自分の才能は隠れているものである

 あの「ドラえもん」に登場するのび太が、いつも射撃とあやとり以外はダメなヤツと勘違いしている人(=あまり読まない人)には、「のび太の結婚前夜」で、のび太がオープンタイプのスポーツカーを乗り回しているのを不思議に思う人がいる。

 でもこれ、「ドラえもん」を読み込んでいる人には不思議ではない。「ミニカー教習所」というエピソードでは、のび太は性格が変わったように、いや、本来の性格が出たかのようにオープンタイプのスポーツカーを乗り回しているのだ。「キキキ ボテボテ ブロロロロ」と、擬音からは決して上手そうに見えないが。


 のび太の隠れた才能が出る話で特に好きな「つづきスプレー」、これは一つの場面を描くとその続きを見せてくれるという道具だ。

 のび太(当然のように絵は下手なように描写される)はドラえもんの指示に従って、戦艦大和の舳先の部分を丁寧に描く。そこでドラえもんが「つづきスプレー」をかけて、戦艦大和の全体像を(丁寧に描いたのび太の絵柄で)現してみせる。

 ここでよく考えてみると、「のび太って全体像じゃなくて細かい所のアップならば上手いじゃん」という事になってくる。そこにないはずの波の表現もいい感じだ。


 現実に先んじて「AI手塚治虫」(原稿料はタダ)を登場させた「週刊のび太」では、その辺のすれ違いが面白い。「自分の描いたマンガを載せてもらうには、自分で雑誌を作ればいい」という所までは良かったが、この雑誌で「のび太のマンガ」だけが悲惨な評価を受けてしまう。

 但し、先の「AI手塚治虫」(って名前ではないけど)にマンガを発注するくだりでは、手塚治虫の得意ジャンルはもちろん、構成上都合のいいページ数まで把握しているのにはたまげる。多分ちばてつやにはスポーツマンガ、松本零士には宇宙ものか戦記ものを頼んだのではないだろうか。

 もう少しあとになるが、ジャイアンから「マンガを見る目はある」と言われただけに、編集の方に趣味としてのめり込んだら、うまく行ったかもしれない。

 あるかも知れない才能と、やりたいことの折り合いは、なかなかうまくいかないものだ。

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