見出し画像

仏教思想のゼロポイントを読みながら思ったことの4

解脱には思考だけでは難しいと書かれている。アーナンダーは釈迦の遺訓を確認する会議の前日まで悟れず、苦しみ、あーもうダメ、っとバッタンきゅうーになって頭がまだ地に着かず足も浮いた状態で解脱できた。比丘尼シーハーは7年も8年も修行しても煩悩が去らず、もう死ぬしかない、と首を括る縄に頭を通そうとした時、悟ったと。佐々木閑さんのYouTubeのヴァッカリやゴーディカのお話も似ている。
何か大きな衝撃を受けることが解脱の助けになると。

私ごとだが、現役人生の後半最後の方で、大きなショックを受けた。もちろん未だに悟っていないが、そのショックが、今、涅槃を求める時、助けになっている。と、思う。
今から8年前、2016年末に軽い気持ちで受診した会社の検診で膵臓に影が見つかった。本来の主治医からは様子を見たら、と。ところが会社の健保が広尾日赤を紹介してくれて、翌年初め超音波内視鏡。ま、小さなポリープか、と。何日か経って忘れてた頃、携帯が。謂く、院長が診ると。その方は幕内雅敏というゴッドハンド。切るのを躊躇して死んだ人間を何人もみてると、1600人も切って、1人も死んでないと。朝飯前の手術だよ、と。聞けばドクターXのモデルの1人と。4月、聖心女学院の桜が満開のころ12時間の手術。結果は良性腫瘍の段階だったが、膵頭十二指腸切除で胃、小腸、十二指腸、胆管、胆嚢、膵臓の半分以上を切った。近頃森永さんとか膵臓ガンというのは厳しいものだとご存知の方も多いかと。本当に、偶然の縁がわらしべ長者のように私を運び、救われた。その後15キロ痩せて、食事制限と検査の日々。手術後、体調の変化を隠して5年間会社を任せていただいたが、それ以前のブルドーザーのような人格とは変わった。
そして4年後、今から3年前、こころから大切にしていたボーダーコリーのココアが10歳の誕生日を前にして突然世を去った。リンパ腫。直前まで健気に散歩に付き合ってくれた。愛知県で飼い始め、飼い方がわからず七転八倒し、毎朝5時に河原でキャッチボールを続け、東京転勤に連れて行き、不自由な思いをさせ、でも生き甲斐だった。手術で辛いとき支えてくれた。ココアへの突然の癌告知。手を尽くした。でも、愛知県に連れて帰って来れなかった。
ココアの思い出の染みついた名古屋の自宅には私はココア無しには帰れなかった。その家はそのままに、東京と名古屋の中間にマンションを買って。母がグループホームに住んでいる町なのでそばにいれれば、と。自分にもやり甲斐かもと勝手な期待。ところが、母の症状が進み、グループホームから特養に、そして療養病棟に。医師とこれからを相談している日々。半年ほどで昨年初め突然急変し亡くなった。手を握り、目を見つめ、最後に母の両目から一粒づつ小さな涙が。
手術、ココアの死、母の死。50年ぶりのふるさとへの転居は、出家のような日々になった。50年の人間関係を断ち、競争社会の習慣を断ち、起床、朝食づくりに皿洗い、ベッドメーク、墓参、食材の買い物、遺産整理、部屋の清掃、月1回の名古屋の自宅の草刈、剪定。こうした生活の日々が楽をもたらす感じ。時おり昔の仲間達と会うことがあると、私が世間にいた時の何が癖、執着、煩悩だったのか、よくわかる(気づき、sati)。死に瀕するほどの手術、最愛のもの達の死。それをすでに経験すると、今は苦しくない。もっともっとの満たされなさは少ない。

今現在は読書やYouTubeで、悟りや解脱への道を知識として知り、考えることで進んでいるが、先達の事例とあとさき逆だが、5年生存30%、12時間手術はガツン、ときた。主治医にしたがって経過観察にとどめていたなら死んでいたかも、今の命は再びもらった命。そう思うと必要なのは唯是知足なんだなぁ………という感じです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?