書くことの意味

いつの間にか書くことが、自分の外側にある、後付けの武装品にどうやって光をあてるかというようなものに変わってしまっていたのかもしれない。

書くことは、そぎ落とすことで、真夏に汗をびっしょり書いた後に浴びるシャワーのようなもので、自分で自分のそのまんまを抱きしめるようなものだったのに。

理屈や道理につかまって、非効率で、意味のかけらもないような行動と、後先に向こう側にしかないその一瞬に命を燃やせるような衝動を、鼻で笑いながら、腕を組んで眺めながら、わかったような大人ってものになり果てた自分のよこっつらをひっぱたくのは、いつだってうだるような暑さと、あの時の匂い、ざらついているのに、いつまでも手を離せないようなあの時間。

きっと同じ場所にはもどれないのだけど、いつだって同じ景色はみれるはずなんだ。

「景色」を生みだすのは、決して視覚だけなのではなくて、
自分自身の中にあるすべての要素が、自分だけの「景色」を
いつだって描きだすんだと信じて、

顔をあげて、深呼吸して、
この夏にもまた、
特別な景色を生み出せるような自分自身を
しっかり捕まえておきたい。


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