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絵本のなかに迷い込んだような喫茶店



ちいさな白い扉が、ちいさな裏路地にあった。傍らにセンスの良いグリーンがそっと添えてある。
元からなのか私が見落としたのか──看板ひとつないけれど、ここが探していた喫茶店なのらしい。
両開きの扉をそっと押すと音もなく開いて、外の眩しさと店内の薄暗さの差異にはっとさせられる。
ここから先は異なる世界です、との合図のように。



途中下車の旅


時々、気まぐれに途中下車の旅をする。
なんのことはない、電車に乗って降りたことのない駅で下車し、駅周辺を特に目的なくふらふら散策するというものだけれど、私はこれが好きで不定期にやっている。電車に揺られている時間も含めてストレス解消、創作脳への刺激、小説の取材にもなる。いい気分転換なのだ。


先日偶々たまたま降りた駅で、印象的な喫茶店との出会いがあった。


その日降りたのは中規模な駅で、駅前にどんっとショッキングピンクの看板眩しい古びたイオン(ジャスコ感強め)がある他は、特に目立つ店もない。周辺はささやかな観光地になっていて、黒い瓦屋根の昔ながらの商店や蔵が多く建ち並ぶ古き良き街並みといった趣きだ。

午前中は周辺をぐるぐる歩き、お昼になったので神社でお昼を食べてひと休みした。
午後はなにしよう、と地図アプリを眺めているうちに、カフェ巡りをしようと思いついた。なんとなく好みそうな雰囲気の店を見つけ、そこに行ってみることに。いざ出発!



アプリの道案内が親切なので目的地周辺まではおおよそスムーズに行けた。問題は、目的地までの数メートルだった。
ルートが示すのは、本当に入っていいの? と足踏みするような細い狭い路地。目的地のピンはその路地の中ほどを指し示している。舗装もされていない、私道のようなそこを半信半疑で進む。
次々と現れるのはガスメーター、家の裏口、キッチンの窓……。立ち並ぶ家々の裏側ばかりが集まっている超絶プライベートな生活空間に、文字通り勝手に土足で踏み込む私。

え、道間違えた?
これ入ったらまずいところでは? 

でも案内に忠実に従うとここになるんだよなぁ、おかしいなぁおかしいなぁと謎の罪悪感に包まれながらてくてく歩いて、とうとう裏路地を抜け切ってしまった。

アプリを見ると、やはり私は喫茶店を通過してしまっている。困ってスマートフォンの画面を何度も確認していると、後ろからお兄さんがやって来て路地の奥に消えていった。
と思いきや引き返して来た。

「あの、カフェ探してます? 」

「ハ、ハイ」
「案内しますよ」
えぇ〜?! もしかして、そのために戻って来てくれたんですか?
「ありがとうございます……! 」
というわけで親切なお兄さんにカフェの白い扉の前まで導いてもらった。
もう一度お礼を言ったらお兄さんはすっと会釈して、すっと路地の奥へ消えてしまった。なんてスマート。こんな事ってある? こんな親切な人っている? お兄さん、何者……。ありがとう、ありがとう。


店内へ

余韻が残ったまま、私はカフェの扉を押した。
まず薄暗さに驚きつつ、こんにちはぁと囁きながら恐る恐る店内に入る。

ひとことで言えば異空間だった。

中は外観から想像していたより広めだ。左奥に薪ストーブの暖炉が燃えている。暖炉のそばに小さな本棚。それから所々にともるオレンジ色の灯り。カテゴリでいえば古民家カフェになるのだろうか。
徐々に目が慣れてきた頃「いらっしゃいませ」と、女性店員さんが二人そろってカウンターの奥からにこにこと顔を出して出迎えてくれた。

Instagramの写真よりスケッチ

制服が素敵!!

