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【エッセイ】音楽が腑に落ちるとき / 『Christmas of Love』サニーデイ・サービス

  よく理解できなかった音楽が、あるきっかけで腑に落ちるということが時々ある。そしてそんな作品の方が後々まで愛聴することになったりする。音楽好きとして幸福な瞬間の一つだと思っている。

 新ドラマー・大工原幹雄氏を迎えた新生サニーデイ・サービスがニューアルバム『いいね!』を先日リリースした。シティポップに急接近しヒップホップやノイズミュージックの手法まで取り入れた近作のごった煮で実験的な作風は鳴りを潜め、時にフォーキーで時にパンクな耳馴染みの良いギターロックが展開されるポップな一枚だ。

▲ 『いいね!』のリードトラック『春の風』

 そんな中ではあるが、今回俎上に載せたいのは一年半前に彼らがリリースした『Christmas of Love』というシングルである。

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▲ 『Christmas of Love』シングルジャケット

 私はこの曲を2018年11月の配信速報を知ってすぐに聴いたのだが、ハッキリ言ってピンと来ないというのが当時の感想だった。

 なにせ2018年というのは、バンドを一度解体してサニーデイ・サービスの本質とは何かを問うような音像を提示した大問題作『the CITY』、その解体されたサニーデイを豪華布陣により別のテクスチャに昇華させたリミックス盤『the SEA』、さらにそこからシングルカットされ森友学園問題をおっ立てた中指でくすぐった『FUCK YOU 音頭』と、先述したような挑戦的な作品群を続けざまにリリースしていた年である。個人的には特に近作から選曲された『DANCE TO THE POPCORN CITY』というライブ盤にはトドメの一撃をお見舞いされた思いがした(『青い戦車』から『冒険』への流れだけで何度リピートしたことか)。

▲ 『the CITY』の先行リードトラックだった『ジーン・セバーグ』

 そんな攻めに攻めた一年の終わりにリリースされた本作は「いつもの」とでも形容できるような曽我部氏の十八番ともいえるメロウなテイストが表出した歌モノだった。
 「え、ここでこの形に戻る?しかもド定番の季節モノ?箸休めのつもりなの?」
 無論、楽曲自体は高品質のポップスであることは認めるものの、「ここまで未体験のフルコースを味わわせておいて〆のデザートがこれ?」という違和感が拭えず、数回聴くだけに留まった記憶がある。

 では、そこまで思い入れの少ない曲について何故今更語ろうかというと、そのきっかけは『いいね!』を注文する際に、ついでに『Christmas of Love』のフィジカル盤も取り寄せてみたことだった。公式ショップによると『Christmas of Love (Beatles)』という曲がB面に入っているらしく、「ビートルズ風のアレンジかな?別バージョンもあるなら持っておいてもいいか」と思い注文したのである。
 
 さて、まず実物が到着してみるとBeatlesがBeatless(ビート無し)の誤植だとわかりズッコケる。まあいいや、と歌詞カードを取り出してみるとこんな表記が目に入った。

Dedicated to Harushige Maruyama

 ここで献辞を送られているのは2018年5月までバンドのドラマーだった丸山晴茂氏である。

 2016年から体調不良のため活動を休止していた丸山氏を、二年後にバンドから追い出したのは食道静脈瘤の破裂だった。彼の訃報は多くの音楽ファンにショックを与えた一方、深くサニーデイを知るファンは彼の鬱病とそれに伴うアルコール中毒との闘いを思い出し、悲しみの一語では括れない思いを抱いたのではなかろうか。少なくとも私はそうだった。
 2017年に出版されたバンドの自伝『青春狂走曲』の中でも、「丸山氏がスタジオに来ないので自宅に行ってみると、酒の空き缶が転がる部屋から逃げ去っていく姿が遠くに見えた」という話や、療養中に病院の窓から飛び降りたが一命をとりとめた話など、壮絶な過去の出来事が多く語られており、職人肌の曽我部氏とマイペースな丸山氏、その間を取り持つ田中氏と、バンド内での揉め事の数も数えきれないほどあったであろうことが話の端々からうかがえた。

