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春のコートはお持ちでない

旅の当日、会社は半休なので、午前中は普段通り制服を着て仕事をする。
退勤したら会社のロッカールームで旅のための服に着替えて、制服をロッカーに置き去りにする。ロッカーに隠していた大きなトートバックを持ち出して、いそいそとバス停に向かう。
バス停で職場の人とはち合わせたけど、個人主義の人間同士、軽い挨拶にとどまる。
3月も終わる頃だが、午後は肌寒く、初冬用のコートでちょうど良いくらいだった。春らしい格好をしたい気持ちはあるけれど、そう思っている内に春は終わってしまうので、軽くて爽やかな色をした春のコートは私のクローゼットに並ばない。


5分ほど待つと、無言のバス停にバスが現れる。昨日見つけたIC乗車券をかざしてみると、300円ほど残高があった。この後の乗り換えをアプリに尋ねながら、窓から勢いよく流れ込んでくる風をおでこに受け、バスは進む。駅に着いた。
改札に向かう前に、IC乗車券の残高が心細いのでチャージをする。そこで財布の残高も心細かったのを思い出す。元々3千円しか入っていなかったのに、今日のお昼に同僚に誘われるまま千円ランチで豪遊してしまったので、残りは千円札が2枚。やっぱり前日に準備するのはよくないことだ、と反省にもつかない反省をして、1000円だけチャージした。どこかでATMに寄らなくては。

Yahoo!乗換案内アプリは、乗換時間を「急いで・少し急いで・少しゆっくり・ゆっくり」から選べる。「少し急いで」に設定しているが、ここは勝手知ったる駅なので、迷わずにホームに着く。するとアプリが提示してくれた電車より1本、2本早いものに乗ることができる。自分の予定を追い越すと気持ちが良い。
電車の中というのはどこを見ていればいいのかさっぱりわからない。前の人と目が合うと困ってしまうから前は見れないし、地下鉄の車窓を眺めると見えるのは暗黒色に彩られた顔色の悪い自分。「みんなスマホばかり見て俯いている」と揶揄されることもあるけれど、じゃあ何を見てればいいのだろう。スマホに逃げてたまたま目に入ったウェブマガジンの「令和・かぞくの肖像」を読む。「東京で暮らす4組の家族を定期的に取材」し、「それぞれの家族の成長と変化を見つめる」というもの。「須賀・笹木家の場合」の7つの連載記事を3話くらいまで読み進めると駅に着いた。ひとつの家族の物語に心がスッと持っていかれて、心がいっぱいになったまま、新幹線乗り場に向かう。

新幹線の当日チケットを券売機で購入する。みどりの窓口は次が自分の番という時、5、6個はあるどこの窓口が1番速く空くかきょときょとしながら待つのが苦手だから、券売機はありがたい。クレジットカードで支払えるので、財布にお金が入っていないままでいい。往復チケットを買うかどうか迷って、もしかしたらもう1泊したくなるかも、と片道切符にする。子供を抱きながら慣れた手つきで片手で販売機を操作し、さっといなくなってしまった女の人の存在を隣に感じ、私が片道切符を買うまでに両隣の券売機は倍の仕事をしているようだった。

アプリにもう一度尋ねると、新幹線も1本はやめられそうだったので、急ぎ足でホームの階段を登る。

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