「地球最後の日」が 「ドント・ルック・アップ」になって 帰ってきた
むかしむかし、「地球最後の日」という映画があった
※映画のラストやネタバレに触れてます。
子どもの時にテレビで見て、ずっと心に引っかかっている映画がいくつかある。感動したのではなく、不安や恐怖を掻き立てられた、いわゆるトラウマ映画だ。
その内の1本が「地球最後の日」(1951年:監督ルドルフ・マテ)だ。
半年後に惑星と地球が衝突することを発見した天文学者が、国際会議で発表するが相手にされない。しかたなく、関係する科学者たちで地球脱出ロケットをつくり、人間40人(男女20人ずつ)と人類が生きるのに必要な動物を乗せて新しい星を目指すという物語。
何が怖いかって、ロケット製造には何百人も関わるが、乗れるかどうかはクジ引きで決める。クジ引きは発射寸前に結果が発表される。ギリギリまで協力させておいて、最後にポイ、という主人公たちの合理的過ぎる心情が怖い。
無事にロケットに乗れたのは、全員白人で若い美男美女ばかり。
ポリティカル的にどうよという感想は、もちろん最近見直してみてのもの。
ロケットは無事に新しい惑星に到着。
その惑星はエデンの園のように自然が豊かで美しい。
そこで彼らは人種問題に悩まされることもなく幸せに暮らしましたとさ。
ドイツのかつての独裁者やストレンジラブ博士がよろこびそうな結末だった。ノアの箱舟のSF版としてつくられていることを考えると、心が冷えますね。
傑作だと思うけど、手放しでおすすめできない‥
一方でロケット建造に資金提供した強欲な金持ちは、当然のように乗れると思っていたが、あまりの非人道振りに置いてかれてしまう。金持ちは足が悪くて車いすを使っている。飛び立とうとするロケットに向かって、車いすを捨てて這ってでも乗ろうとする。その目の前でドアがピシャリと閉じられる。50年代アメリカ映画らしい因果応報な場面もかなり衝撃的。
なのに、そのロケット内には安堵の笑いが満ちている。置き去りにした金持ちはともかく、共にロケット建造に尽力した仲間たちへの思いはないのか?
しかしですね、現代的視点で見れば問題の多い映画だが、50年代SF映画としての魅力が満載なのだ。製作ジョージ・パル、監督ルドルフ・マテという布陣は伊達じゃない出来栄え。
これは素直におすすめできる、21世紀の地球最後の日
この映画をテレビで見てから50年以上経って、ほとんど同じ内容の映画が公開された。
「ドント・ルック・アップ」(2021年:監督アダム・マッケイ)。
天文学者が彗星の衝突を予測するが、やっぱり相手にされない。今回の主人公たちは、自分たちだけ助かろうとはしないが、彼らを笑いものにしていた米国政府の要人や新興巨大企業の創業者たちは、国民を欺きながら、とんでもない計画を考えていた。
現代のアメリカの状況をブラックに笑い飛ばす意図は明確で、痛快なおもしろさ。
この数年のアメリカ社会の出来事を巧みに織り交ぜながら、荒唐無稽なSF物語がなぜかリアリティをもって迫ってくる。
豪華出演陣の露悪的なオーバーアクトも見どころで、傑作と言っていい。
この映画の制作者たちが1951年の「地球最後の日」をどのくらい意識していたかは知らないが、最後に現代の権力者たちが直面する結末を見て、子どもの頃のトラウマが癒された感じがした。溜飲が下がるというは、こういうことかな。
行くも地獄、残るも地獄。それが人生なんだなあ。