SLブーム世代の静かな引退?

 大井川鐵道に行った際に思ったのは、もう、「昔を懐かしんでSL列車に乗る時代」ではないのだという事だった。

 確かに出発前に夢中になって撮影している人は大勢いる。

 でもやはり何かが違う。

 以前行った際にこれはより深く感じた事だが、写真を撮影している人の多くは「珍しいものを、珍しいから撮っている」のである。

 何人も集まった人が「トーマスは何時に来ますか」と聞いてきたが、俺は別にトーマス号を見にここに来ている訳ではないのだ。

 そして現れた異様な姿に愕然とした。比喩でも何でもない。「恐れをなした」が表現として一番近いだろう。通りすぎるまで1枚も撮影していない。

 もう、「SL大集合」をやった「大井川鉄道」ではないし、そんな時代ではないのだと感じた。

 あの頃は、イベントが無くても、ただ、千頭駅構内で「蒸気機関車のいる鉄道」の雰囲気を感じているだけの人が何人も、いや、何十人もいたはずだった。

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 いわゆる「SLブーム」は1960年代後半、おそらく1967年頃に始まっている。これはNHKの機関士一家を追ったドラマの放送時期、映画雑誌キネマ旬報が蒸気機関車特集を続けて出し始めた時期(以後、独立した雑誌となる)からの自分の推測である。

 自分の父の話でも、「普通の人」が蒸気機関車にカメラを向け始めた(「マニア」が蒸気機関車の撮影をするのは「当たり前」であり、「ブーム」とは異なる)のは、御殿場線から近いうちの蒸気機関車引退(最終的には1968年夏)の話を聞いてからだったという。

 それ以前の状況に関しては初期「鉄道ファン誌」に竹島紀元氏が書いているのだが、下関駅でカメラを持っている人は何人もいるのに、もうすぐ引退する(1964年)蒸気機関車を誰も撮影していないという状況だった。

 このブーム前後で何が変わったかというと、おそらく「鉄道雑誌が商売として成立するようになった」である。

 蒸気機関車引退を前に、このブームが終わった時にどうするのかという話がある雑誌に書かれ、読者からは「蒸気機関車が無くなっても、古い電気機関車や旧型国電、地方私鉄、路面電車はまだあるので、私はそれを追いかける」という意見が寄せられたが、おそらく雑誌側が言いたかったのは、「蒸気機関車以外が金になるのか」という事だったのだろう。

 そんな中で蒸気機関車引退前にブルートレイン特集を模索した鉄道雑誌もあった。これは当時の若者層に一定の評価があったようだ。

 旧型国電やブルートレインは、「その次の世代」の追いかけるコンテンツとなった。

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 再び「鉄道ブーム」という言葉が聞かれた頃、今度は一方で鉄道雑誌の売り上げが落ちてきたと言われた。

 紙の雑誌だから云々という話も聞いたが、多分それは全てではない。この「鉄道ブーム」の要素をうまく取り入れる事ができなかったのだと思う。確かに「タモリ倶楽部」的なノリとか、マニアを一歩引いた立場で見る(鉄道関連では「鉄子の旅」あたりから流行った)というのは、紙の雑誌では難しいかもしれないが。

 今も、おそらく「鉄道ブーム」なのである。しかしその核にあるのは、蒸気機関車でもブルートレインでもない。「国鉄車輌」かと思ったがどうもそれでもない。あるとしたら「鉄道タレント」、「鉄道アイドル」、「鉄道ユーチューバー」である。

 鉄道タレントや鉄道アイドルの行く場所に、後追いで行く事から始める人も多いのだろう。

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 鉄道模型メーカーが、引退直前の蒸気機関車の列車のセットを販売したりしている。ただ、これも、「商売にできる最後の時」だからのように感じる。

 確かに分かっているのは、商売の裾野を広げたSLブームの世代は、いずれ消えてしまう事である。

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