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4.輪廻 →

 「輪廻転生」。つまり肉体的な死によってカラダから「魂」が離れたあと、さまざまな段階を経て別のカラダに生まれ変わること、とされる。
 この輪廻転生説は長年、人々のあいだで語り継がれている。仏教っぽいので発祥はインドかと思いきや、ネイティブ・アメリカン、イヌイット、ケルト、アボリジニといった世界各国に古くから浸透しているようだ。どういう経緯か不明だが、キリスト教徒が多数を占める欧州でもその哲学が広く語られているらしい。

 私たちにもいつの間にか刷り込まれているくらい、ポピュラーな考え方だろう。「昔から」「みんなが」言っている伝統的なものであまり疑うこともなく、自然とすんなり受け入れているのだと思っている。おそらく、もともと人類のもつ本質的な概念なのかもしれない。

 ところが、最近読んだ「知りたいけど、聞くのが怖かった『死後』に関する62のこと」によると、肉体を離れた「魂」はそのままでずっと私たちのそばに居続け、転生するわけではない、との記述がある。
 すなわち、生きている側は、生まれ変わった「かつて知っている誰か」と再会するのではなく、亡くなったヒトの「魂」が今の状況に合わせた人間や動物との縁をつないでくれるというのだ。
 霊能者である著者がさまざまな霊から直接、話を聞いたという実体験を本にまとめた、現場の生の声である。

 んーむむむ。アメリカで30年弱、霊能者として活躍している後者の説に対して、とても古い歴史があって支持者も多い前者だが、新旧に関係なくどちらもアリな気がしてきて悩ましい。

 ところで我が家の愛猫が生前、気持ちよさそうに眠っているとき、手足をばたつかせたり、まぶたやヒゲがピクピク動いているのを眺めながら、動物も夢を見るのだろうか、あるいは……と、魂について妄想したことがあった。
 猫や、その他の動物が眠っているあいだは夢うつつの時空に魂があって、前世の記憶をたよりに以前住んでいた場所へ行ったり、縁のあったヒトや仲間に会いに行ったりしているのではないだろうか。魂だから現世、霊界問わず瞬間的に行き来することが可能なのかもしれない。行った先では楽しくてテンションが上がり、思わず駆け回ったりするため、今ここにある肉体の手足がばたばたと動くのではないだろうか───。
 と、そんな妄想である。検証することは私にはできないが、もしこの仮説、いや妄想が本当だとすると輪廻転生していることになる。
 ただ、身近では生まれ変わったヒトや動物を見たことがない。少なくとも自分のまわりにはいない。よくある「友だちの友だちの話」でも聞いたことがない。

 70年代のテレビで「あなたの知らない世界」という心霊番組があったのを憶えている方もいらっしゃるだろう。
 その中で、だったか別の番組だったのか忘れてしまったが、生まれ変わりについて放映していた記憶がある。たしか、遥か遠い異国の地の話だ。
 身体的特徴から、生まれてきたヒトと故人を比較して共通項を挙げていき、「こんなに同じ点が多いのだから、このヒトは生まれ変わりに違いない」といったような雑なつくりで、こじつけっぽい印象しかない。
 なぜか昭和時代の半ば頃は心霊番組がやたら多かったのだ。

 現代では、漁ればなんでも出てくる玉石混交の巣窟となっているインターネット。輪廻転生についてもご多分に漏れず、「亡くなったヒトの魂が生まれ変わるのは平均4年半後」だとか、「亡くなったペットが生まれ変わって、うちに来てくれた」とか、「出産した子供に前世の記憶がある」などのエピソードが語られている。プリバースメモリー(生まれる前の記憶)なる言葉も発見した。
 まことしやかなものから胡散臭いものまで、いろいろあってオモシロイ。そして超常現象というだけで片付けず、科学的根拠を調べて続けている奇特な専門家もいらっしゃるのが大変ありがたいことだ。

 何を信じても信じなくても死後の世界は目に見えない。それがあるのかないのかすら定かではないため本当のことは一切わからず、どうがんばっても生きているあいだには明確な答えは見つからないだろう。結局、今のところはお手上げなのである。
 そのうち寿命を迎えて自分が21グラムの魂だけになったとき、「おお、なるほど! そういうシステムだったのか!」と膝を打つことになるのかもしれないが、肉体を持たない魂(幽霊)には脚がないという噂もある。そこで打てる膝はあるのか、ないのか。それが問題だ。

To knee, or not to knee, that is the question.

 え、そっち?

じゃ、次!「ね」

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