生命力とは
某俳優の突然の死についてのニュースを耳にして
私はここ数日ずっと考えていた。
当日はあまりにもショックで、主人にも心配されるくらい呆然としてしまった。
「何年か前に舞台観に行ったことがあるんだよ」
と言ったけど、観に行ったことがあるなんてニュアンスは嘘。正真正銘のファンだった。
ここ数年で舞台鑑賞やインタビューのチェックなどをしていなかったものの、やっぱり心の奥で特別な存在だったと思う。
夢だったんじゃないか
明日起きたら、いつも通りの日常で
変わらない姿を目にできるんじゃないか
心のどこかでそれは叶わないことだという思いと
そうあってほしいという願いと
私はこの気持ちを経験したことがある。
実の父が亡くなった時だ。
芸能人の死と父親の死が同じなのかと批判をされるかもしれない。
自分の立場、これからの不安とかそういった面では違うけど
「死」と向き合う瞬間は同じだと思った。
私自身はいつ死んでもいいと思っていた。
人に全てを話せるような生き方をしてきていないし、所々私のしてきた事を知っている人はいても
全てを知る人は1人もいない。
後悔と懺悔と虚しさと、
生きている理由もなければ死ぬ理由もなかった。
どれだけの人を傷つけてきても、それは私の中で死ぬ理由にならなかったんだなと
今思うと図太い。
世間を見てもそうだ、
悪人ほど自ら命を絶とうとしない。
「なぜあんなに愛されている人が?」
それは図太い人間が生き延びているから
だと思う。
いつ死んでもいいと思っていた私に
死にたくないと思わせた存在が息子だ。
遅かれ早かれ親は子より先に死ぬ。けれど今じゃない、私は死ねなくなったのだ。
そう思ったら急に死が怖くなった。
もしかしたら息子がある日突然死ぬかもしれない。この暖かい小さな体を、明日には抱っこできなくなるかもしれない、
そう思ったら胸が張り裂けそうだった。
「その日」は突然来ることを私は知っている。
残念ながら、日頃の行いをお天道様や神様が見てくれているわけではない。
良いことをしたって悪いことをしたって
それはもう最初から決まっている事なんだ。
その日が来ても後悔しないように生きよう、
そんな事は無理なのである。
後悔しないわけがない。そんなの自分に言い聞かせてるだけ。
だから私は何がなんでも死なない、死にたくない。
だから私はもっともっと図太くなる
生きてやる。
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