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モータースポーツ

#モータースポーツ #パリダカ #ジムカーナ #A級ライセンス #ユーミン #ラリー #ファミリア #マツダ #RX7 #シトロエン #ラリーサービス

ダカールラリー

車に乗るようになって、心踊らされたのが
当時のパリダカ
そう、
今のダカールラリーはパリから出発したので
パリダカと言われてました。

ヨットのバンデ。グローブもだけど
欧州はこういうイベントを開催する事に
長けているのかもしれませんね

なので、WRCやパリダカ等のレースをよく見る
ようになりました。
当時ユーミンがユーミン号を走らせたり
三菱パジェロがかっこよかったり
もうドキドキしていて、自分もこんな世界に
入れたらいいなとか思っていました。

ユーミンのホライズンを追いかけて
これは私のバイブルソングです


ジムカーナ

当時マツダには仲間たちがあつまって
喫茶店のように使ってました。
今では考えられませんけど。
ちょうどアンフィニーの展開店舗が
出来た頃で
モータースポーツのチームを
FiAに申請して
アンフィニーってチーム作ったんです。
最終目標はA級ライセンスだったので
まずはB級ライセンスを取得して
ジムカーナに出ました。
地方大会でも、FiAに申請が出ている大会は
公式なので
ポイント稼いでA級取れる資格を手にしました。

A級ライセンス

A級ライセンスの試験はFC3S RX7 4台で
富士スピードウェイへ乗り込みます。
筆記試験と実技試験
フラッグを見落とすと即失格
追い越し禁止とかピットインとか

私達チームはRX7でバトル状態でした。

最後に教官が、久しぶりに激しい
模擬レースだった。
と言ってました。
普通試験に来た人は、合格する為に
おとなしく走るらしいです(笑)

憧れのセブンからのラリーサービス

RX7はなんでもない田舎道で
いきなりスピン
おいおい
林檎の木とプレハブを壊して
さよならになりました。

1985年かーー
初代FC3Sだったし

https://www2.mazda.com/ja/stories/history/rx-7/chronology/

次に乗ったのが
ファミリアGT−Ae
マツダスピードがラリー用車両を
一般発売した車です。
クラッチ重かった。

1987年だったのか・・・

https://www2.mazda.com/ja/stories/history/familia/chronology/

これでラリーを目指すのですが
まずはダートトライアル
地元のテレビ局主催の本戦へ
かろうじて繰り上げ走行しましたが

そこで思うのです。

皆明日の事など考えず
アクセルを踏んでくる
時にスピン 時には空中3回転なんて
シーンは普通にあった。

私はこの車が潰れれば
明日会社に行けない
車のローンが払えない

そんな事を考えている奴が
アクセル踏めるはずもなく
限界を感じて居ました。

なので、
友人がBC地区ラリー選手権に出ていたので
ラリーサービスカーにのって関東から北は
けっこう走りました。

一応当時の推しがTeam OKUYAMAでした。

ドライバーのサポートから
夕ご飯の支度まで

ここはけっこう書く事あるので
また書きましょう。

手の届く範囲で

だんだんとモータースポーツから遠ざかりますね
FiA はチームに属さない人の
ライセンス更新をしてくれなかったのです。
今はチームに所属していなくてもいいようですけどね
いくつかチームを代わったりしましたけど
結局続かない感じでね

やっぱり、マツダアンフィニー店で、
ワイワイと遊んでいた時が、
楽しかったのかもしれませんね。

からのシトロエンとの出会いになるのですが
シトロエンの話はまたゆっくりと。

モータースポーネタは沢山あるので
またいろいろ書きたいですが
現在WRC2001第6戦 ケニアが開催中です

ヒュンダイ頑張っているんだなーーとか
やっぱりヤリスが注目・・強いね・・とか
思ってしまいますね。


本日も最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
皆様に感謝いたします。

小さいけどトミカでいいな

やっぱシトロエンが好きだな

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