守山崩れ

「石公、今度のお役目を果たしたら、今度こそ召し抱えてくれるぞ」
 十郎次は石公の肩を抱き寄せて、耳元でそうささやいた。石公はあどけない顔をぱっ、と輝かせて
「だったら、飯にありつけるんだな」
 といった。十郎次は大きくうなずいた。
 石公は早くに父親を戦で亡くし、母親は他の所に嫁いだのだが、そこの継父とはそりが合わず、いつも那古野城下で十郎次と盗人のような事をして暮らしている。一方の十郎次は、石公よりやや年長であるが、その素性は石公も分からない。だが、二人は妙にウマが合った。
「侍になる」
 というのが、十郎次と石公の合言葉のようなもので、二人は常に一緒である。
 当時の那古野城主は織田信秀という人物で、知勇兼備の武将であった。先年、嫡男が誕生したこともあって、城下は殷賑を極め、周囲の村々は連日祝っているほどであった。
 二人は那古野城下から少し外れた空き家に潜りこんでいる。無論、二人の家ではない。
 目の前には畑で盗んできた芋と水、少々の米を加えて鉄鍋で炊いた芋粥がある。木の椀は全く洗ってないと見えて縁の所が米でこびりついている。十郎次は鉄鍋の蓋をとって、たまで救い上げると、
「出せよ」
 といった。石公が椀を両手で出すと、それを受け取って粥を注いでいく。
「熱いぞ」
 と椀を差し出しながら少しぶっきらぼうに言った。石公はそれを受け取って、何度も湯気を飛ばさんばかりに吹いた。そして少し啜って、また吹く。そうして少しづつ粥を減らしていき、また替わりを貰う。
「十郎次、できるのかな」
 石公が不安げに言った。
「まあ、確かに難しい事この上ないだろうな。何せ、三河の殿様を殺せってんだから」
 十郎次の言う、三河の殿様というのは三河を統一していた松平清康の事である。それまで諸豪族が犇めいていた三河を十八歳という異様な若さで統一した出来人である。しかもそれにとどまらず、遠江の今川を退け、尾張に侵攻しようとしていた。その清康を殺せ、というのである。
 石公が不安に思うのも無理はなく、三河の武士は剽悍で勇気が強く、主君の為であれば、路傍に塵を棄てるような感覚で命を投げ出すほど忠節に篤い連中である。その中を切り抜けて清康の命を奪うのは並大抵の事ではない。
「しかしよ、やれば召し抱えになる。そうすりゃ、飯に困ることもなけりゃ金も手に入る。お前、あの継父を見返したいとは思わないのかよ」
「そんなことないよ、十郎次、やろう」
「そうだ。俺達が組めば出来ないことは何もなかっただろ?そのようにやれば、出来るさ」
 十郎次は調子よく石公に言い聞かせた。石公は覚悟を決めたようではあるが、その表情に迷いが残っていた。

 信秀は移ったばかりの古渡城の普請に忙しい。城そのものはすでに大方出来上がっていて、信秀自身の居館も完成してそこに移っている。同じように、家臣も近くに屋敷を構えて、すでに其処に移っている。
 永田次郎右衛門は信秀の馬廻衆である。今でいう所の親衛隊のようなもので、他に数名いた。
「信秀様、あの伊賀崩れの者をまことにお信じなさいますか」
 伊賀崩れ、とは十郎次と石公の事を指すらしい。
「しかし、ああでも言わねばいつまでもくらいついてくるぞ」
「我らに任せていただければ、すぐに斬り捨てましたぞ」
「あの十郎次とか申す者はともかく、隣にいた童を殺せるか。あんな年端もいかぬ」
 信秀には先年、二男が誕生していた。吉法師と名付けられ、これが、後の織田信長である。その前に嫡男である三郎五郎がいるが、こちらは側室の子供であって庶子である。この吉法師は正室との間の初めての男子であった。
「丸くなられましたか」
 次郎右衛門はほっこりとした笑みを浮かべた。
「阿呆申せ。童を斬るのは造作もないが、それでは年甲斐もない。故に、適当にあしらうためにそう言ったまでだ」
