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『ロンド・カプリチオーソ』(竹宮恵子) 下   -理解のある彼女ー

 自分が気づいたら泥沼にハマってた時
 母親のようにマチアがボクの所に来て
 目が啓かれるような言葉を言ってくれた
 「今のままのあなたで良いのよ」

1、理解のある彼女

 1、1 マチア

『ロンド・カプリチオーソ』の登場人物は少ない。父親母親は、始まってすぐ事故で亡くなる。ニコルを好きになる牧場の少女セーラは、アルベルに「付き合うな!」と言われて退場する。アルベルとニコル、そしてヒロインのマチア、この3人だけで物語が進む。

初登場時のマチア 竹宮恵子の絵じゃない

「弟の才能を怖れ嫉妬したアルベルは、ニコルの目が見えなくなったのを幸いに、彼を世の中から遠ざけるため森の奥に閉じ込める。そこに強引にやって来るマチア。そして、ニコルを連れ出し、世の中を教えようとする。

最初はそういうふうな、ニコルの生き方をめぐる,アルベルとマチアの対立で話が進む。何というか”子供の教育方針で対立する父親と母親”という感じ。家族の物語っぽい。

ここら辺とか、マチア完全にお母さん。
それが後半、”ニコルは実はマチアが好きだった”ということになり、マチアという一人の女性をめぐる、アルベルとニコルという二人の男の話になる。それまで純真無垢で子供っぽかったニコルが、突然自我に目覚めて、男っぽいキャラになるのが生々しい感じがした。

昔読んだ時”なんか急にマンガの雰囲気変わったな”、と思ったのを思い出した。
マンガの最後でマチアが、”純粋無垢な天使のようなニコルより、醜い心を抱え迷う、人間的なアルベルを選ぶ”と告白する。その展開にする為には、ニコルはマチアを、母親的な存在ではなく一人の女性として好き、という方が良い。だからそうしたのだろうと、今読み返すと思う。
ただ、その方向転換があまり急なので”えっ、そうだったの?”とちょっとビックリする。

マチアに選ばれることで、アルベルの心は浄化されて救われる。そしてマンガは終わる。

アルベルとニコル、二人だけだと煮詰まってドラマが動かない。マチアがやって来て、話がやっと動き出す。彼女はそのために登場してる感じ。最後のアルベルへの告白は、萩尾望都への嫉妬、劣等感に身を焦がす竹宮恵子が、自分に言って欲しい言葉をマチアに言わせている。それと同時に、そうしないと決着が着かないので、物語を終わらせる為にその告白が必要だった。

マチアはそういう存在だから、他のキャラクターのように、現実と対比させせられ無いかも知れないが、モデルは居るのだろうか。

アルベルは竹宮恵子、ニコルは萩尾望都、二人の父親は”Yさん”山本順也氏なのは明らか。じゃあマチアは、増山法恵なのか?
萩尾望都と文通をしていて、竹宮恵子と知り合わせ、家の隣の一軒家に二人を同居させ大泉サロンを作った人。最初は二人との距離は同じだった、むしろ

私が一番最初に訪問した時の増山さんは「モーサマって凄いのよ!」って熱を帯びて喋っていたし…

城章子「萩尾望都が萩尾望都であるために」 『一度きりの大泉の話』より

という位だった。
それが、少年愛好みで竹宮恵子と息が合い、「少女マンガに革命を起こそう」と盛り上がり、『風と木の詩』の構想を練る。その後、二人で同居し、増山のりえがマネージャー?という形で、一緒に仕事をするようになる。
そういう部分を見ると、萩尾望都より竹宮恵子を選んだ増山法恵が、ニコルよりアルベルを選ぶマチアの、モデルと言えなくも無いけど…
竹宮恵子の本を読んでも、”少年愛趣味で息が合った話”、””仕事のパートナーとして助けられた話”は書かれている。しかし、萩尾望都に対しての焦り嫉妬心に対して、増山法恵がどう見ていたかは、書かれていない。夜中に萩尾望都を呼び出し「『小鳥の巣』は盗作じゃないか」と二人で詰問していることを考えると、竹宮恵子の嫉妬心、少なくとも焦りに気が付かないことは無いと思うのだけど。
又、その嫉妬心は山本順也氏が、自分より萩尾望都に入れ込んでいるからなワケで。それなら、増山法恵が、パートナーとして萩尾望都より自分を必要としてくれることは、嬉しかったのでは無いのか。

