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『海街diary』は何故”名作”なのか③ ー描かれて居ないものー
同じ舞台だけど別の世界
『海街diary』は多くのファンが付いてヒット、映画にもなった。自分もこの作品にハマった。誰もが安心して読める名作だと思う。なのだけど、その為に排除されたものがある。
1、『ラヴァーズ・キス』
『海街diary』にハマって『月間フラワーズ』を読んでいたのだが、掲載が三ヵ月に一度なので次を待つのが長い。単行本も読み終わってしまった。他に何か無いだろうか、と思って本屋の棚を見たら、この本が有った。
「海街」がヒットしていたので、それに乗っかって鎌倉の観光名所と、そこのお店を紹介するだけの本。でも、取り合えず買って読んでみたらイキナリ
「海街diary」そして「ラヴァーズ・キス」のストーリーを追いながら すずの暮らす街を紹介します! 『すずちゃんの鎌倉さんぽ』より
と有ってビックリ。「ラヴァーズ・キス」は昔ブックオフで一度立ち読みしただけなので、あまり記憶に無かった。そして『海街diary』がそのスピンオフ作品と当時は知らなかった。なので同じ舞台で、登場人物が重なっているなんて、言われるまで全然気が付かなかった。
「ラヴァーズ・キス」を立ち読みで済ませたのは、あまり好きになれなかったから。
ー里伽子は小学生の頃、先生にイタズラされてた←里伽子の彼氏も昔、母親から性的虐待を受けてた←その彼氏を好きな後輩の少年←さらにその少年を好きな関西人の後輩の少年ー里伽子を好きな同級生の少女←その同級生を好きな里伽子の妹ー最初に戻るー
それが、鎌倉の一つの高校の、先輩後輩の中での話って、そんなアホな、いくら何でも無理やりな設定。
作者が自分でツッコミを入れるレベル。
短編連作の形で、毎回語り手を変える事で、登場人物の謎や、隠している想いとかを、ちょっとずつ明らかにしていく、お話の語り方は上手い。
だけども、今で言う「性的虐待」や「LGBT」のような、「重い」テーマを、小さい世界で、登場人物全員が抱えている話は、良く言えば純度が高いのだけど、読んでいて息苦しい。なので、一度立ち読みして「もういい」と思ったのだった。
『海街diary』と『ラヴァーズ・キス』の舞台が、同じ事に気が付かなかったのは、自分がちゃんと読んで読んでいなかったから。
なんだけど、それだけじゃない。
その最大の理由は、『海街diary』の中に『ラヴァーズ・キス』の色が全く無かったからだと思う。
2、無い事にされたもの
『海街diary』の第一話「蝉時雨のやむ頃」は、元々『ラヴァーズ・キス』のスピンオフの読み切りだったらしい。
それの評判が良かったので、長期連載になった。
『ラヴァーズ・キス』で最初に話の中心となった朋章が、『海街diary』の香田家の二女佳乃の彼氏と言う形で出てくる。里伽子(出て来ない)以前に付き合っていた彼女、という設定らしい。その朋章が『ラヴァーズ・キス』と同じように、夜の海に入水して自殺未遂した話が語られる。けれども、その理由が違う。
『ラヴァーズ・キス』では「精神的に不安定になった実の母親に、肉体関係を迫られる」という、「性的虐待」が原因という、かなりドギツイ話。
それに対して『海街diary』では、「家庭が崩壊して、父親は帰ってこない、母親は家で若い男と浮気している」という「現実だったら」ショックだけど、物語としては良く有るパターン。
ここで『ラヴァーズ・キス』と『海街diary』は、舞台が同じでキャラクターも一部共通してるけど、違う世界、パラレルワールドなのがわかる。
『ラヴァーズ・キス』の「性的虐待」の設定は、「アブナイ話を作ろう」として、やり過ぎな感じがしたので、『海街diary』でそれを無い事にして、良く有る話にしたのは納得できる。
その朋章に憧れるメガネの少年、に惚れる、”オオサカ”というデカい兄ちゃんは風太の友人将志の兄。里伽子を好きになる美樹は、すずの相手役風太の姉と言う設定。でもその二人の”同性を好きになってしまう”という属性は『海街diary』では描かれない。というか物語にほぼ出て来ない。何故だろう。
「同性愛は異常な事ではないので、そういう性的志向を持っている登場人物が出て来て当たり前。お話の中で、殊更その面をクローズアップするのは、むしろオカシイ」という主張が有る。それは正論である。
しかし、現実に、自分の子供が、兄弟が、友人が同性愛者だと知った時、その事に対して”当たり前の事”として”意識”しないでいる事が出来るだろうか。
自分にはその自信が無いし、世の中の多くの人もそうなのでは無いか。
「当たり前の事である筈」という主張が有るのは、今現在100%そうなって居ないからだし。
『海街diary』で、香田家の三姉妹の父親は、家族を捨てて別の女に走って異母姉妹のすずが産まれた。物語の中で、周りは誰もそれを問題にしないし、読者も気にしない。そもそも、『男はつらいよ』の寅さんと妹のさくらも、異母兄妹だし。物語の中では、当たり前に良く有る事だから、読者もそれを意識しないでいられる。
それに対して、登場人物が同性愛者という設定は、未だそんなに当たり前とは言えないので、その事を意識せざるを得ない。作品内に緊張が生まれ、周りがその事をどう受け入れるかという事に、物語の多くを割かなきゃいけなくなる。
風太と将志が、女の子にプレゼントするのは何が良いかという事で、女性雑誌を見て居ると、
将志の兄篤志"オオサカ”登場、ほぼこのエピソードの時しか出て来ない。
篤志はまだ出てくるけど、風太の姉美樹にいたってはこの一コマ(右下に座ってる)だけ。
女性雑誌見てたのが「コンビニでエロ本立ち読みしてた」と言う話に変わって行くが、「中学生男子あるある」の軽い笑い話になってサラっと終わる。
じゃあこれが『ラヴァーズ・キス』でのこの場面
これが、誰かに見られてて「将志の兄ちゃん男とキスしてたぜ」と言う話になったら、「アハハハ」と笑い話に出来るか、
「風太のお姉さん女の子が好きらしい、学校で噂になってるよ」と言われて軽く受け流せるか。「コンビニでエロ本見てた」は軽く笑って流せるけど、こっちは難しい。
『海街diary』は、難しい事考えずに安心できる「人情ドラマ」目指したので、それらは排除された。
3、そして”名作”になった。
そう言う設定が、本当に綺麗さっぱり無い事にされてる。
舞台が同じで、登場人物が重なる作品なのに、前の作品の色があまりにも完全に排除されてる。これは流石に不自然。
なので、描いてるうちに自然にそうなったのではなく、作者が意識して、そのテーマを、絶対に少しも入れないぞ!と決めてやってるとしか思えない。
それは現代の、「ポリコレ」に気を遣わなきゃいけない時代には、結構アブナイ事だと思う。ちょっと位、それを入れといた方が良いかなと、迷ってもオカシクナイ。しかし、そこを妥協せずにやり切った。そこが凄い。結果それは大正解だったと思う。
作品は大ヒットして映画にもなった。(『ラヴァーズ・キス』も映画にはなったが)自分も大ハマリした。
古都鎌倉を舞台に、登場人物が皆善人、そんな世界で四姉妹が自由に暮らす夢のような『海街diary』。それを成り立たせるために『ラヴァーズ・キス』にあった、現代的な「性的虐待」や「LGBT」みたいな重いテーマは、完全に排除された。それによって『海街diary』は、誰でも安心してその世界に入る事ができる”名作”になった。
終わり 番外編が有ります
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