雷 第十三話

戊午の密勅によって未遂に終わった政変を、大老に就任したばかりの井伊掃部頭直弼は見逃すはずもなく、大老の権力を最大限に駆使をした独裁政治をおこない始めたのである。
 自らの手で将軍継嗣問題を終結させた後は、発覚した戊午の密勅の対応を始めた。無論、天皇を幕府が裁けるはずもなく、また幕府と近しい中であった公家たちも遠ざけられたとあっては手出しをすることも出来ず、直弼は先ず諸大名から手を付けた。
 戊午の密勅に絡んだ徳川慶篤を初め、その弟でありかつ将軍継嗣問題で対立した一橋慶喜、さらに慶篤と行動を一緒にした尾張徳川慶勝、福井松平慶永(後、春嶽)をはじめとする対立した大名を悉く隠居、謹慎処分にした。
 これだけにとどまらず、直弼は攘夷派の弾圧に舵を切った。
 飯泉喜内という名前は知られていない。
 元は渡辺六蔵という名で、常陸土浦土屋家で農政官の仕事をしていたのだが、幕末の風雲急を知るや、脱藩して江戸に向かった。そこで浅草の豪商である某のもとに身を寄せ、そこで商売を学ぶと頭角を現し、店を持つようになった。さらに、一人娘の為に婿を迎えた。それが旗本付の侍医をしていた飯泉春堂という人物であった。さらに六蔵自身は娘婿の姓を名乗って飯泉喜内と名を改めたという何とも奇妙な男であるが、この男はそれだけにとどまらず、今度は三条家の家人になるや、京に拠点を移していわゆる「志士活動」を始めた。つまり、この奇妙な男が所謂「勤皇志士」という者の先駆けとなったのである。京では攘夷派の公家や地下人などと交わって活動をし、それは江戸に戻っても精力的に交流を深め、その中には梅田雲浜や橋本左内といった、攘夷派の中でもとりわけ旗頭のような人物と関係を持った。
 ところが、ロシア人との接触の嫌疑がかかり、下田奉行配下の大沼又三郎という者に捕まってしまったのである。その後の家宅捜索において、先の左内や雲浜といった者などとの手紙のやり取りが証拠として挙がり、これが直弼の耳に入ったのである。
 ―― 小癪。
 と考えたのであろう、直弼はすぐにこのうちの一人であり、戊午の密勅に深く関与した者として、梅田雲浜を京において捕縛したのである。これが端緒を開き、攘夷派の志士、とりわけ戊午の密勅に絡んだ志士階層を悉く京において捕縛し、江戸に送るという一種の押出運動のようにして、攘夷志士を摘発した。この時の摘発者(逮捕拘束にまでは至っていないが)の中には皇族まで入っていたのである。さらに、違勅条約を結んだ責任を堀田正睦、松平忠固に押し付けて詰め腹を切らせる恰好で幕閣から追い出し、自らにちかい間部詮勝、松平乗全、太田資始を起用すると、更に強権体制を作り上げ、攘夷派の粛正に入った。
 この事を当時は「飯泉喜内初筆一件」と呼ばれた。この「一件」は雲浜を初め、橋本左内、頼三樹三郎、そして吉田寅次郎松陰等が捕縛、将軍継嗣で対立した一橋慶喜、松平春嶽などが隠居、謹慎となり、その範囲は皇族である久邇(中川)宮朝彦親王にまで至った。この膨大といえる処分の多さ、範囲の広さは他の事件を圧倒している。それだけではなく、獄死、刑死、斬首などといった苛烈さでも群を抜いており、恐らく日本の歴史上、これほどの政治思想弾圧事件は他にないであろう。
 この事件は後に「安政の大獄」という名前に変わり、現在に至っている。
 さて、十兵衛が観音寺屋において商売を覚え、自らの意外な才能の驚きながら、他方この激しく揺れ動く大きな地殻変動に対しては全くの無力で、いうなれば台風相手にトタン板を立てるが如き虚しさを感じている。幕末という時代の裂け目に入り、無名の若者たちは文字通り身命を賭して戦っているのに、自らは出来ないでいる。というよりも、その舞台を遠くの二階席から眺めているように遠く感じている。