生成りのブラウスに白いエプロンドレス、濃色のロングスカート。素材はすべてリネンに見えた。特にエプロンドレスが凝っていて、前は胸の革紐がアクセント、後ろはV字に深く切り込まれている。
着ている店員さんどちらもその服装が似合う可愛らしい女性で、ひとりは二十代、もうひとりは四十代くらいだろうか、存在感がフィクションみたいだ。
まるで酒井駒子さんの描く絵本のような世界観だった。





お好きな席へどうぞ、と言われて改めて店内を見回す。

“お好きな席へどうぞ”感がすごい。

それぞれの席の顔が違う。一番奥まったテーブルはパーソナル感が強くて窓から差し込む光が柔らかくてきれいだし、暖炉のそばのソファ席は一段低くて寛げそうだ。ひとり用の小さな席もある。一番場所を取っているのは中央の長テーブルで、六人分の椅子が並んでいる。どれも個性豊かな席なのに、不思議と統一感があるのがすごい。

ちょうど誰もいなかったので席をじっくり選ぶことができた。私は一番大きなテーブル席の、窓の光が届く端っこに腰掛けた。その角度からもうひとつの席の存在に気づく。押し入れみたいに奥まった空間に電車の席をぶつ切ったようなソファ、テーブルには蝋燭の火が揺れていた。


暗い


テーブルに置かれているメニューは小さな木のバインダーに挟んだ日焼けした紙に手書きで書いてある。

コーヒー

とう… 穏やかな心の燈を灯す 肯定
すい… 静かな心にそっと焚きつけ心の燈を灯す 目覚め


すごいこだわりのカフェだぁ。

まず名前がお洒落だし、コンセプトがあるから気分によってコーヒーを選べるのもいい。他のメニューはお菓子が二種、コーヒー系の甘い飲み物やフルーツジュース、紅茶系のメニューなど。細部までのこだわりは心を躍らせるよね、とウキウキしていると年上らしきほうの店員さんがお水と白いガーゼのおしぼりを持ってきてくれた。

おしぼり 厚みはある


ちっっっちゃ!!


なるほどなるほど、徹底して機能性よりデザイン性、実用性より世界観なのね。OK、そういうの大好きよ……。
しかもあとで気づいたけれど、お水と思っていたものもお水じゃなくてレモン白湯だった。意識高!

ここで少し勇気を出して店員さんに話しかけてみた。

「すごく素敵な雰囲気ですね」
「ありがとうございます。初めてお越しですか? 」
「はい、Googleマップを頼って来ました」
「おぉ……」
変な返答をしたせいで店員さんを困らせてしまう私。

「お店のコンセプトとか、あるんですか? 」
店員さんは少し考えたのち、メニューの一番下を示す。

「ここに書いてある通り、店内は撮影禁止にさせていただいています。今ってなにかとすぐに写真に撮ったりSNSに上げたりするのが当たり前になってますけど、ここではそういうものからはちょっと離れていただいて。非日常を楽しんでいただくというか」

非日常。店員さんの穏やかでゆったりした口調での説明を聞いて、ここがなぜこんな風なのか、とてもしっくりきた。





私はコーヒーの違いが分からない人間なのでカフェオレを注文した。「ラベンダーミルクティ」とちょっと迷ったけれど、まずはカフェオレ。
運ばれてきたカフェオレには、お砂糖がキャンディみたいに茶色のグラシン紙に包まれて添えられていた。
中の角砂糖も茶色だった。

かわいくておいしい



非日常のひととき

甘いカフェオレを飲みながらついきょろきょろと店内を観察してしまう。

異世界な感じなのに、不思議と懐かしい感じがするのはここがもともと日本の古い家だからだろうか。おばあちゃんの家みたいな感覚もあるし、洋館のようでもある。でもやはりそれだけではなくて絵本の世界の実写版のようでもある。窓から差し込む優しい光がとても心地よい。

さまざまな形のランプはひとつとして同じデザインがなく、どれも慎重に吟味して店に迎え入れられた感じだ。ランプだけでなく、家具や小道具は全部そうやって揃えられたんだろうな。ここの雰囲気、めっちゃ絵に描きたくてウズウズする……。


