日の当たる彼女たちに夜空の星を。
日向坂46デビュー三周年を記念して作られた「日向坂46 3年目のデビュー」を見てきました。
ネタバレというよりも、私視点から書き直した3年目のデビューです。
ご高覧くださいませ。
ただ、長いです。かなり。
疲れたら最後の章だけでも読んでほしいです。感想は割とそこに詰め込んでおきました。
それでは。
1. 小さな欅の木
長濱ねるをアイドル界になんとしても登場させるために作られた足元なきグループ。欅坂46のアンダーグループ「的」位置づけ。
けやき坂46。
「大人への反抗」という大命題を与えられた欅坂46。
コンセプトを持ち、真っすぐにその道を歩み始めた彼女らはさながら美しく整えられた並木のように堂々とし、一種のプライドと信念を持って立ち続けた。
一方でけやき坂46は対照的に、なにもない丘のような場所に女の子が一本だけ植えた小さな苗木の欅を全員で育てていくように言われたグループだった。
水のやり方も、肥料の与え方もわからない。
少し方法を間違えてしまえばすぐに枯れてしまう。弱弱しい欅の小木。
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偶然零れ落ちるようにして生まれたこのグループはコンセプトの模索から始まっている。
「君たちは、エンターテイナーになるんだ。」
無責任に投げられた大人の発言を今の日向坂46は笑う。
私はただ、この言葉は実はずっと彼女たちの中に響いていたからこそ何年経っても出てくるものなのではないかと思った。
事実、日向坂で会いましょうというバラエティ番組でも一度取り上げられたほか、今回の映画でも長濱ねるが初期を思い起こし、日向坂46に投げかけたのもこの言葉だった。
迷走しつつも、各個人が一芸を身に付けていくことを求められたけやき坂46は自分の好きなもの、得意なこと、特異なことを絞り出し始める。
坂道グループの一員でありながら、他のグループほど注目度が高くなかった彼女たちだからこそ失敗も含めながらチャレンジングにかつ、アグレッシブに行っていった。
それは各個人だけに留まらずけやき坂46というグループにおいても言えることであった。「けやき坂46」として芸を身に付ける。言うなれば「一言で表せる」グループへと駆け上がるために、多様な武器をまずは手に取る必要があった。
ライブパフォーマンス、MC、握手会での呼びかけ、数少ないテレビ出演への意気込み。けやき坂46をピックアップしたKEYABINGO3では「命を懸けて、この番組をやります。」と宣言した。
ここで手にした武器たちと目標である「エンターテイナーになること」は3年目のデビューを迎えるにあたって大きな意味合いを持つ。次の章でそれについては語りたいと思う。
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佐々木久美は映画序盤、けやき坂46を語るのに「みんなが十分魅力的なのは知っていたから、それをどう皆さんに知ってもらうか。」と言っている。
既に各個人に一芸を身に付けるだけの能力があり、魅力があることを見抜いていた最年長だからこそ言える言葉なのだろうと思う。
けやき坂46を全身で信じることができた佐々木久美という人間がいたからこそ、丘の上の小さな欅の木は枯れなかった。そう今なら言い切れる。
2. エンターテインメント
<エンターテインメント / Entertainment>
人々を楽しませる娯楽を指す。楽しみ、気分転換、気晴らし、遊び、息抜き、レジャーなどが類語とされる。(wikipediaより)
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二期生が先に加入したのは本体の欅坂46ではなく、けやき坂46だった。
本映画では省略されていたが、前日譚にあたる「46分の予告編」では重くこの出来事は語られる。
本体よりも先に新メンバーを加入させる。それは即ち、12人のけやき坂46では持たない。つまりそれは。
「用済み…?」
一期生の頭の中には浮かんでいたのではないだろうか。
その不安は解消されることにはなる。
けやき坂46を思ってのことだ、とスタッフの必死の説得と説明によって渋々納得する一期生。
他でもないけやき坂46一期生だからこそ、応援するために、11人を更に強くするために人数を増やすのだと告げる。
実際に集まってきたメンバーは多彩であどけない9人の少女たちだった。
後に日向坂46のセンターになる小坂菜緒のブログにこんな一節がある。
私は、大阪公演と名古屋公演をライブビューイングで拝見していました。
大阪公演はオーディション前、名古屋公演はオーディション期間中でした。私は初めて、大阪公演で歌って踊ってるけやき坂46を見て、かっこよすぎて、感動して涙が出てきました。
その時に、同じステージに立ちたい。けやき坂46になりたい。と強く思い、オーディションを受けることを決意しました。
オーディション期間中でしたが、名古屋公演を見に行ったのは、またキラキラしたけやき坂46を見れば頑張れるかもしれない。気持ちがもっともっと強くなるかもしれない!と思い、見に行きました。
そして、オーディションに合格して、今けやき坂46として活動しています。
私の人生を変えたと言ってもおかしくないです。
けやき坂46は私の憧れの場所になっていました。
12人で作り上げてきたこの素敵な舞台に、立つことが出来て本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。
…(中略)…
私は、けやき坂46に入って後悔してないです。
後悔する予定もありません。
私はけやき坂46が大好きです。
これからもっともーっと努力して、20人で頑張りたいです!
