雷 第二十四話

米英仏蘭の連合艦隊が馬関に到達したのは八月五日の夕刻を過ぎた頃で、連合艦隊の号砲とともに、弾丸の風が猛威を振るった。この馬関戦争は、前年に続いて勃発し、正確に言うと第二次馬関戦争という事になる。この馬関戦争は文字通り波に揺れる小舟が弓矢で空母に立ち向かうようなものであった。
 フリゲート艦から発射する百十ポンド砲のアームストロング砲は間違いなく馬関の岸壁と砲台を削っていき、轟音が響くたびに砲台が砕け、長州の軍隊である奇兵隊は撤退し、戦争というよりは見せしめのために嬲っているような悲惨な有様であった。
 十兵衛はその中で必死に後方で雑事をしたり、あるいは上陸してきた外国兵に立ち向かったりして奮戦していたが、元よりかなうはずのない戦争の中にいて、
「負けた」
 と呟いた。自分たちが「夷狄」といって蔑み、「斬ればすぐに出ていくだろう」といってたかをくくっていたその外国人は、勇敢であり獰猛であった。それだけでなく、その上陸部隊を掩護する海上の要塞は堅牢であり、射撃距離も砲台のものと比べれば大砲と豆鉄砲ほどの開きがあった。のみならず、整然と行動をとる英兵に対して、奇兵隊はぜい弱で、作戦行動意識に格段の差があった。要するに手も足も出ないのである。
「だが、何とかなる」
 十兵衛は攘夷を捨てる事が出来ない。あの日、桜田門外で起きたあの衝撃が、数年以上経っても尚、十兵衛の四肢にかぶりついて離れないのである。その点、高杉は
「負けじゃ、やめじゃ」
 とすぐに攘夷を捨てたのである。
 恐らく幕末の尊王思想が大きく転換したのはこの時であろう。長州は思い知ったのである。
「今まで攘夷攘夷と言っていたが、何のことはない、あれは餓鬼の言葉遊びよ」
 つまり、子供が空想の世界の中で英雄になって悪者を退治するようなもので、全く夢想の中にしか攘夷は存在できない、という事が馬関の壊滅、という現実と引き換えに思い知ったのである。高杉はそれを知った。
 では、長州藩の全てがそうだったのか、というとそうでもなく当時英国から戻っていた伊藤俊輔(後、博文。初代内閣総理大臣)と井上聞多(後、馨。初代外務大臣)の二人だけはこの無謀をよく理解していた。英国に戻り、折衝をするのはこの馬関戦争を止めるためであった。
 だが結局は馬関の惨劇という現実によって尊王攘夷の虚しさを漸く理解したのである。そうなると、一藩全土が一色に染まりやすいこの長州藩が大きな方針転換をするのは容易い事であった。
 五日に始まったこの戦争はたった三日で終結に向けた動きを見せた。
 講和にあたっての代表は高杉になった。彼は宍戸刑部という名前を用いて、連合艦隊総司令官であるオーガスタス・レオポルド・キューパーの乗艦する旗艦、ユーライアス号に入った。
 キューパーは、艦隊総司令官というよりも、どちらかというと大陸との交易会社を経営しているような、落ち着いた雰囲気の人物で凡そ軍人とは程遠いように見えた。
 一方で高杉は烏帽子に大紋の礼服という古来に則った形での正装でもって臨んだ。
 この時、高杉はいつも以上に胸を張り、言うなれば背伸びするくらいの心持でもって設けられた応接室に入った。無論、単身ではなく伊藤俊輔と井上聞多を通訳にしての交渉である。その中、伊藤は
「必ず彦島を取りに来る。高杉さん、そうなったら。……」
「分かっとる、分かっとる」
 といって伊藤の話を打ち切ってしまったのである。
 一方、英国側はキューパーと通訳であるアーネスト・サトウが待ち構えていた。
「失礼いたす」
 高杉はゆっくりとドアあけ、そのまま一礼をすることもなく交渉テーブルについた。
「それがしが、家老宍戸備前の嫡男である宍戸刑部でござる」
「私は、連合艦隊総司令官オーガスタス・レオポルド・キューパーである」
 ということをサトウを通じて聞いた。
 高杉は敗者である。にもかかわらず、どこかキューパーを見下しているような空気を作り出し、何かが動けば今にも食って掛からんばかりに相手を睨み付けている。そのさまをサトウは記録の中で、
 ―― 魔王のようだった。
 と述懐している。かと思いきや、交渉は思いのほかはかどり、