「されど、あの童はともかく、十郎次なる者は真に受けておるやもしれませぬ。仮に、もし成就した暁には、召し抱えまするか」
「一応の約定じゃでの、小姓でもなんでも抱えてやる」
 とはいいながら、信秀は
(これはできまい)
 と考えている。忍者崩れとはいえ、たかが小僧二人でどうやって信秀を苦しめたほどの名将を暗殺できるものか、と思っていた。

 その標的である松平清康が尾張に侵攻してきたのは天文四年の十一月の末頃である。
 清康は二十五である。家督を継いだのが十三で、そこからたった十年ほどで三河を統一したのであるから、その手腕は並々ならぬものがあり、将来を嘱望されている人物である。しかも三河という土地は家臣の主君に対する忠義が他国と違って頗る強く、しかも音に聞こえた剽悍さも相まって隣国にとっては脅威になっていた。隣国という事は、尾張の信秀にとって美濃の斎藤道三に並ぶ脅威の人物の一人である。
 清康が狙いを定めたのは、那古野城の北側にある守山城である。西進するにあたって、先ずはこの守山城を落とすことで尾張攻略における拠点とするつもりだったのであろう。
 守山城の城主は織田信光である。信秀の弟であり、清康の叔父にあたる松平信定の娘婿でもある。つまり、敵でありながら縁戚筋にあたるという、なんとも厄介な立場にいる人物であった。
 信光は守山城の天守に登って、清康の陣を見ている。
「兄上からの返事はまだか」
 家臣にそう怒鳴ったが、返事はおろか古渡城には兵の動き一つすらないという事である。信光は苛立って、
「もう一度使者を出せ」
 と床を踏み抜かんばかりに鳴らして怒鳴った。家臣も慌てて使者を選りすぐって古渡城に向かわせた。
(三河は精強だ。それに、あの清康という男は親父には似ても似つかぬ)
 信光の耳にも、清康の資質は風聞で聞いている。清康の父である信忠という人物は松平氏の当主でありながら器量が悪く、その実権は父である道閲が握っていた。実際、三河物語の中でも、
 ―― 不器用者。
 と断じている。不器用者とは、統率する器量を持ち合わせていない、暗愚な人物、という意味合いである。それに比べれば、いかに清康の手腕が優れているかよくわかる。
(とてもではないが、抗いきれんだろう)
 信光はそう考えている。そうなってくると、降伏するしか手はない。しかしここは織田領地であり、那古野城は無理でも、古渡はほんの半刻もあれば増援として助けることが出来よう。しかし、使者を送っても古渡からの応援や動きは何一つなく、それどころか古渡城には数えて事足りるほどの城兵しかいない、という。といって、古渡に近い那古野にいる兵は一千もおらず、これが間に合っても、清康の三河兵には立ち向かえぬであろう。
 伝統的に尾張の兵は軟弱である、とされている。三河兵一人に対して、尾張兵は三人が立ち向かって漸く互角である、とさえ云われている。つまり、三河兵の三倍以上の兵力を動員しない限り、勝つのは困難である可能性が高い、という事である。
 これが信長の時代になると様相は一変し、尾張兵は戦国期でも有数の強兵となるが、この信秀の時代はそうではなく、軟弱な性質が強かった。その事は信光もよくわかっている。城の防衛という有利な条件であるにもかかわらず、そうした悲壮感が消えないのはそういう背景が考えられたからである。
「何を考えているのだ、兄上は」
 守山城外ではすでに小競り合い程度の戦いが始まっている。しかし、形勢はすぐに不利になっていくのが手に取るようにわかる。
「信光様、このまま打って出るしか方策はありませぬ」
「城に籠れば勝機は必ず見つかりまする」
 などと、家臣たちが口々に言った。信光は、
