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森卓也が、小林信彦の悪口を書いたことから、色々思った事。     -上ー

 1、『尾張の幇間たいこ

ちょっと前、何時ものように色々な人のツイッターを巡回していると、映画評論家森卓也が作家小林信彦を批判した文章を発表した、というツイートを見た。
小林信彦の、映画小説笑いその他”大衆文化”に関する文章には大きな影響を受けたし、又その文章の中で映画や笑いに関して、信頼できる目利きとして語られる森卓也という人にも関心が有った。
一種の”友人関係”なのでは、と思っていたので、その「友人」の筈の森卓也が小林信彦の批判をしたと言うのに興味が湧いたので、その雑誌を手に入れてみた。
映画論叢59号の巻頭『尾張の幇間たいこ

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ある日、愛知県の森卓也の家に東京の小林信彦から電話が有り、高峰秀子の出たTV番組の感想をイキナリ話し出したと、その時の高峰秀子の態度が悪かったと言うのだが、森卓也はそのTV番組を見ていなかった。
その言葉にムッとした小林信彦が、電話をガチャ切りした、というエピソード。
さらに、中日新聞の担当編集者の葬儀に行くと、会場に来ていた小林信彦が、森卓也の顔を見るや否や別室に連れ込み、フランクシナトラの葬儀がアメリカで如何に大々的に報道されたかを、休みなく語り続けたという話。
(部屋の外から読経がずっと聞こえて来ていた、と言う描写がオカシイ。)
そこから森卓也は小林信彦が自分の事を、好きな時にいつでも相手をしてくれる、もっと言えば”ご機嫌を取ってくれる”ひと、つまり幇間たいこ扱いしているのだなと気が付く。
いやそもそも出会った頃、小林信彦が中原弓彦名義だった昔からそうだった、あの時もこの時もと、色々な思い出話が続く。

 2、B型の品格

周りの状況相手の気持ちに無頓着、自分が話したい時は一方的に話しまくるキャラクターは、完全に血液型B型の人の特徴だな。自分の周りでも突然自分の事を話し出して止まらなくなる人が居て、そうなるとその人自分の中に入り混んで、こっちが見えていないように感じて居たのだが、ある時B型だと分かった。
血液型による性格診断は、科学的根拠がないという事らしいが、自分が若い頃はそれが流行っていたので、その影響を受けている。それで周りの人を診て来て、まあわりと当たって居るのではと今でも思っている。
何より小林信彦自身が、血液型による性格診断にやたら拘っていて、自分は典型的なB型と信じて居るし。

そして他人の感情には無頓着だが、自分が周りから如何扱われるかには敏感な人らしい。

これは石上三登志から聞いた話。満席の試写室で、係員がガタガタ運んできた補助椅子に掛けた小林氏、石上の方を指さして「あ、あんなの❛ ❛ ❛ ❛が座ってる!」。終映後、隣席の佐藤重臣氏が「気にするなよ、あれは僻みっぽいからな」。        『尾張の幇間』より

自分が補助椅子に座らされたのが、気に入らなかった?
そして「オヨヨ」と言うギャグで桂三枝(文枝)ともめた話。

―と言う次第で、オヨヨは小林信彦の創作ではない。なのに当時「(三枝側が)会いたいと言ってきてるんだ」と、得々たる笑顔だった。大阪は東京に頭を下げるべきだ、と確信しているようにも見えた。   同上

ちょっと扱いが悪いと僻み、相手が下手に出ると得意げになる、やたら子供っぽい性格の人に描れている。
そして他人の悪口を大っぴらに言ったと。

白川大作…が、「小林信彦に見せなきゃ」と言い出した。が、反応が無い。永六輔が同席していたからで、当時、小林信彦が永をひたすら悪く行っているのを承知していて、一同聞き流したのだ。       同上

『テレビの黄金時代』とか読むと、小林信彦は、永六輔を好意的とは言わないが、そんなに悪く描いては居ないので、ひたすら悪口言ってたとは知らなかった。
さらに山藤章二とも気まずくなり、森卓也への電話で、山藤章二の悪口も言っていた。それなのに…  

文藝春秋のパーティーだったかで、小林氏が背後から山藤の肩を叩いて話しかけたのを見て、わが目を疑ったものだ。その時の山藤氏の当惑の表情まで覚えている。                     同上

