2023/06/13「ネコの図鑑を買った」

 朝起きて、掃除をして、授業に出て、あちこち散歩をして、帰宅して、絵を書いて、そしたらいつの間にか夜になっていた。生活が一定であることはありがたいことだと思う。新しい生活環境に身を置くと、ストレスでしばらく何もできなくなるような人間なので、こんな感じで惰性で生活できるのはうれしい。一方で、まったく生活に変化がないのもつまらないと感じるので困っている。

 その意味で、私は日記を書くことが好きだ。私にとっての日記は、生活を言葉で区切るためのハサミのような役割をしている。なんでもない日常の1コマを切り取って、それをあらためて言葉にしていく、再帰的な主観の営みだといえる。普段、ぼーっと最小の意識で生活をしているので、日記を書くことによって生活のリズムとその角度が事後的に決められていく感覚がある。客観的には一定の生活に見えたとしても、ハサミの使い方によって生活に変化を加えられるのは心地良い。本当は、エンターキーを押すたびに「ジョキジョキ」と音がなってほしいくらい。


『ときめく猫図鑑』山と渓谷社 

・これは今日、近くのBOOKOFFで買ったネコの図鑑。ネコたちの写真と短いテキストが載っている。ほとんどの写真の背景が白地でネコだけをじっくり眺めることができて良い。日常生活に根ざした動物であるネコが真っ白な背景に写っているのは少し奇妙に思うけど、見慣れれば全く気にならなくなった。ネコたちは柔軟な身体をいっぱいに活かしたかわいらしいポーズを取っている。値段は220円だった、安い。

・古本屋の本にはときどき付箋やメモ用紙が挟まっていることがある。この本にも「①」「③」とだけ書かれた付箋が2枚挟まっていた。一瞬なんのメモだろう?と疑問に思ったが、おそらく前の持ち主が「好きな猫ランキング」あるいは「飼いたい猫ランキング」などの順位を記しておいたものだろう。しかし、どこを探しても「②」の付箋は挟まっていなかった。もしかするとまったく別の意味があるのかもしれない。①と③しかないものってなんだろうとしばらく考えてみたが分からなかった。

・こういう些細な違和感から物語が動いていくミステリはたくさんあるけど、これは多分本当にどうでもいい類の謎だと思う。一方で、こういう出来事を捨て置かずに突きつめていく人間だけがいわゆる物語的な生を送るのだろうという直感もある。なので一度くらいは真剣になっても良いのかもしれない。私はまだ全然中二病の精神を捨てていないので、そういう「何かのきっかけ」を気にしながら生活をしている。でも今日はまだその瞬間(とき)ではない。私の第六感(シックスセンス)がそう告げているのでやめておこう。ふん……命拾いしたな。


・ところで、最近は本や雑誌を買わなくてもインターネットで色んな動物たちの可愛らしい声を聴いたり、動きを見たりすることができる。最高、ありがとう。かわいい動物たちがインターネットにおいて最高善で、ヒエラルキーの頂点に君臨している世界で良かった。

・このことは私にとって有難いことだけど、同時に仄暗い感情をひきおこしている。それは「本当にただ動物だけを眺めたい」という一方的な欲だ。インターネットで動物の写真や動画を見るとき、そこには飼い主の声、家族、リビングなどが大抵同時に映し出される。私がその動物の「かわいさ」自体に惹かれているのは事実だと思う。だけど、同時に動物(ペット)と飼い主という関係や和やかなホームビデオというものに対して「憧れ(嫉妬)」のような感情を抱えており、その感情とごっちゃになって純粋に眺めることができない。

・浅ましい。あらためて言葉にすると自分の浅ましさを目の当たりにするようで嫌だ。動物と人とが幸せに生活しているのは望ましいことだという価値観を持っているにも関わらず、そうした幸せに馴染めないでいる。いや、違うかも。この浅ましさは単にレトリックの問題かもしれない。「ペットの動画に対してどうしようもないアンビバレントな感情を抱えている」とか別の言葉であらわせば格好がつくかもしれない。嘘、もっとダサい。嫉妬をしています、私は!


道半ばで倒れていたヤギ

・地面を眺めて歩いていたら、かわいらしいヤギ(?)のキーホルダーが落ちていた。野ざらしにされたままではたまらないだろうと思い、大学の落とし物届けにあずけた。持ち主が見つかるといいな。


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