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「ICO」について語る

皆さんはICOというゲームを知っていますか?

プレイしたことはありますか?

今回は私の最も好きなゲームの一つであるICOについて語りたいと思います。

「雰囲気ゲー」という概念

生粋のサブカル気質な私は、雰囲気ゲーというジャンルに分類されるゲームが大好きです。

雰囲気ゲーとは、端的に言うと雰囲気や世界観が素晴らしいゲームのことで、明確な定義がされているわけではないため多くのゲームが当てはまります。

具体的には
「グラフィックが高水準」
「音楽が良い」
「アート性が重視される」
「ストーリーの多くは語られない」

のような特徴があり、それ故にゲーム性が薄くなってしまうというデメリットもあります。

どうぶつの森シリーズ、大神、ぼくのなつやすみ、lain、デトロイトビカムヒューマン、FF、聖剣伝説などが該当するのではないでしょうか。
広いですね、ずいぶんと。

ICOとは

ICOとは!

このように肉まん少女も疑問に思っていることですし、本題に入ろうと思います。

ICOは、2001年にソニーから発売されたPS2用ゲームソフトのことです。

アクションアドベンチャーゲームに分類されるそうですが、プレイすると分かりますが完全に謎解きゲーです。
後半になると少しアクション要素もありますが、基本的には謎を解いていきながら物語を進めていくことになります。


あらすじを説明すると
「角が生えたために生贄として謎の古城に閉じ込められた少年イコが、そこで出会った言葉の通じない少女ヨルダの手を取り、彼女を守りつつ共に古城から脱出する」
と言った内容で、城内を彷徨う暗い影のような化け物に襲われるヨルダを守りながら進んでいく、と言ったものです。

ICOをプレイすることになったきっかけ

始まりは完全に実況者である加藤純一さんの実況からです。

彼はICOを実況していますが、実はその動画がきっかけではなく、彼の「アマガミ」というこれまた私の人生を大きく狂わせたゲームの実況からことは始まります。

彼のアマガミ実況を見ていてもたってもいられなくなった私は、アマガミをプレイするためだけにヤフオクでPS2を落とします。

一通りアマガミをプレイして放心状態になったのち、レトロゲー(PS2をこれに入れて良いかは賛否両論あるでしょうが、私の年齢からすると問題ないのではないでしょうか)に大きく興味を持った私は、ほかにPS2でできる名作ゲームはないかとブックオフに足を運びます。

そこで見つけたのがICOというわけです。

ブックオフの棚の一列に完全におさまっているPS2のソフトのコーナーで、一際異色に輝くパッケージがあったのです。

正直、このパッケージは天才だと思ってます。
神秘的な建物に光が刺す中で、ちっぽけに映る二人の人間。その二人の人間は小さくも力強く見え、手を繋ぎ協力しあって進んでいる。
多くは語らずにゲームの世界観を表しています。

ICOの魅力

あげるとキリがないですが、大きく分けると

・「手を繋ぐ」ゲームシステム

・「ゲームっぽさ」の徹底的排除

・プレイヤーに委ねる

・キャッチコピー

あたりでしょうか。

一つずつ解説していきます。

「手を繋ぐ」ゲームシステム

主人公かつプレイヤーであるイコと、少女ヨルダは言葉が通じないため、言語を介したコミュニケーションが不可能です。(そのためゲーム内ではセリフがほとんどなく、世界観を一層高めています)

そんな二人が唯一取れるコミュニケーション、それこそが「手を繋ぐ」ことです。

プレイヤーがR1ボタンを押している間だけ、二人は手を繋いで一緒に進むことができます。
そのため必然的にゲームを通してR1ボタンを押し続けることになるわけです。
イコが謎を解いている間は手を繋ぐことができないため、目を離しているとすぐにヨルダは影の化け物に連れて行かれます。
もちろんそうなるとゲームオーバーなので、プレイヤーは謎にもヨルダにも気を使いながら進めていかなければなりません。

またセーブするときも、ヨルダを連れてベンチに座らないと出来ないようになっているという徹底ぶりです。

ボタンを長押しするという行為そのものが、私が少女を守っているという当事者意識を掻き立てられ、ゲームへの没入感を高めています。
意味合いとしては手を繋ぐだけ以上のものが含まれているなと、プレイしていて感じました。

また、手を繋ぐ瞬間、コントローラーが少し震えるのですが、私はこのシステムがたまらなく好きです。
上手く説明できないのですが、少女の手を伝わってくる鼓動のようなものを感じ、神秘的な気持ちになります。

「ゲームっぽさ」の徹底的排除

これに関してはメリットと捉えるかデメリットと捉えるか人によりますが、私は大きなメリットだと捉えています。
もちろんゲームっぽさを排除することが良いこととは言ってなくて、このゲームにおいては排除されていることが良い方向に働いていると思ってます。

画面には人物と背景のみしか映さず、常にカメラワークは固定されていて、驚くことにBGMがほとんどありません。
前述の通り重要なストーリーは語られることはなく、途中途中の語りも第三者目線です。
戦闘シーンも□ボタンで木の棒を振り回すのみで、いわゆる「ゲーム」を期待していると肩透かしをくらいます。

しかしこれによって、城内に響き渡る彼らの声(二人が離れているとき、イコはR1ボタンでヨルダを呼び寄せることができる)が際立ち、独特な雰囲気を作り出すことに成功していたり、ICOをプレイしたという記憶自体が、生涯心にしまっておきたい宝物のような感覚になるのです。

プレイヤーに委ねる

最初にヨルダに出会うとき、彼女は影に襲われています。メイドインワリオだったらここで「たすけろ!」のような指示がデカデカと表示されますが、ICOでは一切の指示が出されません。

助けるか、助けないかは、プレイヤーに委ねられます。

多くのプレイヤーは当然彼女を助けようと動きます。

というよりは、助けさせられるようにゲームから仕向けられているような印象を受けました。

直感的に守らねばと思う、そう我々が動機づけられる雰囲気にも魅力を感じます。


また、ゲームをプレイしていく上で、このような疑問を持つことがあります

イコがヨルダの手を引き共に進むというよりは、イコがヨルダを引っ張っているように見えるのです。

人が人を救うという美しい行為

美しく見える行為

先ほども述べた通り彼らは言葉が通じません。

我々も、手を繋いでいる間の振動しか感じません。

城から彼女を救うことに正当性があるのか。
彼女はそれを望んでいるのか。

我々は知る由もありません。

確かにヨルダは呼べばついてくるし、手を繋いではくれます。
時には謎解きの手助け(怪しいところを指さすなど)をもしてくれます。

イコが、プレイヤーが彼女を助け出すという行為は、ただのエゴなのではないのだろうか。

その明確な答えは存在しません。

ラストでのイコ=プレイヤーが取る行動

ヨルダが取る行動

そしてエンディング

現実では何者かから指示を受け、その通りにしないとゲームオーバーになる、ということはありません。

行動に、正解はありません。

この点で私は、ICOはただの「ゲーム」ではないと断言できます。

このゲームをプレイすることでしか得られない、感動とはまた違った一種のカタルシスを感じることができると思います。

そしてICOという存在が自分の中でゲーム以上の意味を持つことになります。

キャッチコピー

最後に、この作品のキャッチコピーを紹介します。

「この人の手を離さない。 僕の魂ごと離してしまう気がするから」

ぜひ、プレイしてみてください。

そして葛藤してください。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


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