鉄道開業150周年 ―新幹線と並行在来線を考える―乗り鉄大学院生の雑感

この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2022の13日目の記事です。学会出張で日本を離れていたら投稿が遅くなってしまいました。なお、あまりできることがないエコノミークラスの座席でこの記事の最後の部分を書いていました。
是非感想などを#kmnac2022でつぶやいていってください。

明治維新の真っ只中1872年、現在の生活を支える大きなものが一つ、日本に生まれた。新橋から横浜までを結んだ鉄道の開業である。約29 kmの距離を50分かけて結ぶ、今からするとかなりゆっくり走る乗り物であった。
それから150年経った2022年の今日。日本全国、とりわけ都市部では鉄道は人々の生活に不可欠な存在となっている。
日本全国に張り巡らされた鉄道網。その長さは2万5千キロを超え(地球半周以上!)ている。

戦後の代表的な車両である103系通勤電車

この150年間鉄道は右肩上がりに発展してきたかといえばそうではなく、何度となく困難に直面してきた。本稿では、鉄道好き歴24年の筆者が鉄道の歴史を緩く振り返りながら鉄道のすごさをアピールしつつ、鉄道の立たされている苦境にも向き合い、鉄道が200年、250年に向けてどうなっていくべきか、どうなってほしいかの悩みを緩く、適当に書いていく(、といいつつ書き上げようと思ったら膨大な量になってしまいそうだったので新幹線に焦点を当てて書く)。

日本の鉄道史において、間違いなく大きな転換点となるのは1964年の東海道新幹線開通であろう。
首都である東京と商都である大阪を結ぶ東海道本線では、新幹線開業までもスピードアップの試みが繰り返されてきた。10時間40分(特急「富士」1912年運転開始)→8時間20分(特別急行「燕」1930年運転開始)→8時間(特急「燕」1934年丹那トンネル開通)→7時間30分(特急「つばめ」東海道本線全線電化)→6時間50分(特急「こだま」1958年運転開始)という具合である。東京から大阪までを2週間前後かけて移動していた江戸時代が嘘のようである。
しかし、旅客・貨物の大動脈でもある東海道本線は列車が多すぎるという問題に直面していた。このため新しい幹線、まさに「新幹線」が開業し、同時に東京新大阪間を4時間(ひかり、翌年から所要時間は3時間10分に短縮)と大幅なスピードアップを果たした。
当時の世界で時速200 kmを超えて走る高速鉄道は他になく、「夢の超特急」は東京オリンピックと合わせ敗戦からの復興と高度経済成長の象徴ともなった。

初代「夢の超特急」、0系車両。その姿は高度経済成長期の象徴ともなった。2008年に惜しまれながらも引退した。(写真:裏辺研究所より)

その後、新幹線は開業当時210 km/hであった最高速度を現在は320 km/hとしさらなるスピードアップがはかられている。現在では先述の東京-新大阪間はのぞみの平均で2時間28分である。

某映画のワンシーンにておなじみ、東京駅新幹線乗り場

このように先人のたゆまぬ努力によって発展・速達化してきた新幹線。加えて「定時性」も世界に誇れるものとなっている。
東海道新幹線の1列車あたりの平均遅延時間は(資料によって異なるが)多くの資料で30秒を切る。
これは災害などでの非常に大きい遅延(1時間を超えるようなもの)を含んだ値であるから、実際には新幹線はほとんど(1分はおろか20秒すら)遅れないと言って過言ではないだろう。
余談だが、筆者は新幹線で京都から東京の実家に向かっていたところ小田原駅で4時間近く留め置かれたのち23時前にホームへ降り立った。当然東京までの終電はなくかなり苦労したのだが…
こういう例を含めての平均遅延時間である。
先日お亡くなりになったイギリスのエリザベス女王が来日された際に、「日本の新幹線は時計より正確だと聞いています」と言われたというエピソードにも頷ける。

このように非常に便利で信頼性の高い乗り物である新幹線は多くの地域で誘致の声が上がり、今日までに山陽、東北、上越、山形、秋田、北陸、九州、北海道、西九州と路線網の拡大を続け、約3千キロもの路線網を形成するに至った。また、現在も北陸、北海道、中央など建設中の新幹線がある他、様々な地域で新幹線構想が存在している。

現在の新幹線路線網。(wikipedia commonsより引用)

しかし、近年の新幹線路線網拡大においては新幹線開業が輝かしい側面だけを与えていないのもまた事実である。
読者の皆様は、「並行在来線」という言葉を耳にされたことはあるだろうか。

「並行在来線」を簡単に説明する。都市Aと都市Bの間を結ぶ在来線Xを、鉄道会社α(JRグループの会社)が運営しているとする。この都市AB間は乗客の需要も高く、特急列車などが頻繁に走っているが、その間にある小さい町(例えばC,D,E,F,…)ではあまり鉄道利用が盛んではない。
あるとき、この都市AB間に新幹線路線Yを建設する話が持ち上がったとする。これが開業すれば在来線Xを利用している長距離旅客は新幹線Yに移ることが予想される。
こうなれば在来線Xで都市AB間の輸送に重きを置くことは難しく、基本的に地域の町と町(例えばCD間、DF間、…など)を結ぶ旅客を運行することに着目することになるが、特急料金の収入もなくなり在来線Xの利用者も大きく減少することが予想される。
このとき、在来線Xと新幹線Yの両方を会社αが経営するのでは会社αに大きい経営負担がかかる。
このような状態を防ぐため現在の新幹線の新線建設においては、沿線自治体の同意を得たうえで在来線Xの経営を鉄道会社αから切り離し、地元自治体と民間会社の共同出資による新しい第三セクター鉄道会社ωを立ち上げ、この会社ωに在来線Xの経営をゆだねることが可能とされている。
なお、地元との協議の上で、場合によっては在来線Xが会社αによって経営継続されたり、一方では在来線Xの利用者の少ない区間が廃線になったりすることもある。

