶け込む変わっていくものと変わらないものを彷彿させた。



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