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目覚めよ、と呼ぶ声がする。コーヒーの香りが日常を取り戻してくれる

2カ月振りにコーヒーを淹れて飲んだ。
味覚は戻っていないが、香りだけでも楽しめたらと思って。
冷凍室に保管したままの豆も気になるし。
いつものように豆を挽いて、ペーパーフィルターで抽出した。久しぶりなので手順を忘れて、結構まごついた。毎日、淹れていたのに。

コーヒーを自分で淹れようと思ったのは40年程前のことだ。ある喫茶店でコーヒーを淹れる様子を見ていたら、コーヒーの粉がそれまで見たこともないくらい大きく膨れるのを見て、驚いた。
その時、自分でやってみたくなったのだ。
早速、コーヒーの粉を買って淹れてみたが、そんな風にならない。
そこから、道具と豆を選び、淹れ方を勉強し始めた。それ以来、家に居れば毎朝コーヒーを淹れ続けてきた。40年前に買った銅製のドリップポットは今も現役だ。カリタの手廻しミルも現役だが、今は電動を使っている。

それにしても40年間毎日やっている割には、コーヒーの淹れ方に蘊蓄(うんちく)などはない。ずっと勘でやってきたからだろう。
コーヒーの本を読むと、豆とお湯の量、そして時間をきっちり計るように、と書いてある。一応、タイマーやデジタルの測りもあるが、あまり活用していない。そういう性格なのだ。
それよりも、毎日、お湯を落としながら、精神集中させることを大切にしている。どんなに慌ただしくても、ここは気持ちを落ち着けて、昔、喫茶店で見た、大きく膨らむ粉のイメージを再現しようと努める。
仕事前の儀式のようなものか。

今はコーヒーブームなのか、書籍や雑誌の特集が多い。素敵な店もたくさんある。ただ、最近のコーヒーは浅煎りが主流のようだが、いろいろ試してみて、私はやはり深煎りが好みだと再認識。

手元にコーヒーの本が2冊ある。「大坊珈琲店のマニュアル」(大坊勝次著)と「珈琲の表現」(蕪木祐介著)だ。いずれも淹れ方の解説本ではない。コーヒーの奥深い魅力を珈琲店主の視点で細かく描いている。本そのものがお二人のお店のような佇まいで品位を感じる。お二人ともコーヒーの魅力は深煎りにあると書かれていて、ちょっと安心した。

2カ月振りのコーヒーは、よく分からなかった。豆も古いし、淹れ方もおぼつかないし、味覚はないから、仕方ないか。でも弱いながらも香りの良さは楽しめた。

以前の日常を取り戻せそうな気配が感じられて、少し自信が湧いてきた。

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