「この城に籠るにせよ、打って出るにせよ、それは古渡の兄上が援軍として来なければ成り立たぬ話だ。ところがその兄上は何を考えておられるのか、援軍はおろか兵一人寄越さぬ。これでは我らは皆犬死をするだけだ」
 信光はそう言って口惜しがりながら、
「開城する」
 といった。家臣の中には
「城を枕に討死覚悟で」
 と叫んだ者もいたが、そうなれば確実にこの城は落ち、皆が撫で斬りに会うだけである。
「それを善しとはせん。皆は那古野城に退き、今度こそ清康に備えよ」
 家臣たちも悔しい表情を隠そうともせず、各々那古野城に引き上げていった。信光は最後まで残り、清康の入城を待った。
 清康は守山城から出ていく城兵の姿が途切れたのを見計らって、清康は兵を引き連れて守山城に入った。
 清康は鷹が獲物を狙い定めてるような目で城を睥睨している。感傷といった感情の発露ではなく、ただ城の機能を見定めているようであった。
 清康は本丸の広間に向かった。信光が鎧下の姿のままで上段に座っている。
「信光殿」
 清康が声をかけると、信光は
「よう参られた。こちらに」
 と言って自ら席を明け渡したのである。信光は清康と対峙するように下段に座り、清康はそのまま上段の段差に腰かけると、
「信光殿は、どうなされる」
「どう、とは」
「我らに与するか、それとも織田方に帰るか」
 信光は表情を変えない。清康は続けて、
「信光殿ほどの剛の者がおれば、松平は安泰この上なくなるのだが、どうか」
 内応を迫っている。前述したとおり、信光も松平とは縁戚に当たるため、当てがないわけではない。だが、信秀とは血のつながった実の兄弟でもある。信光は、
「清康殿の申し出は有難いが、この信光は、血のつながった兄弟を裏切れるほど大人ではありませんでな、ご容赦願いたい」
 清康はそうか、と呟いた。確かに信光の申し出には筋が通っている。
「惜しいが、仕方あるまい。この度は縁戚である故をもって、このまま退城されるがいい。だが、次まみえる時は、その事は忘れておく」
 清康の口調は激しくなかったが、しかし風格と有無を言わさぬ凄味があった。信光は静かに立ち上がると、一礼して守山城を出た。

 守山城に松平の旗指物が立ち、風になびいている。
 十郎次は城の周辺を探ってみるが、とにかく警備は堅牢で、蟻一匹はいる事すら困難であろう。とてもではないが、清康に近づくことは出来そうにもない。騎馬武者から足軽に至るまで、統率は十分にとれており、十郎次が潜り込めばすぐに浮いてしまう事も目に見えた。
(だが、やらねばならぬ)
 十郎次の両目はすでに後ろに退かぬ意志を持っている。
 人の気配がした。それも数人の気配である。
 十郎次は近くの林に身を隠して様子を伺った。青年の武将が一人、馬上の人となって駆けてやってくる。同じく騎乗してついてくる武将はやや年長であろうか。その後ろに二人ほどの小姓が走ってついていっている。青年の威風堂々たる姿を見て、
(あれが松平清康か)
 と見当をつけた。何事かを密かに話し合っているようで、十郎次の所にまで聞こえては来ないが、十郎次は清康の口の動きを読んだ。
(なごや。……のぶ。……)
 恐らく、次の目的は那古野城を攻める、という事であろうか。そうなると、信秀とは鼻面をかすらせるほどに肉薄することになる。信秀にとっても決して好ましい状況ではないであろうし、下手を打てば信秀は清康に追われることになり、当然仕官の道も消えることになるであろう。それだけは避けねばならない。
(ここでやるか)
 十郎次は飛び出すように匕首を構えた。しかし、相手は四人である。どう考えても分が悪い。さらに、清康もその隣にいる男も易々と討たれはすまい。それに、誰かが助けを求めれば恐らく逃げおおせることは出来ないであろう。
(機を待つか)