(何かできることはないか)
 自身が世を動かす大きな力を持っているわけではないが、せめてその手助けが出来るならば、そうでなくとも同じような年頃の者が自らの身を顧みることなく、救国の為に命をなげうっているのに、自分は商売をしている。この落差が、十兵衛に劣弱意識として常に腹の底を這いずり回っているのである。
 そのような中にあって、江戸の空気が鉛の天井を吊るした様に重く、見ているだけで凝りと吐き気を感じるほどである。実際、京から送られてくる政治犯は毎日のように江戸市中を練り歩き、伝馬町に連れていかれるのである。無論、十兵衛もそれを幾度となく見ているが、どの連中も、悔いたり泣き喚いたりするような事はなく、むしろ泰然として堂々たる振る舞いであった。それが、十兵衛の心底をさらに揺さぶるのである。
「貴殿も、何か感ずるところがあるのか」
 隣から声をかけられた。怪しんで隣の男を見た。
 擦り切れた笠をかぶって小袖に仙台平の袴をはいているが、どれも朽ちてしまっていて汚れている。表情は温和で、いかにも寺子屋で読み書きを教えそうな雰囲気のある人物であるが、目の奥底には信念、あるいは頑固といったような揺るがぬ鉄柱のような意志を秘めている。
「武士ならば、感じなければならぬ」
「私を武士と見ますか」
 男は笠を上げて、ゆっくりと頷いた。
「少なくとも、その挙措においては、武士とお見受けしたが、手前どもの測り間違いか」
「いや、正確に申せば、浪人でござった。が、今では食うために商人に身を置いている始末でござる」
「喩え商人に身をやつそうが、魂まで売り渡しておらぬのであれば、貴殿は立派な武士でござる。故に、ここに居られるのであろう」
 男の、冬の中の灯のような暖かな声に感じ入った、十兵衛は、
「……貴殿の姓名を承りたい」
「故あって名は明かせぬが、この国を憂いている者。願わくば、昵懇に願いたい」
 嘘はない、と判断した。別段の論拠があるわけではなかったが、いうなれば直感的に信ずる人物である、と十兵衛は踏んだ。
「それがしは、そこで薬種問屋の手代をしている楠十兵衛と申す者。もし、ご入り用であれば、観音寺屋といえばすぐに分かり申そう」
「観音寺屋でござるな。では、これにて」
 男は笠を上げたまま、会釈をするとそのまま空を見上げた。やはり、鉛の蓋がかけられている。
「雪か雨か」
 男はそうつぶやいて、去った。
 十兵衛は観音寺屋に戻ると、そのまま宛がわれた部屋に帰った。部屋は四畳半の簡素なもので、立てかけた刀があるだけである。書物の類もなくただ布団が端の方に折りたたんで置いてある。意外と清潔に保たれているようである。
 十兵衛は部屋の中央に寝転がると、そのまま天井を見上げた。無機質な天井の模様がいわくありげに見える。
 十兵衛は男の事を考えていた。
(恐らく、攘夷派だろう)
 もしそうであると、思わぬ知己を得たかもしれない。だが、自分が描いている攘夷派は、過激でいうなれば抜き身の刀に服を着て歩いているような印象を持っているだけに、男の姿動作は意外なものであった。
 鉛色の空から落ちてきたのは雨で、最初は甕についた水滴が地面に落ちるようであったのが、次第に強くなり遂に一寸先すらも遮断されてしまった。この雨を見ると、十兵衛はあの雷の日を思い出すのである。
 よもや、自分が刀を置いて商売の手助けをすることになるとは思いもよらず、
(おみよが見ていたらどう思うだろうか)
 と考えるにつれて、何やら鬱々とした気分になっていくのである。それが詮無い事と分かっていても、やはりあの地震と妻子を喪失した哀しみはその理性の頭上のはるか上を飛来して、十兵衛の前に立つのである。

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