 そこで私はふと、2018年8月のRISING SUN ROCK FESTIVAL in EZOでサニーデイのステージでの一幕を思い出した。
 夕暮れ時、晴れた空。開演からMCもなく淡々と演奏を続けていたバンドだったが、ステージの中盤に曽我部氏がチューニングをしながら穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
 「ハルシゲ君、死んじゃったね」
 ぬるい夏の風が会場を吹き抜けるのと同時に、どういうわけか心もサワっと揺れた。きっと曽我部氏は死というウェットなMCをステージではしないだろうと心の底で決めつけていたからだろうと思う。
 曽我部氏は続けた。
 「ハルシゲ君に会えない時でもね、一人で曲を作っていると頭の中でハルシゲ君の声が聞こえてくることがよくあったの。『ハルシゲ君だったら、この曲聴いたらきっとこういうんじゃないかなぁ』とかさ……そういう風に思うことがあったのね」
 なかなかチューニングは終わらない。
 「でもさ、ハルシゲ君死んじゃったらさ……もうその声が聞こえなくなっちゃった」
 曽我部氏はそう言うとニッコリと客席を向き、自分の言葉を咀嚼するかのように何度か頷いた。
 「ハルシゲ君の声、今までずっと聞こえていたのに。なんか不思議だね」
 遠くの別ステージの音が小さく耳をくすぐる中、改めて丸山氏の死という喪失感が静かに客席の上に被さっていくのを感じた。
 そうしてジッと次の言葉を待っていたオーディエンスに、曽我部氏は悼むムードを拭い去ろうとするかのようにクスッと笑って呟いた。
 「それだけ」

 CDをコンポのトレイに載せる。歌詞カードを見ながら一年半ぶりに曲を聴いた。イントロの鈴の音は記憶に残っていたが、先の献辞を読んだせいだろう。曲の印象は全く変わっていた。

いつからかぼくはきみのことを 何故だかなつかしく思ってしまう
(中略)
紙きれが舞うように冬の空飛んで行けば
二度と探せなくなる それがさよなら

 「そうだったのか」と独り言ちた。
 いや、もちろん私の個人的な解釈にすぎないが、『Christmas of Love』はバンドから丸山氏に対するフェアウェル・ソングだったのではないだろうか。
 時にバンドメンバーとして愛情を、時にバンドを乱す者として憎しみを覚えたこともあったであろうドラマーの不在が、近年の挑戦的で実験的な作品群を作る要因となったことはインタビューでも語られている。丸山氏は活動を休止している身でありながら、間違いなくバンドの音楽性の変化を生んだメンバーでもあったのだ。その変革の作品群の最後に、きっかけをもたらしてくれたバンドのドラマーを悼む思いを、あえて「いつもの」サニーデイらしいメロウで優しいメロディの中に込めたのでは……(そう考えるとBeatlessバージョンが入っているというのもどこか示唆的な気もする)。
 その解釈に行きついてから、「こんなサニーデイ・サービスそのもののような暖かい曲をどうして一年半前に見過ごせたのだろう」と思わずにはいられなかった。冬の夜、裏に表にと手を暖炉にかざしてその温もりを確認するかのように、私は半泣きでこの曲をリピートした。

12の月が過ぎてきみの歌思い出す もうすぐクリスマスが来るよ
争いごとは終わり 星の名前が決まり 愛をわかろうとする

 個人的な話だが、近頃実家の母は口を開けば祖母の介護に対する怒りや愚痴ばかりを話すようになった。しかしその口ぶりから、いざ祖母(母の実母)が向こうに旅立つ時、解放された安堵だけではなく彼女に対する許しや詫び、そして怒りの日々の中にも愛情があったことを再確認するのではないだろうか、と思う時もまたある。そんなことを思わずこのフレーズに重ねてしまった。

  もちろん新ドラマーを迎えたロックバンド然とした力強い快作『いいね!』も悪くない。
 しかしコロナ騒動だったり、自身の体調不良だったり、直接的な死ではないまでも「死はいつも間近にある」ということを意識することが多い日々の中、私はもう少しだけ2018年のクリスマスの雪をひとり眺めていたいと思う。

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