雷 第六十五話

徳川慶喜を中心にもう少し舞台を回す。というのも、此処から起こる出来事の中心人物は間違いなく慶喜だからである。
 慶喜が大坂に下ってロッシュと引見するのが七月二十五、二十六日と頻繁に会っている。
「ショウグン」
 と、ロッシュは慶喜の事を敬意を込めてそう呼んでいた。ロッシュはアラビア語ほど日本語が堪能ではない。むしろ、日本語という世界でも少数の孤立語で、表現がどうとでも変化する川のように難しい言語を苦手とした。その為、前述している塩田三郎を小姓の様に従わせながら通訳を確保していた。
「神戸開港が実現に至って、漸く我らも一安心いたしました」
 という事を、塩田を通じて言った。
「障害も多かったが、こちらの思惑通りになってよかった。結果的に四侯たちを出し抜いた形となってしまったのは聊か残念ではあるが、仕方ないだろう」
 四侯というのは土佐藩山内容堂、宇和島伊達宗城、越前松平春嶽、薩摩島津久光からなる、慶喜のいうなれば諮問機関のようなものであったが、実際には幕府と後新政府の主軸になる四侯との政治的駆け引きの要素が強いものであった。
「我らはどういう形であれ、期限までに開港が出来ればそれでよろしいのです。それに、ショウグンからしてみれば、四侯とかいうものは邪魔ではなかったのではありませんか」
「邪魔ではないが、あれは駆け引きの道具だ。そのような事をしている状態ではないことはよく知っているであろうに、どうにも手綱を握りたいらしい」
 慶喜はほんの一瞬だけ眉をひそめると、そういえば、と話題を変えた。
「貴公の国の軍船が来ているそうだな」
「ええ」
「見てみたいものだ」
「では、そのように用意いたしましょう」
 ロッシュは部下に次第を告げると、
「ショウグン。では参りましょう」
 行き先は大坂天保山である。
 天保山に停泊をしている仏艦に慶喜が乗り込んだ。薄群青の空を、時折糸より細い雲が幾筋か分断している。
「ロッシュ公」
「何でしょう、ショウグン」
「幕府はもう持たんかもしれん。貴公のこれまでの過大といえる支援に、余は何といって報いてよいか分からぬほどである。篤く礼を申す」
 慶喜は真っ直ぐにロッシュを見つめながらそういうと、ロッシュは
「まだ終わっていません。ショウグンには我らフランス帝国がついています。いくら、パークスがサッチョウに肩入れしようとも、我らがいる限り、バクフはアンタイと思っていただいてよいのです」
 ロッシュのこの言葉はフランス本国の正式な答礼ではなく、ロッシュの個人的な約定といってよかった。それほど、ロッシュは幕府に肩入れをしていたのである。幕府というよりも、慶喜個人に対しての肩入れというべきであろう。
 慶喜もまた、ロッシュとの交誼には日本とフランス、という外交的なものを越えた、年の離れた友人のような感覚を持ち合わせていた。恐らく、慶喜にとってみれば四侯よりもロッシュのほうを頼みとしていた。実際、慶喜の味方はというとこのロッシュを置いて他になく、薩長は倒幕にすでに動き、会桑の二藩も味方ではあるがどちらかというと家臣のような性格に近く、胸襟を開いて話すことができるという事でもない。そういう意味では国内に味方は皆無に等しく、慶喜は孤高であった。その孤高を救ったのが異国の人間であるというのは何とも皮肉な事である。
 慶喜とロッシュはそのまま船長室に入った。
 船長室には応接用の寝椅子と卓が置いてある。
「二人にできんか」
 慶喜は願うと、塩田を残して他の者は全て船長室を出た。そして、
「公は、なぜそこまでして幕府に味方をしてくれるのだ。とうに幕府の威光は地に落ち、勢いは薩長にあることはすでに分かっているであろうに」
 と、だしぬけに尋ねた。ロッシュは少しはにかみながらも頭を振り、
「確かに、バクフの威厳は衰えています。ですが、先ほど言った通り、まだ終わったわけではありません。我らがショウグンに味方をすれば、必ずバクフは勢いを取り戻します」
「勢いを取り戻させると見せかけて、事実上の植民地にしようという肚積りか」
 慶喜の言葉にロッシュの顔が固まった。
「図星か」
「……我がフランス帝国がそのような意志を持っていないわけではありません。バクフに味方し、外交を我らに有利に進めようとしていたのも事実です。ですが、植民地にするのは違います」
「どう違うというのだ」
「我らはあくまでバクフとは友好な関係でありたい。その為に必要な事を助けているに過ぎません」
「だが、落日といえる幕府のこんにちの状況を鑑みるに、仏は見捨ててもおかしくはない。もし余がフランスの将軍であれば、すぐにでも撤退させるはずだ。恐らくそのような命令がでていてもおかしくはない。だが、貴公は単なる軍事だけではなく、幕府を盛り返すための進言を行ってくれる。それは、本国の命であるか」
「いえ」
 慶喜は不思議そうな顔をした。本国の命でなければ何であるというのか。
「これは、私個人によるものです」
「それでは、貴公は本国の命に背くことになるぞ。それは許される事ではあるまい」
「確かに、本国の命令違反です。しかし、私はショウグンの才能に賭けたのです。ショウグンであれば、もう一度やり直すことができる筈だ、と。私はショウグンのような果断さを好みにしている」
「単なる剛情であるぞ」
「為政者というものは時に決定を自らの責任において下さねばなりません。そして、その決定に揺れがあってはいけません。ショウグンはその両方が出来る人です。だからこそ、私はショウグンに賭けたのです」
 ロッシュの目は真剣であった。慶喜にとって、このロッシュの言葉は飢渇した体に染み渡る岩清水のように、慶喜の精神を潤した。
「……余は京に戻る」
 慶喜が京に戻ったのはそれから二日後の七月二十八日である。

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