トゥルーマンショー

色んな流れでトゥルーマンショーという映画を見た。

主人公(ジムキャリー演じるトゥルーマン。)が生まれた時からの人生をテレビ局が巨大なセットの中でそれを全世界で放送するという映画。

主人公以外は全員役者。太陽も月も海も全部偽。巨大なセット。街全体のあちらこちらにテレビのスポンサーの商品があり、彼はの人生はテレビの製作者の演出されて生きていくのだ。

あながち自分の人生も同じようなものかもしれないと映画と重ね合わせた。誰かにコントロールされている。試されている、弄ばれている。それはメディアであったり、教育であったり…

ネタバレだか、映画ではそんな作られた世界の中で生かされていたことに気がついた主人公が、過去に役者で彼にネタバラシをした人がいる島へ船を使い、海を渡って行こうとする。テレビ製作者は天候を変えて嵐をおこしたり、あらゆる手段を使って妨げるが、主人公は生き残り、遂に船は作られたセットの端にぶつかり、出口のドアから外の世界へ向かった。

出口から出るまえに、テレビ製作者と話をするのだが、そこに全てが詰まっているような気がする。

偽の世界と気がついたから映画的には出るしかないんだけど、偽だと気がついていても行動しなかったら結局そこで生き続けていた。そして外の世界へ出た後のストーリーはないのだけど、なんとなく外には出られたけど、結局外の世界も同じような仕組みで世界は回っている。

世間の都合の良い教育を受けたり、広告を見せられる。何が起こるか分からないし、突然不幸がやってきて、幸せになったりする。乗り越えたり、諦めたり、立ち止まったり。人生なんて、死ぬまでどう生きるかのただのゲームなのかね。

ゲームだとしたらなんでこんなのに参加させられてるんだろととか思ったり、そもそも生きるとか死ぬとかの概念で何?とか思い始めてきた。また考える事が増えたな。

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