2023/06/10「シャケが街を襲う非日常」

・今日は食料を調達するためにスーパーマーケットへ行った。スーパーはとても便利だし、精神的にもなんだか安心する。知らない人々の暮らしの交点だからかもしれない。

・たとえば、旅行先のスーパーで買い物をするときは、陳列されている商品の傾向や店内のBGM、アナウンス、チラシやポップのデザイン、客層などからその土地での生活を想像することができる。以前、立ち寄った高知県のスーパー(サニーマートだった気がする)では、大きなカゴに10種類くらいのカップラーメンが大量にぶち込まれていた。大雑把な陳列だが、私は昔からごちゃごちゃの中から何かを探すのが好きなのでうれしい気持ちになった。駄菓子屋の景品コーナーで「あー、ここの棚から好きなやつ探して持ってって!」と言われて、ゴソゴソするときの、あのワクワク感に近いかもしれない。この雑さをそのまま放っておける暮らしはかなり好きだ。


・スーパーでは食材が利用可能なかたちで加工・陳列され、知らない人たちがその前に立ち止まって吟味する。その人たちが何を考えているのかはさっぱり分からないが、眺めている対象は同じなので、そのまなざしがどんなものなのかつい気にしてしまう。そうしているうちに視界の端に手が伸ばされると、なんとなくそれを目で追って取られた商品を確認する。そんな癖が私にはある。

「この人はどうしてこの食材を選んだのだろうか?安いから?健康に良いから?単純に好きだから?それとも?」

・そんなことを考えているとなんだか安心してくる。なぜ安心するのかは分からない。あえて言葉にするなら「街という共同体意識をそこに重ね合わせて見ているから」かもしれない。みんなスーパーで購入した食料を消費して生活している、同じ街暮らしのプレイヤーなんだな、みたいな感じ。わりと都市部に住んでいるので街という共同体には中身がほとんど無いけど、地元が田舎なのでそういう視点をずっと引きずっているのだと思う。


 わたし(たち)の限界だ……。

・ところで、今日は「シャケが街を襲う日」だった。おびただしいほどのシャケたちが潮位変動によって陸世界に遡上し、イカ・タコ文明を脅かす日、そう「ビッグラン」開催の日である。お祭りだー!

・これがめちゃ楽しい……。ビッグラン専用のステージに押し寄せるシャケの大群を4人で連携しながら効率よく倒していく。ただこれだけで楽しいのに今回からオカシラシャケ(ボスのようなもの)の撃破報酬アイテム「ウロコ」の数が2倍になった。めちゃ(×2)楽しい……。

・このはちゃめちゃな楽しさを文字で記述するのは難しいので、方向性を変えて「ビッグラン」についての考察(全く資料を参照していないので、ほぼ妄想)をしようと思う。

・ビッグランの構図は一見すると「イカ・タコ」vs「シャケ」の敵対関係である。「街がシャケに襲われるからみんなで守ろう」という単純な被害/加害構造を線として引くことができる。現にイカ・タコたちが暮らしている街がシャケたちに襲われているので、この見取り図は一定の正しさを持っているといえるだろう。しかし、ここで注意しなければならないのは、シャケたちの遡上はあくまで潮位変動によって引き起こされた自然現象であるという点である。もちろん、潮位変動という機に乗じての計画的な戦線という可能性もあるが、もしかするとシャケたちはそもそも襲撃しようという意図を持っていない(いなかった?)のではないだろうか。

・そうだとすると、ここで問題となるのは、ただの自然現象が持続的な争い(ビッグラン)へとつながったのはどうしてなのか、という点である。これに対する応答としてはいくつか考えられるが、もっとも適当なのは、おそらくクマサン商会の「シャケの大群から街を守れ」というフレーミングによって引き起こされた争いであるとする考えだろう。潮位変動がおさまればシャケたちは自然と退いていくと考えられるにもかかわらず、クマサン商会のフレーミングによって仮想的な「加害‐被害構造」が生じたのである。「ぼんやりしてるとシャケに襲われるぞ!」といった扇情により、イカ・タコ達は争いを選択せざるを得なくなった。そうして動き出した争いのサイクルは止まることなく、争いを正当化・道具化するために「お祭り」としての意味を付与していったと考えられる。

・その「お祭り」としての意味を考えるには、この争いを「世界の側によって決められた争い」として捉える視点が必要になる。「陸上」に街を築いて定住することを選んだイカ・タコたちは、必然的に「海」からの敵の襲撃(本来は自然現象なのだが)を受けることになった。その襲撃というリスクは、本来陸地での定住という”彼らの”選択によってもたらされたものである。しかし、彼らはそれを「世界の側によって決められた争い(自ら選択していないもの)」と見なすことで、儀式(お祭り)として捉えることに成功しているのである。

・そしてその儀式は、陸での定住という彼らの選択によってもたらされるリスク、そして不安や恐怖を、世界によって課された「試練」として読み替えるものとして機能していると考えられる。そもそも不安の種であったサケの遡上を、共通の乗り越えるべき試練として読み替えることで、彼らの陸上生活における不安や恐怖を「みんなで乗り越えるぞ」という集団高揚をもたらすものへと転換する。そして、集団の凝集性を高めるものへと変化させているのである。このように考えると、ビッグランはイカ・タコたちの立派な生存戦略だといえる。

・しかし、ビッグランが自然現象によって引き起こされた必要のない争いだとすれば、シャケたちを殺す必要はない。イカ・タコたちは無用の争いに儀式としての意味を付与し、集団アイデンティティの再生産をしていることになる。したがって、この争いは空疎な回転でしかありえない。

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