芸術はじつにまずい、もっとだせ
「ドラえもん」ののび太のパパは時折説教する。
で、これがのび太に合ったものであるかはともかく(「くろうみそ」なんか良い例だ)、ちゃんと良いことも言っている。
「あとからアルバム」での話である。
のび太のパパは若い頃に画家を目指していた設定であり、恐らく藤子F先生自身が投影されているんだろうけど、「宿題で苦手な絵を描かなければならない」立場ののび太を描くと同時に、「真の芸術とは」というテーマを描く為の役割も果たしている。
もっとものび太って何らかの芸術の才能はあるんじゃないの? って感じがするんだよね。「つづきスプレー」で、ドラえもんからなるべくていねいにって言われた時の海の波の感じとか、「超リアル・ジオラマ作戦」での、「わからないけどよごしてみよう」だけでリアルなウェザリングをこなしてしまう所とか。
まあでも、教科書に出てくるエラい人に落書きしたりするのも、何らかの才能が無いとできないものなあ。
これはヒドいが。
「あとからアルバム」は時間や人物を指定して、過去の写真を手に入れる道具である。しかし、「いつでも日記」の時にやった事を考えると、ひょっとしたら未来の写真も手に入れる事ができるんじゃないの? という感じもしたりする。
そして、のび太も感化される芸術のテーマに出会う事となる。
しずちゃんの風呂上がりである。まさに美しい! 絵は心だ! 一度こっそり真剣にこれをテーマに描いてみたらどうかと思うんだが。
ここで「宿題である」という問題との兼ね合いが出てくる。芸術とは純粋なだけではいけない場合が多いのだ。
しかし、しずちゃんの芸術的な姿を入手する事に没頭してしまう2人。
これ、放って置くと、未来のしずちゃんの芸術的な姿を入手する方向に繋がるかもしれないて思うのだが、そうはならなかったのである。
芸術とはタブーに立ち向かうものであり、別の視点からすればじつにまずいものなのである。
それはともかくこの状況、ドリフの「志村〜うしろ!うしろ!」ではなく、「のび太〜ドラえもん〜前!前!」であろう。
で、当然、
ひょっとしたらしずちゃん、ジャイアンより強いんじゃないの? んで、取り上げた写真はどうなったんだろう。
自分は、こっそり机の中にしまって、時々見ているんじゃないかとも思っているのだが。
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