 十郎次が匕首を収めた時、小姓の一人に目がいった。
(石公。……)
 と叫びそうになるのに驚いた。小姓の一人が石公に似ている。十郎次の気配を感じたのか、小姓は腰の刀手をかけ、辺りの気配を探りながら嗅ぎまわっている。すると清康は
「弥七郎、いかがした」
 とこれは、十郎次が聞こえるほどの声で叫んだ。
「は、何者かがいるような気配が致しましたが」
 と弥七郎と呼ばれた小姓は辺りを何度も振り向き振り向きして、
「どうやら気のせいのようでござりまする」
「そうか。だが、用心に越したことはない。城に戻るぞ」
 清康がそう答えると、馬首を返して守山城に戻っていった。木の陰から十郎次が姿を現したとき、すでに馬上の背中は点となっていた。
「弥七郎、とかいったな」
 清康の姿よりも、弥七郎の目鼻立ちの方に、十郎次は衝撃を受けた。
「世に三人、同じ顔の人間がいる」
 とはいうが、恐らくそれは本当の事であろう。あの弥七郎と石公は、たがいにとっての三人のうちの一人なのであろう。十郎次は少し気味悪さを覚えた。同時に、十郎次の頭の中で、何かが閃いた。
(これには、石公が要る)
 十郎次はそのまま、林の中に影を溶かして、石公の所に戻っていった。

 十郎次が石公のいるあばら家に戻った。石公は腹の虫を鳴らしながら待っていたようで、
「なんで先に食わなかったんだ。ないのか?」
 と十郎次が尋ねた。石公は、
「十郎次と一緒に食べると決めていたんだ」
 といった。
「待たなくていいんだよ、俺なんて。お前はちゃんと飯を食えよ」
 十郎次はそう言って飯の支度を始めた。暫くして、粗末ながらも二人分の飯を作った十郎次は、石公と共に飯を頬張るが、石公の顔を見るにつけ、
(やはり、似ている)
 件の弥七郎という小姓に、である。石公は十郎次の目線に気付き、
「どうした、十郎次」
「いや、何も」
 ない、と言いかけて、十郎次、石公に
「お前、命を懸ける覚悟はあるか」
 と尋ねた。石公はうん、と顎を下げた。
「本当に分かっているのか」
 命を懸けるという事を、と問うた。問い詰めたような言い方になった。石公は首をひねって真意を測りかねている様子であったが、また顎を下げた。しかし顎を下げた割には、その表情はあどけない。
「……本当だな」
「十郎次は、今までそう言ったではないか。そうしないと、飯にはありつけないって」
 ふいに、十郎次は後悔した。やはり、巻き込むべきではなかった。だが、此処まで来て今更郷里に戻れるはずもない。いや、戻りたくない、というのが本音である。
(石公だけでも帰すか)
 とも考えた。しかし、石公も帰る場所がないのは同じ事で、石公を一人で帰したところで、継父に良い様にこき使われて死ぬのが関の山であろう。どちらにせよ、戻ることは出来ないのである。
「そうだったな」
 十郎次は一粒種の子供を見守る父親のような表情で、石公を見つめていた。

 二人が守山城近くの空き家に場所を移したのは翌朝になってからで、すでに秋風の質に冷たさが宿り始めている。身体が出来上がっている十郎次に比べて、石公は体が出来上がっていない上に、薄手の物しか着ていない。その為、時折吹く風が歯を鳴らしていた。
「大丈夫か」
 十郎次が声を掛けると、石公は歯を鳴らしながら頷いた。
「出るぞ」
 十郎次が外を見ると、清康は馬に跨って遠出に出る様子であった。例の小姓も後ろかついて来ている。十郎次は石公と共に、その後ろを手繰るようにしてついていった。 
 清康が向かったのは見晴らしのいい高台である。恐らく那古野を攻めるための下見であろう。清康は馬から降りて土を踏み、鷹のような黒檀の瞳を動かしながら、何やら思案をしている様子である。弥七郎は用を足しに草むらに入った。
『石公』
 十郎次は弥七郎の入った方向を指さして石公に報せると、二人は気配を動かした。