素敵だなぁと思いながらゆったり過ごしていると、若い男の人が慣れた様子で入って来て暖炉近くのソファ席に座った。常連さんらしく、若いほうの店員さんがおしぼりと白湯を持って来てなにやら親しげに話している。どうやら遠方からの人で、たまにこちらに来る用事のときに立ち寄るようだ。

というか、店員さんかわいいな。

お顔はよく見えないけれど、おっとりふんわりした喋り方も、髪型も後ろ姿もかわいい。お洋服のつくりがもっとよく見えるように私の前でひと回りしてほしい。そして絵に描かせてほしい。

ここで集中して小説を書こうと思ったのに、環境が魅惑的すぎてぜんぜん集中できない。

男の人は店員さんと話し終えると、荷物から本を取り出して読み始めた。その姿が様になっている。お客さんまで素敵だ。

そのあとにお客さんがもうひとり。初老の男性だ。

こちらも常連のようで、迷わず私の後ろの小さな席に腰掛けた。再び若いほうの店員さんが対応する。

この人もさっきの男の人も、店員さんを「**ちゃん」とちゃん付けで呼ぶ。可愛らしい雰囲気だし、そう呼びたくなるよねと思っていると、男性と若い店員さんはお店の理念やら経営、新メニューの考案のことなどを話し出す。同業者だろうか。

聞き耳を立てているうちに、このお店を取り仕切っているのは彼女なのだということが分かってきた。

**ちゃん、店主だった……!


てっきり年上の店員さんが経営しているのだと思い込んでいたので、とても驚いた。若いかたは娘さんかなくらいに思っていたから。
確かに一見すると彼女の雰囲気は“ふんわりとした絵本の中の女の子”なのだけれど、おっとりとした口調で話す内容は全然おっとりしていない。頑固さを感じるくらいの、確固としたお店へのこだわりを語る様子から、内面はとても芯のある人なのだなと窺えた。

そうだね。頑固じゃなかったら、こんなにこだわって徹底した世界観をつくることはできないね。

“見つけにくい場所にある店ですけど、辿り着けなくてそこで諦められてしまうならそれはそれだと思ってるんです”

声量控えめにふんわりと、**ちゃんはそんなことを語っている。聞いている男性の「選ばれた人だけが来れる店なんだね」という彼女の意志を尊重するような返答もとてもよかった。

ぽつり、ぽつりとお客さんは途切れずやって来た。どの人もこの空間を楽しみたくてやって来ているようだ。最初の男性をはじめ、読書をしている人が多いのも印象的だった。




お会計をしてくれた年上の店員さんに「本当に非日常でした! 」と伝えて店をあとにした。「またお越しくださいね」と言っていただいたので、また来ようと思う。


帰りの電車のなかで「あれってもしかして“インスタで話題”みたいな店では? 」と思い検索してみたら、アカウントを見つけた。

オープンして一年足らずのお店らしい。僅かな光、景色の変化を掬い取るような繊細な写真は誰が撮っているのだろうか。写真に添えて、丁寧な文章が毎回書かれていた。

衣装から小物、お花や本棚の選書まで作家さんや専門家の方に依頼しているそうで、あの素敵なお洋服はオーダーメイドだったのね! と合点がいった。

“此処はカフェではなく喫茶店と捉えています”

という文面が、お店でお会いした**ちゃんそのものだなぁとにやにやしてしまった。

本棚の選書は詳しい方にセレクトしてもらっているとあったけれど、いつか私の小説が本になったときに置いてもらえたらとてもうれしいなぁ。我ながら私の小説はあの喫茶店の雰囲気にぴったりだと思うんだ……。それに、あそこに来る人たちはとても本を愛しているように見えたから。

絵本のなかに迷い込んだような喫茶店、また必ずお邪魔させてくださいね。




※追記! こちらの方がプロデュースされたお店のようです↓




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