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『海街diary』④  番外編「通り雨のあとに」 前編                 ーすずは、何故顔を隠しているのかー

 1、『通り雨のあとに』

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単行本の9巻が最終巻の『行って来る』。その中の「行って来る」で『海街diary』本編が終わる。その後、「通り雨のあとに」と言う番外編がある。

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四姉妹の父親が再婚した陽子。その連れ子の一人和樹を中心とした山形(河鹿沢)での話。
この後、ここを舞台に、和樹を主人公にした『詩歌川百景』のシリーズが始まる。「蝉時雨のやむ時」が、『ラヴァーズキス』と『海街diary』を繋ぐ作品だったように、この話が『海街diary』との間を繋いでいる、と言えばそうなんだけど。
この番外編はちょっと変、もっと言うとキモチワルイ

父親の十三回忌に、山形にある両親の墓を、鎌倉の霊園に移す話が出て、すずがやって来る。
(自分も両親の墓を田舎の寺から、家の近くの霊園に移した経験が有るのでわかるなー。)
『海街diary』から時間が経っているので、出てくるすずも大人に成っているのだが。

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「おばちゃん言うな おねえちゃんじゃ!」
なんだろうこのセリフ、こんなキャラだったっけ。そして、何故顔を隠してる?
これ本当にすず?と最初読んだ時思った、「歓迎、浅野すず」というプレート持ってるから、そうには違いないんだが。
何か不穏な登場の仕方をする。
この後もすずは、一度も帽子を取らず、最後まで顔を(目を)見せない。

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もう一つ違和感が有るのが、和樹とすずが割と親し気に会話している事。
『海街』で二人が最後に会ったのが三巻の「思い出蛍」。その時すずは和樹たちを「弟だなんて思ったことないのに」「家族にはなれなかった」と思っている。むしろ”嫌いだった”まで言っている。なのでそのまま、何の未練もなく鎌倉に帰って、その後思い出しもしない。

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それなのに、その後、結構付き合いが有ったかのように喋ってる。
『海街diary』が終わった後の時代に、何度か訪問してるっぽいのだが。

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3年前のお盆に来たらしい。
法事に来たら、挨拶して日常会話するだろうけど。
さらに、風太の兄光良の息子光道、千佳の息子走馬が同行してる。

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彼等とも知り合いらしい。

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走馬は三女知佳の息子だから、お盆等で、河鹿沢に来ていてもおかしくないけど、光道はこの土地と何も関係ない。それなのに、どうやって知り合いになったのだろう。
『海街diary』が終わってから時間経っているのだから、その後、何らかの形で、鎌倉と山形で付き合いが有っても、おかしくはないのだが、
「思い出蛍」での、すずと和樹(河鹿沢)との別れ方を見ると、すずや、光道走馬が河鹿沢に来る、そして和樹たちと親しく話をする理由って、本当は無い筈。「海街」の中に、”この後そうなってもおかしく無い”と思わせるようなエピソードが全く無かったので、突然な感じがする。

『海街diary』の読者に、新しく始まる『詩歌川百景』の世界に、早く親しみを持たせたい。
その為に、すずや「海街」のキャラクターと、河鹿沢のキャラクターが付き合いが有るように描いているのだけど。
それも含めてこの番外編は居心地が悪い感じがする。

 2、『想い出蛍』

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和樹というキャラクターが、前に出て来た、第三巻『想い出蛍』。父親の一周忌で山形に来た四姉妹は、父親の再婚相手だった陽子が、男を作って出て行って、河鹿沢にはもういない事を知る。すずは、そこに居た和樹に弟の智樹は元気?と聞く。和樹の答えは”たぶん”。

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智樹は陽子に付いて行って、和樹だけ此処に残ったのだった。意外な状況に驚くすず。

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一人残された和樹と一緒に行動しながら、すずは、河鹿沢で暮らした時代を思い出す。陽子が嫌いだった、その子供の和樹智樹は家族と思えなかった。なので、河鹿沢に良い記憶が何も無い。
それに対して、和樹は、すずの父親が好きだった、あの頃は楽しかったと言う。

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それを聞いて、あの頃、ずっと嫌な事ばかりじゃ、無かったのかもしれないと、すずが、昔を別な視点で見る事が出来るようになる。
河鹿沢の土地、和樹智樹、陽子たちとの生活。それらに対するワダカマリが無くなる。それら全てが、過去の良い思い出として、すずの心の中に整理される。なので、そのまま何の未練もなく、鎌倉に帰ることが出来、その後、河鹿沢の事は二度と思い出さない(物語に登場しない)。

『想い出蛍』での和樹の役割は、すずに過去を振り返らせる為だけど、もう一つある。
和樹は、何故、陽子や智樹と一緒に行かず、一人残って居るのだろう。

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「友達と別れるのがどうしてもイヤだって」という理由らしい。
最初読んだ時、本当の理由が別に有るのではと思った。”母親の彼氏が暴力振るう”とか”実は陽子が捨てて出て行った”とか。そういうの全然無くて、ほんとに理由はこれだけだった。
思春期以降なら、母親の新しい男と暮らすなんて、という事も有るだろうけど。
小学三年生だよ、母親と兄弟が居なくなるのに、そんな理由で一人残るなんて、絶対アリエナイ