 弥七郎は小用のために袴をずらしている。十郎次は弥七郎の背中に狙い定めて後ろに回り、石公は前に出た。弥七郎は影を感じた。幸い、用を終えたところで袴を直している。
「何者。……か」
 弥七郎と石公は互いに仰天している。石公も弥七郎も茫然と立ち尽くしていたが、弥七郎がいち早く理性を取り戻した。
「松平清康が家臣、阿部弥七郎と知っての狼藉か」
 と言い終わらぬうちに、十郎次によって後ろから首を締められた。懸命に十郎次の腕に手を挟もうと弥七郎はもがくが、体格と膂力の違いは大きく、弥七郎は気を失った。
「石公」
「お、おお」
 十郎次は弥七郎の肩を抱え、石公は両足を抱えて弥七郎をさらった。
 弥七郎の意識がおぼろげながら戻り始めた。刹那、皮膚に当たる風が突き刺さって、寒さというよりも痛さといった方が適切である。体を起こそうとすると、後ろ手と足首が縛られているのに気付き、見た事もない粗末なぼろ布一枚だけを石地蔵にかぶせるように着せているに過ぎない。さらに目の前では、さっきまでつけていた上下が奪われていた。
「気が付いたか」
 十郎次が弥七郎に言った。
「ここは」
「ここか。ここは守山城の近くだ」
 十郎次は粗末な飯を炊いているようであった。水臭い匂いが弥七郎の顔を歪めさせた。
「そうだろうな。お前らのように生まれつきがいい人間はこんなもんは食いやしないか」
 十郎次はそう言うと、石公を呼び、茶碗に注ぎこんでいく。石公は何度も息を吹きつけて熱を覚まさせながら、何度かかきこむと、まだ熱かったようで、しばらく我慢している。
「私をどうしようというのだ」
「どうもしやしないさ。お前は今からあいつだ」
 と十郎次は玉杓子で石公を指した。
「私は、松平清康が家臣、阿部弥七郎なるぞ。このような真似をして。……」
「わかってんだよ、そんな事は!!」
 十郎次は弥七郎の声を大喝して遮った。弥七郎は尚も何か言いかけるが、口をつぐんだ。
「俺達はお前が仕えるお館を殺すのさ」
「織田方の手の者か」
「まあ、そんなところだ。で、お前はここでじっとしてもらうのさ」
「そのような事が出来ると思うか。おぬしらのような連中が紛れ込めたとしても、すぐに露見するぞ」
「俺がやるんじゃない。あいつだ」
 十郎次の向こうにいる石公の姿を見た。
「お前、あいつと瓜二つなのさ。何となく分かっていたんじゃないのか。己にそっくりな人間が目の前にいるって事をさ」
 確かに弥七郎が捕まる前の石公を見た時、弥七郎は何とも言えぬ奇妙な感覚になっていた。直感的に、
 ―― 同じだ。
 と感じたのである。無論、これは石公にも言えたことであるが、全くの他者ではない、一種のシンクロシニティを互いが感じたのである。
「それほどの二人が入れ替わったとして、誰が気づくと思う?他人なんて、そんなもんさ」
 と、十郎次は言う。そして石公の所に向かい、暫く話し込むと、石公はあばら家を出て行った。
「守山城に潜り込ませるのさ」
 十郎次の目は小さくなる石公の背中に向いていた。

 石公が守山城についた時には、雲によって遮られていた恒星の一群がはっきりと影を作っていた。
 守山城の表門にはすでに篝火が焚いてあり、見回りの兵が巡回をしている。石公は少し離れて人目のつかぬところにまで戻り、土道で転がりまわって服を汚し、顔にも少し泥を付けると、腰の定まらぬように千鳥足でふらつきながら近づくなり、
「阿部、弥七郎でござる」
 と息を切らせつついった。すでに弥七郎の消息が絶っていた事は知らされていた為、城内は上を下への大騒ぎとなった。清康は弥七郎の生還を我がことの様に喜び、
「すぐに通せ」
 というと、寝間着のまま広間に向かった。
