映画「レイダース 失われたアーク」を考える

 少し前に「古代遺跡のトラップで巨大な丸い石が転がってくるのはいつからか」というツイートがあり、そのほとんどが「レイダース 失われたアーク」の予告編、テレビCMの後に作られているので、(日本では)これが元祖という答えになっていた。

 もっとも、インディ・ジョーンズシリーズは有名無名の映画、小説などのパロディ満載なので、「転がってくる巨大な石」にはさらに元ネタがあるかもしれない(例としてさらに前の「地底探検」が指摘されていた)。

 映画評論家の淀川長治がこの作品を好きだったというのと、批判していたという、一見背反しているような話があるのだが、これは物事の持つ二面性そのものだと自分は考えている。

 いわゆる「映画好き」として、テンポ良い連続活劇を思わせる、しかも名画の(ジョン・フォードの「駅馬車」等)パロディが詰まった作品は楽しめる。でも、「評論家」として、名のある存在になった後の監督には、後進にその立場を譲って、芸術性の高い文芸作品のようなものを作って欲しい。「映画」というのはもっと可能性を持った表現手段だ。(「シンドラーのリスト」や「プライベート・ライアン」はまだ先の話である)
 このような考えだったとすれば、矛盾はしない。

 この話に出てきた「電気紙芝居」という揶揄を言われた人物として、自分が真っ先に思い浮かべたのは、アニメ「鉄腕アトム」をやっていた頃の手塚治虫である。
 手塚氏がお菓子を買ったお礼という形式で見せる「紙芝居」を揶揄だけでなくビジネスモデルと考え、お客にはスポンサーの製品を買ってもらい、そこから収益を得るマーチャンダイジングを行ったという話は、良く聞く所である。

 さて、「レイダース」に話を戻す。この話の「電気紙芝居」(連続活劇)っぽい所の1つが、インディが潜水艦に飛び移って拍手喝采、しかし潜水艦は急速潜行、移動シーンは地図が映って、次に出てきたインディはぐしょ濡れで潜水艦基地にいるというものだ。どこにいたんだお前。

 このおかしさ、多分「わざと」だと私は思う。連続活劇に慣れた年季の入った客には、潜水艦潜行の前あたりで「つづく」の文字が見えているのだろう。ありがちだ。ここでCMを挟むと丁度いい。

 この作品は秘密兵器好きにもフックを持っている。やっぱり強い敵は全翼機に乗っていなきゃならない。「未来少年コナン」のギガントだってそうである(きっぱり)。

 そしてオカルト好きにも、悪役が「あれは通信機だ」という所などがたまらない。「ナチスがロンギヌスの槍を探していた」なんていうのは「月刊ムー」の読者なら当然知っている。
 また、ラストに出てきた倉庫は、本当にああいう場所があるという都市伝説も存在するらしい。

 実は「ドラえもん」の水ビデオコレクションにも、「スター・ウォーズ」、「スーパー(多分マン、クリストファー・リーブ版)」とともに本作がある。藤子F先生もお好きだったんだろうね。

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