小坂菜緒ブログ 2017年12月21日 "緑の景色" より
同じく二期生の富田鈴花も実際にライブ会場に行き、エンターテインメントを目撃している。
けやき坂46というグループがエンターテインメントを求められた結果、それに憧れて入ってきた少女たちがいた。
それは一年目、手に取ってみた武器。ライブパフォーマンスとライブアクトによるものであった。
二期生の加入によって推進力を得たけやき坂46は徐々に「独自の坂道」としての自覚を持ち始める。
転機としての2018年初頭、武道館ライブ3daysを完走したけやき坂46はもう一つのキーポイントを迎える。
「ひらがな推し」である。
本映画はTBS主導のため、扱いは小さかったがテレビ東京「ひらがな推し」というバラエティ番組は外すことはできない。
(影響力故にTBS制作ながらも一部流されることになったのであろう。)
ワンクールでの放送が主流の日テレBINGOシリーズに比較し、地に足が付き週に一度必ず放送されることは大きな意味を持つ。
・週一回放送され、偶然見る層がいることで安定してファンが獲得できる。
・(違法ではあるが)アーカイヴ化がされており、過去を遡ることができる。
・MCとの新たな関係性が構築できる。
特に三点目は坂道の原点、乃木坂46がアイドルファンと異なる人種を取り込むことに成功した最大の理由である。
バナナマンの大ブレイク前夜、乃木坂46がデビューする直前から見守っていた関係から自身の持つ巨大ファンファームのラジオ番組バナナムーンGOLDで「公式お兄ちゃん」を自称。
熱狂的なファンを多く抱える稀代のコント師バナナマンが最も自由に動き回る番組として「乃木坂って、どこ?」は注目され始め、ラジオリスナーやバナナマンファンとアイドルが邂逅することになる。
けやき坂46が出会ったのは、8年間鳴かず飛ばずで2008年のM-1で人生をひっくり返したオードリーだった。
売れ始めて10年間経つオードリーは漫才師としての腕は当然ながら、10年に及ぶバケモノラジオ番組を担当するオールナイトニッポンきっての名パーソナリティでもあった。
若手から一歩抜け出したオードリーにはラジオをハードに聞くリトルトゥースや熱心に若林、春日を追いかけるファンがいて、かつライトなファン層も分厚く存在していた。
彼らは全国区でも抜群の知名度を誇る言うなれば「超大物」であった。(井口眞緒談)
ひらがな推し初期は仕事として、という感じの強かったオードリーであったが徐々にけやき坂46に惹かれていく様子がうかがえる。
私は自分が元からバナナマンファンからスタートし、乃木坂46ファンとなり、けやき坂46へ段々と惹かれていったので、オードリーの変化していく様子に自分を重ねていた。
しかし、オードリーはそれ以上に「メンバーたちと自分たち」を重ねているようにも思う。
売れない時期から始まり、一つの爆発的な転機を待つけやき坂46。
若林が現在のズレ漫才の原型を完成させた時に誰かに見られたらまずいとノートを隠し持ちながら春日を呼びつけたあの時と似ている状況のように私には思えた。
「どの仕事にも全力なんだよね。」「雑草魂というか。」「品がある。」
オードリーは短いながらも今回の映画に出演し、コメントを残す。
これはオードリー自身が自らを形容しているようにも思う。
春日俊彰は「死ぬこと以外はNGなし」芸人であり、水泳・ボディビル・K-1・エアロビクス他様々なジャンルで成績を残す超人。
若林正恭は設楽からある番組で「品のある人間」として呼ばれ、バラエティからクイズまでこなすカメレオンMCの異名も持つ。芸術への造詣も深く、岡本太郎に精通しラップの技術もCreepy Nutsも認めるほどである。
オードリーは漫才を始め様々な武器を持つ、正に「エンターテイナー」だったのである。
けやき坂46が当初ライブアクトしか出番がなかったころに言われていた
「エンターテイナーになる」
という目標は数年経ち、そのまま番組のMCという具現の形をして出会うことになる。
結果として、けやき坂46が初期追い求めていたエンターテインメントのための一芸はバラエティ番組の中で昇華されていくことになる。
エンターテイナーという響きはどうにも「滑稽な」「笑われる」ような意味合いを持っているかのように捉える人が多いが、先述したように「楽しませること」をする人なのである。