という。
”気付かない、気にしないと言う欠落も、はたから見ているとおそろしい。”(森卓也)
相手の気持ちに無頓着なのは、やっぱりB型。

 3、落語

その山藤章二と気まずくなった切っ掛けが、山藤章二がインタビューで小林信彦に落語の話を振ったら「落語は知りません」と言われたのに、別な所で「私の素養と言えるものは落語です」と言うのを聞いて呆れたからからだと。
この話凄く面白い。小林信彦は子供のころから寄席に通っていて、クラスでは一番噺が上手く、家の中では落語の中に出てくるような下町言葉が飛び交っていたと。そして戦後すぐに、志ん生文楽に代表される「落語の黄金時代」を経験した。そう言う意味で”落語が私の素養”という事なのだろうけど。
同時に、”今自分が関心が有る噺家は古今亭志ん朝だけ”とも度々言っている。
つまり”昔は落語が凄く好きだったけど、今はそうでもない”という事なのだろうな。
だから、今現役のマニアっぽい人と話をした時に、昔の落語家の話で終れば良いけど、当然「○○の独演会、評判良かったですけど、聴かれましたか」や「最近注目の若手噺家××ご存じですか」みたいな話になる可能性が高い。
マニア同士の”相手の知識量”を知ろうとする、それによって相手の力量を測るマウンティング行為。
小林信彦は今の落語界は詳しくないわけだから「あれは聴いてません」「その人は知りません」と言わざるを得ななくなる。
そうなると、当然面白くない、自分は芸能の「目利き」であると、いうプライド傷つく。
そうなりそうな予想が出来たので、”この人とは落語の話はしない”と決めて、すぐバレる、子供っぽいウソを着いたのだと思う。
そして森卓也との電話で、小林信彦は山藤章二の悪口を言ったと。
80年代中頃だったか、ビートたけしがオールナイトニッポンで、小林信彦と山藤章二が批判しあっているらしいのを「なんか互い『アイツは分かってない』とか言い合ってるみたいだけど、二人で直接会って決着付けりゃ良いじゃねえか」と言ってたのを思い出した。その頃の話か?

 4、おかしな男

『尾張の幇間たいこは、森卓也の経験した、一般には知られて居ない小林信彦のおかしな言動、他人に対する無神経さが良く描かれていて、成る程そうだったのかと思う。特に、森卓也自身に対する”失礼さ”、それが何十年も心にわだかまっていた。その恨みを今になって書いた、というのがオカシイ。
それだけなら、この文章は今でも根強いファンが居る、ある作家の別な顔「おかしな男 小林信彦」と言うことになる。
しかし実際読むと、小林信彦に対する怨み不満が一番多いのは確かなのだけど、それだけを書いて居るのでは無い。
「あの作家も自分を幇間たいこ扱いした」「あの評論家は、自分に対する態度が上からだった」「ある編集者は、夜中に酔って電話掛けてきて、散々自慢話された」と、その他の人に対しても、おそらく何十年も前の事だろう話を、昨日の事のように怨みを書いてる。
これを読むと、森卓也という人は相当「根に持つ」タイプなのが判る。
小林信彦が他人の気持ちに鈍感なのは、そうなのだろうと思うが、同時に森卓也は、人間関係に神経質な人なのだろう。先に引用した文章での「大阪は東京に頭を下げるべきだ、と確信しているようにも見えた。」という部分などは、流石にそれは考え過ぎ、敏感すぎなのではと思う。むしろ愛知県に住む森卓也自身の”僻み””東京コンプレックス”なのではと感じてしまう。

小林氏は、ごく親しかったはずの渥美清について、後年、夜の銀座で(多分目立たない場所で)「俺だよ」と声を掛けられたのを「オレと言うのも失礼なんだけど」と仰る。羨ましいような親近感の表現だと私は思うのだが、小林信彦氏は、それほどまでに誇り高かったのか。      同上    

東京の下町、日本橋に生まれ育ったこと、子供の頃から落語映画をその他を見てきて「目利き」であることに、小林信彦が絶大なプライドを持っているのはその通りなのだけど、「小林信彦氏は、それほどまでに誇り高かったのか。」とまで言うのも、ちょっと「読み取り過ぎ」なのではとも思う。 
この文章に描かれる小林信彦の言動はたしかに「おかしい」けれども、それを敏感に感じ取って何十年も拘り続ける森卓也という人も、やっぱりちょっと”おかしな人”なのだなと思う。     

 5、唖然とした

「森卓也のコラム・クロニクル1979~2009」を小林信彦に贈呈したら、コラムに取り上げられた。その文章を読んで森卓也、担当編集者共々、唖然としたという。かなり失礼な書き方だったらしい。そして後日。

久しぶりに、小林氏から電話。「こないだ(「週間文春」二〇一六年四月二十八日号に)書いたのはちょっと失礼だったんじゃないかと思って……」
で、のちに文藝春秋から出た「わがクラシック・スターたち」に収められたものは、初出とはかなり違う、関心のある方は比較してみてください。同上

ふーん面白い、と思ったので両方買ってみた。

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で、比較してみたのだが、これ変わってるか?

