2023/06/07「子どもの感想についての感想」

 今日は朝早くに起きることができて機嫌も調子も良かった。朝から野菜をカットして食べたり、歯をシャカシャカといつもより丁寧に磨いたり、気持ちのいい朝をすごした。


・森田伸子『子どもと哲学を――問いから希望へ』という本を読んだ。ざっくりと内容をかい摘んでまとめると次のようになる。

幼少期から青年期にかけて、こどもの問いは存在論的問いから実存的問いへと変化していく。この過程を導きの糸に、子どもにとっての哲学の意義を考えていくと、それは言葉の意味をねばり強く探求する哲学のプロセスそのものにある。

・読み終えた印象としては、哲学の語彙を用いながら切実で率直なこどもの問いが分析されており、実感できる所が多かったというのが第一にある。子どもの問いを扱う手付きがやさしく丁寧で、内容についても「哲学者としての子ども」を描くのではなく、子どもが見る世界を描き、それを単に哲学的に読もうと試みるものだった。


・ところで、本書では子どもの言葉が数多く引用されているのだが、そのなかにこんな文章があった。

「授業参観のあとの職業の話は、とてもためになるよい話だったので、しっかりときいていた。(うそ)」

森田伸子『子どもと哲学を――問いから希望へ』p.128 l.1

・おい、めちゃくちゃいいな……。授業後の感想として提出されたものだと思うが、こういうことは思っていてもなかなかできない。おそらくクラスメイト30人中28人くらいが末尾の「(うそ)」の部分だけを除いた同じような嘘の感想を書いている。この子は本当のことを書いていてかっこいい。

・ところで、先生は「嘘」の感想を山ほど書かれてどう思っているのだろう。先生たちはこれまで子どもの感想を数え切れないほど読んでいるはずだ。なので「またこのパターンの嘘の感想か……もう少しきちんと書いてほしいんだけどな」とかそういう悩みがあるかもしれない。大変だ。なので、この子のように本当のことを書いてくれると先生は意外と「おっ」となってうれしいのかもしれない。

・もしもの話だが、この子のような本当のことを書いた感想すらも、パターン化されたいつもの感想や態度としてしか捉えない先生がいたら、それは悲しいことだと思う。「また馬鹿なおふざけしやがって」とかそういうふうに笑ってあげるのも大事だが、その裏に「自分にとって本当のことがわからない」といった子どもの真剣な悩みが隠れていることがある。それとなくでもいいから「授業を聞いて自分で何か考えることができればそれで十分だ」という旨を伝えられれば、少なくとも「(うそ)」を語尾に付けないで、ほんとうの感想を書けるようになると思った。でも難しいよね……。

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