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『海街diary』は何故”名作”なのか②       ー鎌倉の四姉妹ー

『海街diary』が「好き」なところ

これまでの吉田秋生作品。読めば面白いけど、心に引っ掛かる棘みたいのが有って、無条件に好きと言えないところが有った。しかし『海街diary』には”大ハマリ”した。この作品の良い所は何だろう。

 1、舞台が鎌倉

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まず一番は、鎌倉を舞台にしていること。
吉田秋生が幼い頃育って、今も住んでいるらしい。都会では無いが、田舎過ぎもしない場所。「古都鎌倉」と言われるように古き良き日本の伝統が有るように感じさせる土地。神社仏閣、江ノ電、その他観光名所が多く有る。登場人物の後ろに、背景としてそれを描くだけで絵になる。都会の互いに干渉しない殺伐さ、逆に田舎のドロドロした人間関係、どちらとも違う感じがする。安心できる土地の雰囲気。
ここで人が傷つけあうドラマは似合わない。ここで繰り広げられるのは、登場人物が皆善人という、いわゆる「人情ドラマ」になるだろうと思わせる、実際その通りになる。
実際の鎌倉に住む人が、皆善人なんてことは無いだろうが、外から見ると「古き良き日本」が残る場所には、「人情」が残っているのではという憧れが有る。
”寅さん”「男はつらいよ」の舞台、浅草には「下町人情」が有る気がするのと同じ。
しかし、日本橋生まれの小林信彦は”下町に人情など無い”と言いきっている。そもそも浅草は「下町」じゃないとも。
だからそれは、あくまで外の人から見た「幻想」なのだけど、鎌倉にも同じ幻想が有る。
そういうイメージが有ったからこそ、吉田秋生は鎌倉を舞台に「人情ドラマ」を描いた。
そう思うのは、四女すずの親戚が住むのが、同じように”古き良き日本”が残っている「小京都金沢」だから。そして、そこの人達も皆善人。
観光地を舞台にして、登場人物は皆善人というベタな人情ドラマを狙って作っている
若い頃はそういう作品を”ぬるい”と思ったのだが、これが読んでみると実にいいのだよな。懐かしい世界で温かい人達に包まれる感覚が有る。

 2、四姉妹が自由

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二つ目は、四姉妹が自分達だけで暮らしているところ。
元々、子供が子供たちだけで生活する作品が、好きなのだけど。うるさい事を言う大人が居ないので、自分たちで全てを自由に決めることが出来る感じが良い。
そうは言っても、別に自堕落な生活をしているワケではない。特に長女の幸はキッチリとした性格、いい加減な事が許せないキャラで妹たちを仕切ってるから、家の中では皆一応ちゃんとしている。それでも、親から細かい事を言われるのと、姉からではプレッシャーが違う。子供に責任が有る親からの説教は、日常生活全般どころか、これからの人生をどうする、みたいな事にまで及ぶ。姉妹の場合にはそれは無い。その重さが無い分、皆気楽に生活している。
四女のすずは、上の三姉妹とは母親が違うし、一緒に育っても居ないから、姉妹と言っても半分他人。その距離が近すぎない、

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引き取られたすずが「女子寮みたい」という
大人に決められたルールでは無く自分たちで自主管理している、馴れ合いにならない感じ。

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ノビノビと自由なんだけど、キッチリしてるのが、気持ち良い。
子供の頃マンガにハマった理由。それは、現実では親や学校、地元の社会に縛られている子供である自分。そういう自分が、現実の制約を離れて自由になれる感覚、それがマンガの魅力だった。『海街diary』は、それを上手く大人向けの作品にアレンジしている。

姉妹に関わる唯一の親戚の大人が、大叔母さん、祖母の妹で時々姉妹を説教しに来る。

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この距離感「男はつらいよ」でも、寅さんと妹のさくらは異母兄妹だったし、”とら屋”の叔父さん叔母さんは親ではない。人情ドラマには、その距離感が良いのかもしれない。
親子姉妹では無い、近すぎない距離が有る関係。究極的には責任の無い立場なので、むしろ相手に優しく出来る、良い人で居られる。
登場人物は皆善人だけど、ベタベタしない。一歩距離を置いて相手を思いやる。暑苦しくない感じが良い。