なんか、ずいぶん適当な理由を着けたなと思った。
理由はともかく、お話的には、どうしても和樹を一人残す必要が有るのはわかる。
それはつまり”すずが、そうなってかもしれない、もう一つの姿”を描く為。

第一話「蝉時雨のやむ頃」は、これ一作で完成された良い作品に、なっている。父親の葬式で出会った、三姉妹とすずが、山で感情を爆発させ、お互いの気持ちを理解しあい、過去に整理をつけ、それぞれの人生を歩んでいく終わりでも良い。それで、文学的というか、渋い良いドラマになる。でも、そこで終らず、その後に「マンガ的」な飛躍が起こる。最後、駅のホームで突然がすずに「鎌倉に来ない?」と言う。

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予め決めていたわけでは無い、思い付きで突然出てしまった言葉。
それに対して、間髪を入れず「行きます」と言うすず。

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すずにも、読者にも、目の前で急に世界が拡がったような感覚。一種の奇跡が起こってる。マンガを読んでいて嬉しい瞬間。ここから『海街diary』は連載マンガになる。
この後すずは、古い伝統のある鎌倉で、四姉妹で、大人に縛られず自由に暮らす。山形の辛い現実から離れて、夢のような生活を送る。
三姉妹とすずは、一緒に暮らす理由は全然ない。あの時が、ただ勢いで口にしたから、そうなっただけ。もし現実なら、あるいは普通のドラマでも、あの駅で三姉妹とすずは、そのまま分かれるのが自然なはず。
その後陽子は、新しい男を作って、河鹿沢を出て行く。その時、和樹智樹は自分の子供だから、連れて行くかもしれないけど、すずは陽子と血の繋がりは全くないので、当然置いて行かれる。
一年後、香田家の三姉妹が、一周忌で河鹿沢に来た時発見するのは、和樹ではなく、一人ポツンと取り残されたすずだった筈。
もしあの時、「鎌倉に来ない?」と言わなければ、すず「行きます」言わなければ、こうなって居たのはすずだった。
すずに、そして読者にそう感じさせるため、和樹は一人取り残されてる
問題は、”何故一人だけ残されてるのか”という事。陽子が出て行くとき、自分で子供を置いて行くのは有り得る。
実際「通り雨のあとに」で和樹の新しい弟の守を預けに来ている。

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ただ「置いて行くなら、二人とも置いて行くはず」。兄弟の内、一人だけを置いて行く理由が、陽子には無い。じゃあ、兄弟二人残って居たら。
すず達四姉妹が一周忌で河鹿沢に来る、置き去りにされた彼等を見て、可哀想だと思うし、陽子に呆れるだろう。でも、兄弟が居れば寂しさも半分になるし、一人ぼっちじゃない、”もしかしたら、そうなったかもしれない、すずのもう一つの姿”じゃ無くなっちゃう。
だから”すずのもう一つの姿”を表現するためには、和樹は絶対一人ポツンと取り残されて無きゃいけない。

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二人の年齢が離れているとか、父親が違うとか、男の子と女の子だとか、何か分かり易い理由が付けられれば、そうしたのだろうけど、年の近い兄弟だとそうもいかない。
「蝉時雨のやむ頃」は元々読み切りだったから、先の事はあまり考えずに描いたのだろうけど、その所為で此処で苦しくなった。陽子の側に理由を付けられなかった。
仕方が無いので、和樹に「友だちと別れるのがいやだったから」という、その場しのぎの、リアリティゼロの理由を着けて、一人残させた。
吉田秋生は、良い作品を作るために”やる時は徹底的にやる”人なのは、『海街diary』で、『ラヴァーズキス』のLGBTや、性的虐待のテーマを完全に排除したのを見ても分かる。
「想い出蛍」は、すずが、山形時代の過去を振り返ってそれを整理し、これから鎌倉で、前向きに生きて行くために必要なエピソード。
和樹の存在は、その切っ掛けになれば良い。その為だけに出てくるキャラクターだから、そこに居る理由なんか、適当で良い。和樹と言う名前もこの回突然出て来た。
だけどとにかく、絶対に一人でそこに居なきゃいけない。

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だからお話の都合の為に、和樹に嘘の理由を言わせたのだ。
読んでてそこに引っ掛かったのは、自分が男だからだと思う。『海街diary』の主な読者である女性は、和樹の理由が本当かどうかなんて、気にならないだろう。
自分も、ちょっと気になったけど、そういう演出なのかと思って、その後忘れてた。

「通り雨のあとに」という、和樹を主人公にした番外編を読んだ時、凄く違和感を感じた。何故ザコキャラだった和樹を主人公に?。
その後『詩歌川百景』シリーズが始まって、そういう事だったのかと、分かるのだけど…でも、それだけなのか。そこで「想い出蛍」ソレを、思い出した。
もしかして吉田秋生は、あそこに引っ掛かってたんじゃ無いだろうか。

