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昔の車は美しかったと郷愁で目を曇らせないようにしないと

60年代、70年代の欧州映画を見ていて魅力的なのが、当時の工業デザインだ。中でも車がとても魅力的に見える。デザインに個性があり、フォルムが美しい。スーパーカーではない日常的な車、シトロエン、プジョー、フィアット、オペルなどが魅力的なのだ。
私は特に仏車好きなので、昨日触れたJ・P・ベルモンドの映画など最高である。シトロエンDS、プジョー504、ルノー16などなど。今でもこれらの車に乗りたいと思う。

それに引き換え、最近の車は面白くない、などと言うつもりは毛頭ない。
社会が車に求めるものや安全の基準がまったく違うからだ。
60年代はマーケティングの意識も低く、多くの商品は基本的にプロダクトアウト(つくり手志向)だったので、メーカーやデザイナーの意図が通りやすかった。
その後、マーケットイン(買い手志向)に変化し、自動車も個性を競うものから、細かな差異を競う方向へと変化した。
安全基準も大きく変化した。60年代の車のデザインがスッキリしているとしたら、それは車のピラー(支柱)が細く、車の構造も華奢だからだ。
私は85年頃にホンダのアコードに乗っていた。当時のホンダ・アコードは日本車らしくない欧州車のようなフォルムが魅力だった。その車で事故を起こした。車は大破して、私は瀕死の重傷を負った。現在のアコードに乗っていたらかすり傷で済んだと思う。

60年代、私は小学生~中学生だった。当時の私には世界が輝いていた。観る映画も、聴く音楽も、読む小説もマンガも、着るものも、そして乗るものもすべて。だから、この時代へのあこがれが強いのだと思う。もちろん、その時代にもたくさんの社会的課題があった。
60年代は、美しい車が走り回る背後で毎年10,000人以上が交通事故で死んでいたのだ。

過去はいつでも美しく見えるが、結構大きな課題の存在を都合よく忘れてしまいがちだ。ノスタルジーに耽ることは悪いことではないが、異なる視点で見直すことも必要だ。

私はデザインにこだわりがある。しかし、工業製品である以上、安全を犠牲にすることはできない。そして、これからは環境問題も避けては通れない。昔ながらの車好きとして、郷愁に目を曇らせることなく、しっかりした視点で考えなくてはならないようだ。
これも大人になるということなのか。65歳だけど。

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