けやき坂46は二期生の加入から始まり、オードリーと出会い共に進み始めることで本当の「エンターテイナー」としての確実な道を歩き始めたのだと思う。
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全員が違う技能を持ち、才能を持っているけやき坂46の一期生二期生が伸び伸びと広がっていく。
小さな欅の木だったそれは、大きな樹幹となり様々な方向へ葉を走らせ始めた。
3. アドリブのために
即興 / Ad lib
演劇、放送などで、出演者が台本にない無関係の台詞(せりふ)や演技を即興ではさむこと。(wikipediaより)
けやき坂46/日向坂46を記述しようとしたときに外せない単語が即興/アドリブだと思う。
感情や場所の偶然性に合わせて身体の動きが変化し、「空間」に呼応していくアドリブ。
これは自由に行っているように見えて、身体がその場所の「空間性」を知覚できる域にいかなければまとまりのない雑多なものになってしまう。
けやき坂46はどうだろうか。
彼女たちにおいては、実際のアクトやパフォーマンスというよりも「人間関係」の中に即興性を見出すことができるのではないだろうか。
映画の中では、いくつかのコンビに寄り添って描かれるシーンがある。
ファンにも周知の「きくとし」「ひよぱん」「めみふぃ」「なおひなの」…などなど。
当然、集団の中での生活であるから特定の人と一緒にいることが多いのは当たり前である。
ところが興味深いのは「金村美玖×東村芽依」のコンビを映画で取り上げた点である。
4thシングルでフロントを務めたから映像上必要、と言えばそれまでではあるが「新たな関係性」を示唆する重要なカットだったと思う。
本来の映画の流れであれば、あの二人で出かけるシーンは必要がなかったはずである。事件が起こるわけでもなく、新たにそこだけを中心にするわけでもない。閑話休題的なものだろうか…と観ている最中は首を傾げそうになったが、最後まで観て改めて感じる。
けやき坂46/日向坂46の持つ「新たなもの」に対する即興性をあそこで表現しているのではないか?と。
私たちファンが「おお」と驚きつつもなんだか納得してしまえる新しい組み合わせが映画の中で、自然に現れる。それこそ「このカット必要か?」と疑問が出てしまうほどに。
各個人が一芸という武器を手に取る時、それがぶつかり合うことは容易に考えられる。
しかし、けやき坂46/日向坂46は全員が異なる武器を持っている共同戦線になるのである。
誰が誰と組んでも、ちょっと気になってしまう。
珍しい組み合わせに対して否定的にならずに見ることができる。
それはひとえに、一期生の二年間の積み上げ・二期生の一年間の積み上げがあるからだと思う。
けやき坂46は共通の仮想敵あるいは目標である「コンセプトの確立」「シングルデビュー」があった。
この巨大かつ形のわからない敵に対しては武器を取って共に戦わざるを得ないのである。しかも様々な形で戦わなければならない。
これによって、メンバーの持つ個性や技能、才能は「誰かと協力すること」用に変容・進化していったのではないだろうかと思う。
ふざけながらも統率を取ることができる佐々木久美、話が聞き上手な高本彩花、常に笑っていることでメンバーを守ろうとした潮紗理菜…全員が全員に合わせることができるようにデビューの前に積み上げていたことが結果として様々な即興の場面、新たな組み合わせの場面を生み出すことができている。
現在日曜日に配信されているラジオ番組「日向坂46のひ」は正にその体現であり、人間関係に現れる即興性に注目していると非常に穏やかで心地が良いことがわかる。
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即興性という話題には少し合わないかもしれないが、こうして積み上げてきた関係が新たな人間関係を結ぶけやき坂46の強みというのは、ラストピースにして唯一の三期生上村ひなのとの関係によって確実なものになったのではないかと思う。
全員の共通の妹がいることによって、まだあどけなかった最年少世代の小坂菜緒・金村美玖・濱岸ひよりは上村ひなのに対して大きな変化を見せる。
姉としての一面である。
これは無から生み出されたものではなく、実際に知覚された「妹として可愛がられた記憶」が故のものである気がしている。
だからこそ、新しい出会いに対してその記憶を辿りながら自分の感情や行動が呼応することができる。
