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仏教思想のゼロポイントを読みながら思ったこと 3

100ページくらいから

Papanca 戯論、分別の相、イメージ、物語、苦なる世界、これを勝手に作り上げ、それを怖れ、悩み、苦しむ。
本当にそう言ったのですか?いや言ってはいないが、それが本音、本心のはずだ。影に怯える。
一生をかけて得るものを得て、安全なところに移して、怖れていた影の影響から逃れ、しかもこれ以上求めず、徐々に欲や世界を小さくして行けばもう大丈夫、という境地が解脱かなぁ。

我執が被害妄想して苦なる世界を作り上げてる。苦なる世界は私の外には実際にはない。インド人が輪廻転生が苦しいというのも妄想。輪廻転生を真に受けてない現代日本人でも、学校から社会人まで頑張って負けないように、いつも点数や考課や地位や収入や資産や社会に役立つや、という追っかけられた気持ちは誰も指令してないよ。妄想です、ということか。
簡単には死ねば終わりにならないような平和、長寿の時代。ジョン·バカンは立ったまま死にたいと、現役で高い評価の絶頂で戦死したり寿命で60歳ちょっとで死ぬ時代でないので、ほどほどで幻想と気づいてリラックスしてしばらく生きて行ける心境に達すれば、かな。
後生の一大事、は現代日本ではやっぱり「どうせ死ぬ この世は遊び 人は皆」の中田考さんだ。

124ページのように「為されるべきことは為され、もはやこの迷いの生の状態に至ることはない」を曲解してみれば、いい学校でて、いい会社入って、出世して、資産もできて、夫婦ともに今は健康で、子供も孫も世間並みで、親が長命で亡くなって、あんまり付き合いもしないので頼まれ事も少なくて、好きなことやるときも後でオブリゲーションあることは避けて、やるべきと世間的に言われたことはやったので、もうグダグダ面倒が起きるようなことに巻き込まれたりはまったりしないようにすれば楽ですよ、と読む。

これまで上昇志向や負けん気や胡麻すりという癖を身に付けてしまった。もういいのにそれが盲目的で習慣的な行為(=煩悩の流れ)になってた。せき止める気付き(sati)は実践としては、今は自分は何をしてるのか?歩いてる?立ってる?マウントとろうとしてる?八つ当たりでスカッとしようとしてる?と気づいてマインドフルネス、アンガーマネジメント。

煩悩に引きずられて、子供の頃から慣れ親しんで得意な手札になった物語の世界を再び実体視して戻ってしまわないように。得意な手札は捨てましょうとワグナーのランドマークは言っていたなぁ。
130ページまで。

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