ガチャガチャで始まる朝。(3)

1)はこちらから。

 ラブレターなのか、ただの手紙なのか、はたまた何らかの書類なのか。よくわからないけれど、ケンゾウくんはレンちゃんとひとことふたこと言葉を交わして、それをカバンの中に入れると、何事もなかったかのように、またハルトとおしゃべりをはじめた。レンちゃんはニコッと笑って友達と一緒に教室を出て行った。
 うーん、何だよう。気になって仕方ないが、僕が出て行くわけにはいかない。

 キーンコーンカーンコーン。
 5時間目は英語の授業だ。アメリカ人のジェームズ先生は、日本語ペラペラで、時々オヤジギャグまで飛ばすから、僕は結構好きなんだ。
 画面の向こうのジェームズ先生が「グッド アフタヌーン!」というのに答えて、僕も「グッド アフタヌーン!」って言ったら、校長先生が「お、なかなかいい発音だね」って。
 今日は英語での自己紹介のようだ。とたんに僕は心配になってきた。ケンゾウくんは、英語がわかるのかな?戦争ってアメリカと戦ってたんだよね?敵の国の言葉だから使っちゃいけなかったんじゃなかったっけ?野球のストライクは「よし」、ボールは「ダメ」って言わなきゃいけなかった、って聞いたことがあるし。
 それよりも、ケンゾウくんがうっかり「マイネーム イズ ケンゾウ」と言っちゃったらどうしよう!僕と入れ替わっていることがばれちゃうよ!

 僕のドキドキをよそに、一人ずつ、自己紹介が始まった。最初は相山さんだ。ってことはアイウエオ順だな。僕は藤川だから、後半だ。よかった。ケンゾウくん、みんなの自己紹介を聞いて、なんとか乗り切ってくれよ〜!

 次は井上くんだと思ったら、立ち上がったのは馬場くんだ。これはもしやアルファベット順?ってことは ABCDEF、江川さんの次はもう僕だよ!じゃなくてケンゾウくんだ!

 帰国子女の江川さんは発音が良すぎて、何を言ってるのかわからなかったけど、ジェームズ先生の〈通訳〉によると「将来はアメリカの大学に行って弁護士になりたい」って言ったようだ。すごいなあ。

ジェームズ先生が「ネクスト!」と言った。ケンゾウくんが立ち上がった。うわー!絶体絶命のピンチ!僕は思わず手のひらで目を覆った。

「ハロー!エブリワン!」

あれ?英語しゃべってる!しかもなかなかいい発音じゃない?
指のすきまから画面を見ると、すっくと立ったケンゾウくんが大きな声で話している。
「マイネーム イズ ケン フジカワ。プリーズ コール ミー ケン!アイ ライク シネマ」

お!ケンゾウくん、ナイス!そうだよ、ケンゾウくんも僕もケンで間違いない。嘘ついてないもんね。やるじゃん、ケンゾウくん!

「グーッド!」ジェームス先生が親指を立てている。
 授業を見ていた校長先生も、こりゃたまげたな、とつぶやいた。
「戦時中の小学生がこんなに英語を話せるとはねえ……」
 なんだか自分がほめられたような気になって、うれしくなってきた。シネマというのは映画だよね?へえ、映画が好きなんだ。なんか大人っぽいな。

 英語の授業もクリアしたようだ。すごいぜ、ケンゾウくん!これで今日の授業はすべて終了。大きなトラブルもなかったようで、僕もほっとした。

 終礼が終わってしばらくすると、校長室の扉がコンコンコン、とノックされた。
 校長先生が立ち上がって、扉を開くと、ケンゾウくんだった。出て行く時は緊張していた様子だったけれど、今は満面の笑顔だ。
「さあ、お入りなさい」校長先生はケンゾウくんを迎え入れて、カチャリと鍵をかけた。
「授業受けてみて、どうだった?楽しんだかい?」
「はい。とても……とても楽しかったです。ありがとうございました」ケンゾウくんはしっかりとした声で答えた。
 ケンゾウくんが僕の前にやってきた。近くで見ると、やっぱり似ている。
「ケンヤくん、ありがとう」
「う、うん。あの、そのう、みんなにばれなかった?入れかわってたこと?」
 僕にとってはそれが一番の問題だから。
「たぶん大丈夫だと思うよ。ちょっと驚かれたこともあったけれど」
「え、なになに?」
「それは秘密。明日、行けばわかるよ」
「えー!気になるなあ」

ケンゾウくんはカバンの中から、封筒を取り出した。
「これ、預かったもの」
「あー!僕がもらうはずだったレンちゃんの手紙!」
「ごめんね。読んでないから安心して。ケンヤくんて、もてるんだね」
「いやいや、そんなことないよ、手紙なんてもらったことなくて、これが初めて」
 あせる僕を見て、「記念すべき初めてのラブレターだな」と校長先生がくすくす笑っている。僕は恥ずかしくなって、手紙をポケットに押し込んだ。

 その時、時計がボーンボーンボーンと鳴った。3時だ。
「もう行かなくちゃ」ケンゾウくんがつぶやいた。
「え、どこに行くの?」
 ケンゾウくんは下を向いて黙っている。
「ケンゾウくんがここにいることができる時間は限られているんだよ」
 そう言うと、校長先生は僕の手とケンゾウくんの手をとった。
「ほら、握手だ」
 僕はケンゾウくんの手をギュッと握った。ケンゾウくんもギュッと握り返してくれた。ケンゾウくんの手は、ちょっぴり冷たかった。
「ケンヤくん、体に気をつけて……僕の分まで、勉強して、友達と遊んで、野球も頑張って……野球選手になる夢を叶えてね」
「え、どうして僕の夢、知ってるの?あの、ケンゾウくんは……何になりたかったの?」
「僕はね……」
その時、窓から急に風が吹き込んで、緑色のビロードのカーテンが大きく揺れた。
「うわあ、すごい風!」
気がついたら、ケンゾウくんの姿はなかった。

「ケンゾウくん!ケンゾウくーん!」
呼んでも返事はない。
「校長先生、ケンゾウくんは?」
「きっと戻って行ったんだろうなあ……」
校長先生と僕は、窓から外を眺めた。
空には、一筋の飛行機雲が見えた。

(続く)




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