 3、葬式・法事・相続

第一話の「蝉時雨のやむ頃」が、父親の葬式に山形(河鹿沢)に行く話から始まる。その後も葬式や法事、相続に絡むエピソードがすごく多い。

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三姉妹の祖母の七回忌に、自分達を置いて出て行った母親がやって来る。(第二巻「真昼の月」
父親の一周忌で再び山形へ。(第三巻「想い出蛍」
すずの母親の実家の金沢で、母親が残した遺産を相続という話に。(第五巻「彼岸会の客」

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海猫食堂のオバチャン登場。音信不通だった弟から母親の遺産を寄越せという相続のトラブル。そして初登場からイキナリ重い病。(第五巻「秘密」

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直ぐに亡くなって、葬式になる。(第五巻「群青」

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再び金沢へ、すずの相続を認めないという親戚が現れて。(第六巻「いちがいもんの花」
海猫食堂のオバチャンの相続の話。(第六巻「逃げ水」
その後は姉妹の恋愛の話、すずの将来の話が中心になって、そっちの話は少なくなる。

10年前位に、母親父親が続けて亡くなって、葬式、相続、一周忌を交互にやった。その後3年位、父方母方それぞれの叔父叔母が、何人か亡くなって、葬式一周忌に出た。人生のある時期、葬式や法事が続くことが有るのだな。自分がそういう歳になって、親や親戚が、そういう年代になるからだが。
吉田秋生も、当然自分より上の世代だから、本人やパートナーの親や親戚、知り合いの葬式法事が続いた時期が、有ったのでは無いか。
その経験が『海街diary』と言う作品を描く動機になって居る気がする。
自分が、そういう時期を経験した事が、この作品に共感した理由の一つになって居る。

 4、時間が流れた

葬式・法事・相続のエピソードが多いのだけど、4姉妹の一番下のすずは中学生、長女のでもアラサーだから、現実ならその世代じゃない。それが続くのは本当はちょとっと不自然。なので、主な読者が登場人物と同世代だったら、そういうエピソードにあまり共感できない筈なので、ここまでの人気は出なかっただろう。

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『海街diary』が掲載された『フラワーズ』と言う雑誌は、”24年組”とそのフォロワーのマンガ家の人達に、発表の場を与える雑誌と言う面が有る。なので萩尾望都が『ポーの一族』の新作を描いている。そういう雑誌だから、読者の多くも、それらを読んできた、それなりの年代の筈。
主な読者がその世代なので、『海街diary』が共感を持って受け入れられた。
『海街diary』には、昔の吉田秋生作品にあった、アメリカンニューシネマ風のスタイルも、リアルな若い男も、男の暴力性に対する怒りも無い。出てくる男たちは皆、女性に頭を押さえられていて、生々しさや、暴力性は全くない。現実の社会を排除して、登場人物は皆良い人という、閉じた世界を舞台にいい話を描いている。
現実の社会や男に対する不満怒りが無くなった。作者の吉田秋生自身が歳を取って「枯れた」部分が有ると思う。
若い頃は、より「新しい表現」「過激な設定」「人間の裏の面をえぐる」マンガを好んでいた。なので、いわゆる「人情ドラマ」は「話が生ぬるい」「登場人物が偽善的」に感じられた。
歳を取ると、昔はぬるく見えた人情ドラマに、良さを感じるようになって来た。
だからと言って、今更『男はつらいよ』ではない訳で、『海街diary』はそういう「フラワーズ」を読むような読者に合わせた、自分の世代の感覚に合った、現代の人情ドラマとして良く出来てるのだと思う。

吉田秋生作品の中で初めて、引っ掛かりが無く、好きと言える作品になった。
1964年生まれの恩田陸も、【少女たちの覚醒】で、70年代少女マンガに交じって、唯一「蝉時雨のやむ頃」を入れたのは、そういう感覚が有ったからだと思っている。                      
                               続く


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