というようなことを思うのだけど、しかしいずれにしても、竹宮恵子はそこら辺書いていないので分からない。
主人公が救われるのは話を終わらせる為に必要。作者と登場人物の状況が完全に同じなワケは無い。
そう考えると、マチアは増山のりえがモデルだろうか、というのは何とも言えないし、ちょっと無理な気もする。

 1、2 竹宮恵子の女性キャラクター

竹宮恵子作品は少年が主人公で、物語は少年同士の対立だから、女性キャラクターは基本脇役になり、あまり目立たない。ただ、特別力を入れられていない分、共通の特徴がわかりやすい。
最初は、自信満々、”男なんかに負けないわ”、”女だからコレしちゃダメとか私には関係ないわ”という形で登場する。

初登場時のマチア。
『ファラオの墓』アウラ・メサ
『風と木の詩』パトリシア

『ファラオの墓』を描く以前の私が描くのは、自己主張をする気の強い女の子ばかりでした。               

 『扉はひらくいくたびも』より

その理由を、”少女マンガが苦手で少年マンガばかり読んできたから”と説明しているが、強気で自信家なのは、竹宮恵子自身の性格だからと思う。

「私はなにをやっても人に負けたことがないの」と、ニコニコと言ってました。
 漫画も、描いてみようかなと思って描きだしたら、すぐ入選したのだそうです。何をやっても上手なのです。

『一度きりの大泉の話』より

最初は強気で自信家として登場するけれども、ドラマは、あくまで少年同士の話なので、彼らの邪魔をせず一歩引いて脇役に徹する。自由奔放に行動して主人公を振り回したり、ワガママ言って困らせたりというようなことはしない。

主人公の少年は、自分の信念に従って暴走しがち。そんな時、主人公の行動を否定せず、心配はするけど黙って後ろから見守る、途中からそういうタイプのキャラになる。

マチア
アウラ・メサ
パトリシア

頭が良いけど、同時に自分の分をわきまえて居る、なんというか古典的な”良い奥さん”という感じの女性。旦那の生き方に文句を言わず、自由に行動させ、背後はきっちり守る。いつまでも子供っぽい旦那のことを、”ウチの長男だから”というような女性。今では絶滅しているだろう、(何年か前TVで、安田成美が木梨憲武のことを、そう言ってるのを見たのが最後。)昔も実際そんなに居なかっただろうけど。今では、”存在しない”どころか、奥さんに母親を求めるてる!ということで、今ではむしろ”存在してはいけない”と否定されるだろうタイプの女性。
そう、竹宮恵子の女性キャラって、半分主人公のお母さんという感じなのだよな。

女性キャラクターが”母親っぽい”のも、竹宮恵子自身を反映してると思う。
初期のSFの代表作『ジルベスターの星から』

『ジルベスターの星から』

そのラスト「わたしは、なん人もなん人も、あなたにジルをあげようと、決心しました」というセリフにそれを感じる。

”あなたの子供を生んであげる”だったら、単に”あなたの奥さんになるわ”だけど、”あなたにジルをあげよう”つまり”あなたの長年の夢を叶えてあげる”と言っている。
それって、奥さんでもあるし母親でもある女性なのだよな。

その後漫画化する『そばかすの少年』を、好きな本の一冊に上げた時、”女性原理(だったかな)による小説”という紹介の仕方をしていた。それを見た時も、「母性」というか「女性性」に対するこだわりを感じた。(竹宮恵子が解説を書いているというので、その本買ってみたが、その話はしてなかった。)

『そばかすの少年』


”少年主人公に対し、半分母親のようになる女性”そういうタイプの女性を良いという考え方は、今は否定されてる。だけども竹宮恵子が描く、そういう女性キャラクターが自分は好きなのだ。

