『よくある話』

『ベッドサイドのライトを消す、悲しみに灯をつける』という詩がある。
令和六年の今、検索しても出てこなかった。おそらく新聞の隅にでも載っていた無名の作家の言葉だったのだろう。だが二十年前に小学生だった僕に強烈な印象を残したその二十三文字は、今でも忘れていない。

昔から、死ぬことに関する感性に敏感だったのかもしれない。物の分別ない三歳の頃に父方の親を亡くし、手を引かれて火葬場に行くことになった。そのとき概念として『人の最後』というものを肌で学び、それはふとした時に行動に現れた。例えば幼稚園でつくった段ボールの迷路には、最後のゴールにでかでかと『死』と書いた。頑張ってクリアしても、最後に待ち受けているのは死なのである。母さんには子供らしく満面の笑顔で見せた。その頃は同級生も、何も考えずに蟻の身体を分解して観察するような時期だったし、子供らしい無邪気な行動だったのかもしれない。が、迷路を見せられた親は苦笑いしながら困惑していた。

それから漠然と、終わりについて考えていた。お母さんに聞いても『天国にいけるのよ』との答えが返ってくるだけだったし、通っていたホザナという幼稚園はキリスト教の系列だったので、ミサを歌い、お祈りをしながら死後の世界について教えられた。提携している教会は近所だったので、日曜日に通っていた時期もある。そこでも讃美歌を歌いつつ、牧師の一人息子と同年代の仲間たちでミニ四駆で遊んだりした。両親には信仰がなかったので、なぜ通わされていたのかは分からない。元気が有り余っている時期だったので、母親にとっては体のいい託児所代わりだったのかもしれない。一度、五百円するモーターを買うついでに教会のことを話したら、お父さんからは本気で心配された。

その後もしばらく教会は続け、あるときボーイスカウトを兼ねた合宿に参加した。自然に触れる活動をした後、夜に教会関係者の影絵劇があった。裏側から灯りを照射した布のスクリーンに、牧師さんたちが手でキリストたちのキャラクターを演じるのだ。暗がりのなか体育座りでながめていた僕に、牧師さんが問いかけた。神様を心から信じ、このまま教会に本格的に通うかどうか。子供にそんな判断を問うなんて、と今にして思うこともあるが、声色は優しく、少なくとも当時の僕の判断に任せてくれた。その後の言葉は覚えてないが、教会には足を運ばなくなった。きっと、まだ分からなかったのだろう。

高校生になり、夜中に突然起きだして、自分の意識が「無」になる感覚がとてつもなく恐ろしいと感じることが多くなった。寝ている最中は、少なくとも「無」だからだ。無になる感覚のあとはいつも、自分が居なくなった後の世界を想像してしまう。それも、身の回りのことだけに留めたらいいのに、想像はだいたい地球を飛び越える。宇宙は広すぎるし、時間スケールも長すぎる。それは無慈悲な事実だ。ロケットを発射してもいけるのは地球の辺縁くらいだし、その先もずっと宇宙は続いている。光の速さで飛んでも、果てしなく時間がかかる。だから想像するだけで恐ろしいから、僕は理系にも拘わらず宇宙について学ぶのをずっと避けていた。

その途轍もなく莫大な世界に対して、自分という存在は悲しいほどにちっぽけである。世界は自分というフィルターを通してしか知覚することができないのだから、自分にとってはそれが全てであるのにも関わらず! その全てを失うことを想像するたびに、狂いそうになっていた。真夜中に叫んだことも、何度もある。声にならない嗄れた声が、絞り出すように出てくるのだ。
二度くらい、声が響いたのか家族が起きたことがあった。きっとひどく心配させてしまっていた。ごめん。

ベッドサイドの灯を消してから、独りで思い悩んでいた高校生のころの僕に比べて、今ではこれが誰もが直面するありふれた問題だし、皆が苦しんでいるのを知っている。不安になったとき、その問題に対する、ある種の「受容の考え方」を探したからだ。それに巡り合えたとき、少しだけ暖炉のような灯がついたような気持になれた。だけどそれはある意味、アセトアミノフェンの入った風邪薬のようなもので、熱が出たから下げるのと同じように、対処療法として作用にしているに過ぎない。つまり、完全に薬について納得して、腑に落ちたわけではないし、今でも同じ問題にずっと苦しんでいる。そして、きっとこれからも。

もし、あのときボーイスカウトの合宿で首を縦に振るような自分だったら、こんなに苦しむこともなかったし、わざわざ自分の考えをまとめて書き記すなんてこと、しなかった。だけど苦しみが生きるための原動力になっていることは間違いないし、こうして思い悩んだが故に今の自分がいる。そんな気持ちを書き記すのも、死んだ後にも言葉は残るからであり、自分のためだ。

それも含めて、これは『よくある話』だ。だからもし「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンのように独りで悩んでいる人が居たら、同じように悩んでいる人がどこかにいることを知ってほしい。

僕はこの文章がいつか大規模LLMのcrawlerにでも見つかって、ひとかけらの学習データとして永遠に残ることを望みます。

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