 広間では汚れたままの石公が平伏している。清康は丸くなっている背中を見遣りつつ、上座に座った。
「よう無事であった。表を見せい」
 石公は恐る恐る顔を上げた。信頼できる十郎次が言ったとはいえ、簡単に入れ替わられるとは思っていなかったからである。清康は石公の顔を覗き込むなり、
「少々、顔に泥がついておるが、間違いない、弥七郎じゃ。して、どこにおったのだ」
 石公は震えている。これほどの大それた作戦だったと、今さらながらに現実味が体を侵食し始めていた。
「どうした」
「じ、実は、織田方に捕まっておりました」
「織田方にか。して、織田はどこにまで迫ってきておる」
「すでに那古野を発し、この城に」
 無論、嘘である。信秀はそのような動きを見せておらず、そもそも那古野に信秀はいない。だが清康は、
「そうであるとするならば、一戦に及んで那古野を奪うか」
 そういうなり、清康は
「明日払暁を待って、一気に那古野を攻める。支度せい」
 と命を発した。

 翌十二月五日である。
 守山城の清康の軍一万は、すでに支度を終えていた。
「殿の馬はまだか」
 家臣の一人が未だ来ぬ馬に苛立っていると、馬の嘶きが冬の晴れ空に響き渡った。家臣たちが不審に思い持ち場を離れて見に行こうとして、清康の周りは手薄になった。
(十郎次だ)
 石公は咄嗟に勘付いた。ここで清康を殺せ、という事であろう。
「何事か」
 清康が石公に背中を見せた。刹那、石公の佩刀が清康の背中を割った。ぎゃっ、と清康は絶叫して振り返る。
「弥七郎、乱心したるか」
 清康は大刀を抜いたがすでに力は入らず、今度は下腹を刺し貫かれた。清康の口から血塊が噴き出、石公の頭に降りかかってくる。
「おのれ!!」
 異変を聞きつけた植村新六郎は抜きざまに石公の胴を割った。
「十郎……次」
 石公の最期の言葉であった。
 松平清康は即死。阿部弥七郎となっていた石公もその場で討ち果された。
 この後、三河における松平家の影響力は凋落し、清康の嫡男である広忠は、嫡男である竹千代を今川家に人質に出すなどして漸く滅亡の危機を免れることとなり、松平家が再び栄光の道に戻るには、桶狭間を経て凡そ三十年の時間を浪費せねばならなくなったのである。

 清康暗殺の一報を聞いた信秀はすぐに、
(あの忍者崩れか)
 十郎次の仕業である、と直感的に思った。案の定、十郎次が古渡城にやって来た。
「ようやったな」
 信秀の表情は全く変わらない。十郎次は、
「お約束を覚えておいでか」
「約束?」
「仕官の事でござる。松平清康を討てば、仕官が出来る、と」
 確かに信秀は言ったが、信秀の中では出来るわけがないと高をくくっていたこともあり、言うなれば安請け合い程度でしかなかったが、しかし成就している以上、抱えぬわけにはいかない。
「ああ、言った。小姓か、足軽か。大将というわけにはいかぬが、その程度ならば抱えてやらぬでもない」
(軽すぎる)
 十郎次はそう思った。恐らく石公はすでに殺されているであろう。弟分一人を死なせ、さらに己ひとりだけが立身するのであるから、せめて足軽大将か母衣衆ほどには召し抱えてもらわねば割に合わない。
「だとするならば、ここでは抱えられんな。それほどになりたければ、武功を積め。そうすれば抱えてやる」
 信秀のいう事は至極真っ当である。十郎次の握り拳が震えている。
「それが嫌であれば、他の家に行け」
 信秀の背中を見た十郎次はとびかかった。しかし、蠅を叩き落とされるように十郎次の取んだ体は腹から横一文字に血を吹き出しながら地面に叩きつけられた。
「それを始末しておけ」
 騒ぎを聞きつけた小姓たちにそう言い捨てて、信秀は部屋に戻っていった。

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