 1、3 ずっとあなたが好きだった

『ロンド・カプリチオーソ』の最後、マチアは子供の頃から、アルベルのことがずっと好きだったと告白する。

”恵まれた天才のニコルより、自分で運命を選びかえてきたアルベルのほうを選ぶ”という。

萩尾望都の才能を怖れ、劣等感を感じている竹宮恵子が、誰かに言って欲しいことを、マチアの口から言わせている。
その後の「あなたが振り向いてさえくれたら、あたしはいつもそこに……いたのに」。主人公を心配しながら、後ろから見守る、竹宮恵子の女性キャラクター。
天性の才能があり父親に愛される弟、それに嫉妬し、さらに目の見えない彼を、人里離れた森の奥に閉じ込める。そんな、暗いだけじゃなく、やってる事もヒドイ、主人公のアルベル。そういう、ドロドロした感情を持つキャラクターを初めて見たこともあって、”なんか、自分と同じような人間がる”と共感した。
そんな主人公が、最後病院のベッドで、”弟に嫉妬していた、失敗することを望んでいた、死ねばいいと願っていた”と告白し”ぼくはもう滑れないんだよ…”と泣き言を言う。そうすると、美人のお姉さん(子供だったので、すごく年上に見えた)のマチアが「何故」か「昔からあなたに恋していた」「いまのままのあなたで良いの」と言ってくれる、嬉しい展開。暗いダメな主人公が否定されず、「そのままで良い」「そんなあなたが好き」という展開は考えてみると初めて。”そんな考え方が有るのか”と驚いたし、”自分にも、こんなこと言ってくれる、お姉さんが現われかも”と、嬉しかったような記憶がある。
昔から「性格はちょっとキツイ」けど「正義感が有って」「面倒見がいい」、「ちょっと年上」で「ショートカット(ショートボブ)」の女性が、何故か好みなんだけど、マチアはそれにピッタリで、好きなタイプの女性なんだよな。

今回『ロンド・カプリチオーソ』を読み返して、このマチアが始まりで、それ以来、こういうタイプの女性が自分のストライクになったし、竹宮恵子が描く女性キャラクターが好きになったのかもしれない、と思うようになった。

 1、4 現実に存在する?


美人で頭が良くて性格も良いヒロインが、ダメな主人公を何故か好きになる。それは”マンガの主人公だからあたりまえ”といえばそう。
たとえば、あだち充の『タッチ』。ヒロイン浅倉南は、野球部のエースで勉強が出来る、イケメンな和也ではなく、不真面目でいい加減な、主人公達也を好きである。それが何故かは、作品の中では描かれてない。ただ子供の頃からそうだったと言うだけ。
それは当然、読者の大部分で有ろう「勉強できず」「スポーツが苦手で」「イケメンじゃない」男子にとって、「そういう展開が嬉しいから」という、マンガの外側の理由でそうなってる。

浅倉南が、和也より達也を好きらしいのは読んでてわかる。それは嬉しいけれども、同時に、男性マンガ家が、少年読者へのサービスの為に創ったリアリティの無いヒロインだし、現実にはこんな女いる訳ないとも当然思う。

比較すると『ロンド・カプリチオーソ』のマチアは、少女マンガのヒロインだから「男性読者にサービスする理由がない」、女性マンガ家が描いてるのだから「女性の目から見て、リアリティの無い女は描かない筈」。
なので、「現実には、こんな男に都合の良い女はいないよ」とならない。自分に取って嬉しいことを言ってくれる、こういう女性が現実に存在するかもしれないと思える、なんというかそこが良かった。
当時、読んでて自分の目の前が開けたような感覚があった気がしたけど、今思い返すと、そういうことだったのかもしれない。

『ロンドカプリチオーソ』はそういう、当時の自分に取っては嬉しいマンガだったけど、女性にとって面白いのだろうか?、当時読んだ女性の読者、この作品どう思ったんだろう。女性の竹宮恵子ファンからも、語られたのを見たことがないし、竹宮恵子自身が「スランプだった」と書いているくらいだから、そんなに人気があった作品では無かっただろうけども。

2、 始まりの作品

・自分に似てる、主人公の少年の、暗いキャラクターに対する”共感”
・そんな主人公に「そのままで良い」「そんなあなたが好き」という女性キ     ャラクターの”嬉しさ”
・そういう、男の自分が読んでピッタリくる作品を、女性マンガ家が、少女マンガ雑誌に描いてる”不思議”

マンガは何でも好きだったので、今までは、妹が買っている少女マンガ雑誌を、ただ読んでるだけだった。それがそこから、「少女マンガ」を意識して読むようになった。
70年代は、萩尾望都竹宮恵子に代表される24年組、それに影響受けた同世代や若手の少女マンガ家が、次々名作傑作を発表してる時代だったから、何を読んでも面白かった。
少年青年を主人公にした作品も、当たり前のように有った。
その中には『ロンド・カプリチオーソ』と同じような、”黒い髪の悩める少年”を主人公にした作品もあった。

それらの、名作傑作話題作群の中で、『ロンド・カプリチオーソ』は、あまり高く評価されないだろう。というか、そもそも語られたのを見たことがない。
けれども、自分にとっては、少女マンガにハマる切っ掛けになった最初の作品なので、特別印象に残っている。
                              終わり


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