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理性と価値観が崩壊する禁断の問題作、 実は失敗作? 「弟とアンドロイドと僕、」

不思議な映画を見た

大学の講義室。担当の教師が片足ケンケンで教室に入ってくる。
「また、あれだよ」みたいなことを学生がつぶやく。
教師は、おもむろに大きな黒板の左上から、数式を書きだす。
とても長い数式で、途中から両手にチョークを持って、
2行同時に書き進める。
こんなことってできるのか?大学の先生は。
結局、黒板いっぱい、右下までぎっちり数式で埋まってしまう。
そこまで書くと教師は、「字が下手でごめんなさい」と言って、
片足ケンケンで教室を出て行ってしまう。
学生たちは、黒板をスマホで撮影しながら言う。
「これ、何の授業だったっけ?」

映画を観終わった後、私は思ったんです。
「これ、何の映画だったっけ?」

SFのようで、ホラーのようで、ミステリーのようで、ホームドラマのようで、人生ドラマのようで、もしかするとコメディなのかもしれないが、そのどれでもない、なんか捉えどころのない不思議な映画だった。
後で映画のチラシを見たら、❝究極の孤独❞を描いた禁断の問題作、と書いてあった。映画会社自らが問題作と言っている。
問題作って、胸張っておすすめできない時に使いません?

主人公はロボット工学の教授。講義は数式を書くだけ。

監督のインタビューを読んでも謎は深まるばかり

もちろん、私の読解力の問題かもしれないので、帰ってからいろいろと調べました。
公式サイトに、監督の言葉として「私小説的な作品」「これを撮らないと先に進めない」と書いてあった。
キネマ旬報1月上・下旬号の監督インタビューでは
「この映画については、今もうまくしゃべれないんですよね。『のどに刺さった棘』というか‥。」と語り、豊川悦司さん演じる主人公の演技についても、明確な指示ができず、かなりの部分を豊川さん独自の解釈に負っているとも書かれていた。

監督自身が永年抱えてきた、日常での居心地の悪さについて描こうとしたが、どんな風に描いたらいいかが明確でないところもあって、結局俳優やスタッフの解釈に助けられて完成した、と正直に語っている。
監督自身もよく分からないのだから、「これ、何の映画だったっけ?」という感想は的外れではなかったのか。

一番の問題はおもしろくないということ。
阪本順治監督の映画って、なによりもまず、おもしろいですよね。
なのに、この映画は観る人の感情を揺さぶるところがなくて、
禁断の問題作とまで書かれているのに、衝撃的なところもなかった。

雨がずっと降っている映画。雨音が眠りを誘う

主人公は大学教授で、アンドロイドの研究をしていて、どうやら自分の分身をつくろうとしている。そんな人、実際にいますよね。
この教授は自分に自信がなくて、ほとんど人と関わらない。
脳が時々、自分の右足を認識しなくなることがあって、冒頭の片足ケンケンの場面はそれが原因らしい。
自分の足とさえ、うまくコミュニケーションできないほど不器用なのだ。
こういう設定はおもしろいし、主人公がひとりで住んでいるむかし病院だったという古い洋館の雰囲気もいい。
観ながら、昔の映画が頭をよぎる。
「フランケンシュタイン」とか「ブレードランナー」とか。
2階へとつながる階段は「サイコ」?これは母と子の禁断の物語?

タイトルにあるように弟が出てくる。
性格も住む世界もまったく違し、母親も違う、
かつて院長だった父は寝たきりでこの2番目の妻が看病している。
そこになぞの少女が出現。何か秘密があるみたいだ。
不穏な雰囲気が漂う。

よしよしこれからおもしろくなるぞ、と何度も思ったのだが、
映画の間中、ずっと強い雨が降っていて、
結局じめじめとしたお話がつづくだけ。油断していると寝てたりする。
細部はあるが、物語に芯がない、感情がなくて冷え切っている。
そんな映画になっていた。
空虚な中心、つまりこれが「究極の孤独」ということなの?

謎の少女。その正体は?

もしかして、これは御前玲二(おまえれいじ)さんの原作

「感情などいらない。すべてをそぎ落とした事実の羅列だけでいい」、
と言い切る孤高のハードボイルド作家御前玲二。
え?そんな作家、知らないって。
すみません、阪本監督の前作「一度も撃ってません」の主人公でした。
純文学で出発したが、その後ハードボイルド作家になっても全然売れない。
出版社の若手編集員に原稿をこき下ろされて、自信たっぷりに返した言葉だ。
そうかこの言葉は阪本監督の今の心境なのかもしれない。
そう思った時にこの映画に少し感情移入できたような気がした。

ハードボイルド作家御前玲二(左端)。若い編集者に原稿をこき下ろされるが‥

弟とアンドロイドと僕、と私の想像力

この映画を商品として考えると、半完成品だと思う。
ミールキットみたいなもの。材料と調味料がセットになっているが、調理は買い手がしなくてはならない。
材料を足したり、味付けを自分好みに変えられるのはメリットだけど。

監督が伝えきれなかった部分を観客が補う参加型の映画として見れば、いろいろ考えられて、それはそれでひとつの映画体験かもしれない。
しかし、つまらないと思っても、ここまで付き合ってみたくなるのも、阪本順治監督の過去の実績があってのこと。次に期待します。
映画会社もさ、究極の問題作なんて大袈裟なコピーでお茶濁してないで、もっと完成度を高めてほしいよね、というのは一消費者としての意見です。

「一度も撃ってません」。豪華な俳優たちの名演、怪演が楽しめる。
こちらはホントにおもしろい。


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