 賠償金三百万弗のの支払い
 下関海峡の外国籍船の自由通行
 石炭、食料、水などの必要品の売渡
 緊急時の船員の上陸
 馬関砲台の撤去

 というこの五条件を、水を飲み干すかのようにさらりと飲んだ。ただ、
「賠償金については幕府が支払う事」
 という付帯事項はついたが。
 これには少し説明を要する。
 というのは、そもそもこの「攘夷決行」を願ったのは孝明帝であり、それを「五月十日に決行」としたのは幕府である。所謂第一次馬関戦争は、文久三年五月十日に決行されたのはそうした背景があり、そこから今の講和に至っている現状を見れば、聊か強引なきらいはないもでない(むしろ強引過ぎる論理かもしれない)が、長州が「幕府の命令に従った」という理屈は成立しないもでもない。更に現実的な問題で言えば、三百万弗という賠償金を、大藩とはいえ三十六万石の一大名が支払うことなどできるわけがなく、その点は英国もよく理解していた。故に幕府が支払うという形で落ち着いたのである。とはいえ、幕府からすればとばっちりもいいところではあるが。
「そして、最後の条件だが」
 とサトウを通じてキューパーが言った。
(ほうら、きた)
 伊藤はすかさず身構えたが、高杉はそれでも傲然としている。
「下関の彦島を租借地として引き渡してほしい」
 サトウは高杉の顔色をうかがいながら話した。高杉はまるで鼠を睨み付ける獅子のような表情で、
「ノー」
 と英語で言い放ったのである。そして、
「そもそも、彦島を御存じない」
 と切り出して、朗々と古事記から諳んじ始めたのである。
「彼は何を言っているのだ」
 キューパーはさすがにこれには困惑して、サトウに尋ねたが、この日本語に習熟し、親日かつ知日であるスラヴ系の青年もこの時ばかりはどう通訳して良いか分からず、ただ
「とにかく最後に訳します」
 とだけ言って、メモに努めた。そのメモが追いつかぬほど、高杉の口はますます回り、傍で見ていた伊藤と井上ですら呆然と見つめていた。
「……つまるところ、彦島は神州の土地の一つ。異人の為に開放は出来ぬ」
 と言って漸く終わった。キューパーは再びサトウに尋ねた。
「彼は、国の歴史を語っていたようです」
 とサトウは言ったが、メモをしていた紙は途中で丸めてしまっていた。
 キューパーは
「それならば結構。彦島は諦めよう」
 とすんなりと承諾したのである。
 交渉はすべて終了した。
「司令官、それでよろしいのですか」
 サトウはキューパーに尋ねた。詰め寄ったつもりはなかったが、キューパーは厳しい表情で、
「あれ以上延ばせば、今度は何をしでかすか分からん連中だ。それに、あのシシドという男は面白い男だ。ああいう男は味方につけるに限る。敵に回して、もしフランスに与されてしまえば、我々とて苦しい立場に立たざるを得なくなる。そうなれば、このジパングとフランスの二か国を相手にしなくてはならない」
 といって、司令官の席に座った。
「しかし、この国はまだ未開です。そこまでの力があるとは」
「いや、ある。噂に聞いた話だが、ペリーが開国を迫った後、数年で船を物にしている。彼らの吸収力は凄まじいものだ。そのような連中をみすみす相手に渡し、脅威になるくらいなら味方につけておけばいい。恐らく、オルコックもそう考えるだろう」
「とても大英帝国の提督の言葉とは思えません。誇りを持つべきです」
「与するにたやすい連中ならば強引にいったさ。だが、あのシシドは並の男じゃないさ」
 キューパーは声をあげて笑った。実に楽しそうな笑いであった。
 こうして彦島の割譲問題は終わった。後年、博文と名を改めた伊藤は、
 ―― もし、あの時高杉さんがやってくれんかったら、今頃どうなっていた事か。
 と感慨深く話していたという。
 無論、この話はある程度の事実はあるものの、実際に彦島を割譲するかどうかの交渉の記録自体は残っておらず、恐らくはキューパーが交渉に乗せていなかった、ある意味では意地の悪い駆け引きであったかもしれない。「もし出来るならば取っておこう」という程度で、ある意味では戦利品として考えていたのであろう。だが、高杉はこれを傲然と撥ね退けた。もしこう考えられるならば、後年の証言のみが残ったとしても不思議ではない。
 少し話がそれた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?