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”思うに…ではないか”、の部分が、”…だ”、に変わってるくらい、殆ど変わってない。
「初出とはかなり違う」という事は全然ない、何だろう。
森卓也と担当編集者は何が気になったのか。
このコラムで、小林信彦の書き方が”ちょっと失礼だった”とすれば、

森さんは、<ギャグ>とか<芸>について、とにかく、ひとこと述べてみたい、と言う所が有る。……
この人は、なぜいちいち言葉をはさみたがるのか、と普通の人は思うのではないか。     
 「スーパートリビアの目くるめく世界」『わがクラシック・スターたち』

と言う部分。”なぜいちいち言葉をはさみたがるのか”って、それは「そういう仕事だから」に決まっているからでは?
映画に限らずTVドラマ演劇落語等、「芸能」「大衆文化」を見て、それについて”ひとこと述べる”森卓也はそういう「評論家」「コラムニスト」が仕事なワケで。
その文章を、中日新聞というマスメディアに発表し、さらに単行本として出版しているような人なのだから、一般の人が”この人は、なぜいちいち言葉をはさみたがるのか”と思う訳がない。
小林信彦自身が、<ギャグ>とか<芸>について、とにかく、ひとこと述べてみたいから、週刊文春で「本音を申せば」というコラムを連載している。同じ事やってるじゃないか。
それなのに、森卓也に対しては”この人は、なぜいちいち”と書くという事は、つまり相手をプロとして認めていない「物好きな素人」扱いしている事になる。
だから森卓也と担当編集者は「唖然とした」のではないか。

そう思うのだが、問題はこれ、単行本でも別にカットされて居ないのだよな、というか他の部分も変わっていない。にもかかわらず、森卓也は”初出とはかなり違う”と書いている。
これは何だろう。
此処からは、「想像」というより「妄想」に近くなるが。おそらく、森卓也は雑誌と単行本を、直接突き合わせてはいない。
雑誌を読んだ時に、小林信彦の失礼な書き方に「唖然とした」「ムカッとした」。その記憶が頭にある状態で、単行本を読んでいる。
そうしたらなぜか今度はあまり「失礼」だと思わなかった、心が落ち着いていた、なので”本にするときに書き直したのだ”と思ってしまったのだろう。
では、雑誌と単行本の間に何が有ったかと言うと上記したそれ。
小林信彦から電話が有った。からだと思う。そこで気持ちが変わったのだ。
その中での「こないだ…書いたのはちょっと失礼だったんじゃないかと思って……」と言う言葉。
”今まで、他人を気にせず一方的に言いたい事を言って、自分を幇間たいこ扱いした小林信彦が、気を遣っている””あのプライドの高い男が、下手に出ている”。
そう思った時、森卓也は凄く気持ちよかったのではないか。自分のプライドが満足させられたのだ。だから、雑誌の評を見た時の、イラッとした気持ちが解消された。自分の気持ちが変わってしまったので、単行本を読んだ時雑誌と同じ文章なのに、初出と違うと思い込んでしまったのだろう。

 6、商品価値

森卓也『尾張の幇間たいこは、小林信彦のおかしさを中心に書いている文章だが。それだけでなく、昔付き合いのあった作家評論家の人達、アクの強い彼等に、長年振り回されて溜まったモヤモヤの、鬱憤晴らしも目的にしてる。
その人達の多くは、今では亡くなっている、あるいは生きていても、今では殆ど忘れられている。そういう人達の名前をメインにして、昔こんなヒドイ目に遭ったと愚痴悪口を書いても、誰も読まない。
小林信彦は、去年週刊文春「本音を申せば」の連載が終わり、その後どうしているのか情報が無い。少なくとも生きてはいる、多分。
そして、今でも一定の読者が居る。なので、”森卓也が小林信彦の悪口書いた”と聞けば、「何それ、読んでみよう」という(自分のような)人間が一定数居る。つまり「小林信彦の悪口」は商品価値が有る。だから、それを中心にした文章にするしか無かった。
そして、それは「今がギリギリ」でもあった。
小林信彦は昭和七年生まれ、今年で九十歳。森卓也は昭和八年。両者とも男性としては長生き。自分の父親は昭和五年生まれだが、八年前に亡くなっている。そう考えると、両者とも、余り時間が残されているとは言い難い。
森卓也、自分が先に書けなくなれば、今まで言いたくて言えなかった鬱憤を晴らす機会が無くなる。
小林信彦が先に亡くなれば、小林信彦に対する文章(コメント)の依頼は当然有るだろう。しかし、その文章は当然追悼文なワケだから、悪口、それも関係ない人に関する物は書くわけにいかない。
そう考えると、この文章は、今が書くギリギリ最後の機会だった。








 






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