佐々木美玲のブログには次のようにある。
あのね、ひよたんがねみーぱんに似てきてね、ひなのを差し入れのコーナーに連れてってねこれ食べな!いっぱい取っても大丈夫だよ!とか言ってて、あ、ひよたん!って言ったらね
見てください、みーぱんさんの真似してるんですって無邪気に笑って言ってて面白かったです(笑)
佐々木美玲ブログ 2018年12月15日 "続き" より
佐々木美玲は一期生で年少組にあたる。影山・柿崎世代の一つ上。
二人が休業・卒業している間は唯一の一期生最年少だったのである。
佐々木久美含め年上メンバーが要所で実はかなり可愛がっている様子が初期ブログなどでは伺える。
濱岸ひよりは二期生で最年少。同年の小坂金村が大人びているのに比して年齢相応の様子がより一層幼さを強調していた。幼い一方、非常に礼儀正しく内省的な彼女に対して佐々木美玲は姉あるいは母として面倒を見る。それは美玲が一期生に与えられたものを自分なりに解釈して伝えているようにも見えた。
そして、上村ひなのに対して最年少組は姉のように振舞う。それは一期生や二期生の年長者から貰ったものをやはり、自分の中で咀嚼して渡していくものに他ならない。
愛を受け、それを受け渡していく行為は誰かを「守り」、「安らげ」、「共に楽しませる」ことでもある。
私はそれこそがけやき坂46が獲得してきたエンターテインメントの一端であり重要な根幹だと思っている。
例え、それがバラエティ番組であろうと、人間関係の中であろうと、新たな仕事現場であろうと。培ったきた記憶や感情を新たな「空間」に投影する。
その記憶がとても優しく愛のある記憶だからこそ「品のある」エンターテインメントが生まれている。
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かくして、けやき坂46は二年間の積み上げを独自のエンターテインメントとして昇華し、走り始める。
日向坂46として活躍し始めてからも、その優しい「品のある」「エンターテイナー」として私を、私たちを楽しませてくれている。
小さかった欅は大きな大きな木になって、様々な方向に伸びて空一杯に広がった。
4. 夜空の星を、捧げて。
日向坂46に改名後、私たちファンの呼称も「おひさま」になった。
「おひさまが照らしてくれないと日向はできないから。」と優しい彼女たちは言う。
私は今回の映画が日向坂46をまた別の角度から見たものだと感じた。
それは日陰と呼ぶにはあまりにもキラキラとして、カッコよかった。
ファンの前では見せなかったけやき坂46/日向坂46の強さを改めて知る。
おひさまと呼ばれる私たちの前では見せなかった姿。
それならきっとそれは陽が沈んでからのこと。
誰もいない静かな夜空の時間帯なのではないかと私は思う。
彼女たちがファンに見せず流した涙もせめて星が眺めてくれていたら、と思う。
個人的には夜という単語はファンタジーなだけではなくて、悲しくて寂しいという感情も抱いたりする。
本映画では柿崎芽実と井口眞緒の卒業が初めて映像として描かれた。
彼女たちの卒業の理由はそれぞれ決して両手を挙げて喜べるものではなく、その報を聞いた時私は悲しくてやりきれない気持ちになっていた。
メンバーは私の百倍はそう感じていたに違いない。
しかし、映像に映っていたのは涙をこぼしながらも必死に行く末を応援する姿だった。大きく手を振るようにして涙ながらにさようならを言っているように見えてしまった。
同時に、夜空に向けてこぼした涙はまだ一緒にいるメンバーを想っていたのだ。この映画を観て私は確信した。
私からは最後に私が一番好きな曲から歌詞を抜粋して送りたい。
懸命に生きる、日向坂46へ。
どんな今を生きていますか?好きだった歌はまだ聞こえますか?
くしゃみひとつで笑った泣き顔。離れてもそばにいる気でいるよ。
口先だけで繋いだ 知らない手。
それでも離さない 。一人は怖い。
疲れた勢いか?
色んな事が奇跡みたいに思えて、どうしようもない。
星を読んで、位置を知るように。君の声で僕は進めるんだ。
さよならを言った場所から離れても聞こえるよ約束が。
さよならを言った場所には君の声がずっと輝くんだ。
君が君を見失っても僕が見つけ出せるよ。君の声で。
どんな今を生きていますか?僕の唄がまだ聞こえますか?
くしゃみひとつで取り戻せるよ、離れてもそばにいる気でいるよ。
bump of chickenより「サザンクロス」