 3、性格

「蝉時雨のやむ頃」で、葬儀場に登場した長女
出棺の挨拶をしたくない、すずちゃんにやらせたらという陽子に
”それはいけません!”という。

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”本来大人がやるべき事を、子供にさせてはいけない”と。
第二巻「真昼の月」。自分達を置いて出て行った母親が、姉妹の住む家を売ったらと、突然言いだす。怒る幸。

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実は母親は、纏まったお金が必要だった。
三姉妹の母親も、陽子も、面倒な事、自分がやりたくない事から逃げようとする。女性であることを武器にして、大人としての義務から、逃げる事を許されて来たキャラクター。良く言えば自分に正直、悪く言えば他人の事は考えない、自分の欲望をストレートに押し出す。
は、そういう”ずるい事”、”スジが通らない事”が許せない性格

第二巻「桜の花の満開の下」。
すず
風太のクラスメイトで、同じサッカーチームの裕也。病気で脚を切断した彼、イケメンなので女の子たちがやって来る。同情して泣く女の子たち。

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それに怒るすず

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病気をした人の気持ちは、してない人には分からない。分からないから、近ければ近い人ほど、簡単には泣けない。簡単に泣けるのは、他人事で自分には関係ないから、そしてそれを楽しんでいるから。悲しんでいるようで、実は楽しんでいる。
すずは、その偽善性を感じるので怒る。
その偽善性は、当然自分にもある。

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自分にも有るから、他人のそれに敏感に成り、無自覚にそれを垂れ流す人に対して怒る。
すずは、そういう偽善性が許せない性格なのだ。偽善性、あるいはズルさ、それらを許せない、そして今ここでやるべきことをやらなきゃと考える。そういう意味で、すずは、根本が同じ性格をしている。
だから二女佳乃が、

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すずが似てると思う。

その二女の佳乃。
信用金庫勤めで「男好き(恋愛体質)」で「酒好き」というキャラクター。その信用金庫で、ある日突然残業になる。その時、

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何も責任ある立場じゃ無い、一OLなのだから、「お疲れさま」と言って定時で上がってもかまわない、上司もそう言っている。
でも、職場全体を見まわした時、誰かが残る必要が有る。それは、自分じゃ無くても構わないのだけど、そこから逃げて、面倒な事を他人に押し付けるのは嫌だと思っている。

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そういう、大人として、人としてやるべき事から逃げたくない、自分の欲望むき出しはしたくないと言う面で、佳乃と、そしてすずと同じ性格。だから、

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山猫亭のオッちゃんに「よう似た姉妹やな」と言われる。

四姉妹のうち三姉妹の性格が、表面的な属性は違うけど、基本同じ。つまり、あんまり描き分けてない。
だから、この「ズルイ事はしたくない」「やるべき事から逃げたくない」と言うのは、作者吉田秋生自身の価値観なのだと思う。

三女千佳だけ他の三姉妹と違う。「ズルイ事は許せない」みたいなことは描かれない。そもそも他のキャラのように、モノローグで、自分の考えを言う場面が殆どないので、性格がワカラナイ。感情をむき出しにしたりしないので、周りから一歩引いた、淡々とした性格なのだろうが。

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何故、千佳の性格が描かれ無いか。それ描くと、やっぱりズルイ事、スジの通らない事が許せない性格が出て来て、他の3人と同じになってしまうからだと思う。四姉妹が、全員同じキャラだと流石にマズいので、千佳はあえて掘り下げないのだ。
後、他の三姉妹は、物語の最初と最後で、付き合う(好きな)男が違う。
そこで、キャラクターの成長変化が描かれる。そこも三姉妹同じなんだよな。
千佳もそれやると、同じになっちゃうので、最初から最後まで、店長と付き合ってる。

「想い出蛍」”そうなっていたかもしれない、すずのもう一つの姿”を描くために、和樹を無理やり一人ぼっちにした。
でも、その為に和樹に「友だちと別れるのがイヤだから」という、アリエナイ嘘の理由を言わせた。
それはお話の為に絶対に必要な事だったのだけど、それは作者の都合で有って、キャラクターにとっては”スジの通らない事””納得できない事”では無いか。
マンガだし、現実の話じゃ無いし、和樹も「蝉時雨のやむ頃」は名前も無かったようなキャラ。だから、そんな事気にする必要は無い。
普通はそうなのだけど、作者吉田秋生が「ズルイ事が許せない性格」なので、そこがずっと,引っ掛かって居たのじゃ無いか。和樹に嘘をつかせたことを。
そこに後ろめたい気持ちが有り、それを解消するために、和樹を主人公にした話を描いた。一人ぼっちじゃ無く、ちゃんとした環境で、温かい周りの人達に囲まれ、本人が活躍できる物語。
「通り雨のあとに」と言う番外編が、描かれた理由はそれだと思う。
それが成功して、その後『詩歌川百景』のシリーズに繋がった。メデタシメデタシ。

なのだけど、自分が最初に読んだ時の”違和感””キモチワルサ”の感覚は残る。何故、すずは顔を隠しているのか。            続く


                 







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