第三セクター鉄道が設立され経営分離された事例は最も多く、2022年10月時点では

  • 北海道新幹線開業時 / 江差線(木古内-五稜郭間)→道南いさりび鉄道

  • 東北新幹線延伸開業時 / 東北本線(盛岡-新青森間)→IGRいわて銀河鉄道(盛岡-目時間)・青い森鉄道(目時-青森間)

  • 北陸新幹線開業時 / 信越本線(軽井沢-篠ノ井・長野-直江津間)・北陸本線(直江津-金沢間)→しなの鉄道(軽井沢-篠ノ井・長野-妙高高原間)・越後トキめき鉄道(妙高高原-直江津・直江津-市振間)・あいの風とやま鉄道(市振-倶利伽羅間)・IRいしかわ鉄道(倶利伽羅-金沢間)

  • 九州新幹線開業時 / 鹿児島本線(八代-川内間)→肥薩おれんじ鉄道

金沢駅に入ってくるIRいしかわ鉄道の車両

と経営分離が行われている。また2023年度末の北陸新幹線(金沢-敦賀間)開業に伴い、北陸本線の金沢-大聖寺間がIRいしかわ鉄道に、大聖寺-敦賀間がハピラインふくいに移管される予定である。

では、なぜこのような「並行在来線」が問題とされるのかを考えてみよう。まず、第三セクターになると運賃体系がJRと異なるものが採用されるのが基本である。さらにはJR時代より運賃が高くなるのが一般的である。
JRでは都市部の黒字路線で得た利益があるため、地方の路線もある程度共通の運賃体系を維持できる一方で、経営分離された場合には限られた地域を担当する鉄道会社内で収支を考えねばならないからだと思われる。このため、ただでさえ少ない地域利用者が経営分離によって更に離れる可能性も考えられる。

また、以前は在来線特急が停車していたような駅(もしくはその付近)に新幹線駅ができず、利便性が大きく低下する事例もある。今秋開業した西九州新幹線では、経営分離は行われなかったものの博多-長崎間の鉄道メインルートが大きく変わった。
新幹線開業以前は特急のメインルートであった長崎本線の肥前鹿島駅は、新幹線開業に伴い博多行特急が45本程度から14本と大幅な減便となった。
新幹線は肥前鹿島駅有する鹿島市ではなく隣の嬉野市を走ることになったこともあり鹿島市民が不便に感じるのも無理はないだろう。

西九州新幹線開業により肥前鹿島駅発着便が減便された在来線特急(写真:裏辺研究所より)

並行在来線の中には、利用が極端に少ないと判断されて廃止されたケースもある。信越本線の横川-軽井沢間は鉄道にとっても古くから碓氷峠越えの難所であったが、北陸新幹線長野開業に伴い廃止されてしまった。
また、2030年度頃に延伸が予定されている北海道新幹線札幌開業に伴い、利用が少ないとされる函館本線の長万部-小樽間は廃線の予定である。
実際に今夏、函館本線の当該区間に乗る機会があったが確かにローカル線色合いが濃い路線だと感じた。しかし、当該区間は既にかなり前から道南道央間の鉄道輸送においてはメインルートから外れているためいわゆる「並行在来線」にあたるのかについては議論があったようである。
また、小樽-余市間については比較的観光客も多く、当初余市町が廃止に慎重な姿勢を示していたのも少しうなずけると感じた。

このような原状を見て感じるのは、今こそ「新幹線」とは何かを捉える必要があるということだ。
最初に述べた通り、1964年の開業当時、新幹線は輸送量が逼迫していた従来の幹線を補完する路線、文字通り「新・幹線」だった。
もちろん開業によって徐々に長距離輸送と地域輸送の棲み分けが出来てくるのだが、それでも在来線から直ちに長距離旅客輸送の役割が剥奪されたわけではなかった。

しかし今はどうだろうか。新幹線の開業に伴い従来の幹線は即座に長距離輸送の役割を剥奪されてしまう。それは、新幹線と在来線の双方で長距離輸送をやっていては採算が取れないからである。
これはすなわち、「新・幹線」をその地域に作るほど需要が大きいわけではないということにも繋がる。
新幹線は在来線に比べて圧倒的な速さを持っているが、小回りが利かないのもまた事実である。そのため、圧倒的な速さによるメリットよりも小回りの利かなさによるデメリットが勝ってしまうと、新幹線の意義は揺らいでしまうのではないだろうか。

このように「陽」だけでなく「陰」ももたらす新幹線は現在も北陸新幹線(金沢-敦賀間)、北海道新幹線(新函館北斗-札幌間)、中央新幹線(品川-名古屋間)が建設中であり、北陸新幹線(敦賀-新大阪間)、中央新幹線(名古屋-新大阪間)がルートの選定や建設の準備中などであるうえ、全国には他にも多くの新幹線構想が存在している。

東京への一極集中と地方の過疎化が進み、「地方創生」が叫ばれて久しい。私にも正解は分からないが、幹線が幹線として十分な力を発揮していないところに「新・幹線」を作ることが本当にその地域の発展に資することができるのか。
人口と実質賃金の減少が続く現代日本において、「夢の超特急」のありかたをもう一度見直す必要があるのではないだろうか。


画像は特に記述がないものは筆者撮影。それ以外は以下の引用元より引用


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?