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テラス

帰国前の最後の日曜
明と美礼はどちらが声をかけるでもなく
連れ立って出かけていった

午後の広場は
春を先取りしたような陽気に包まれ
冬ごもりをしていた人々が
陽光とビールを求めて集まっていた

冬場はなかなか太陽が姿を現さない
降り続ける雨がハタとやみ
雲の切れ目から一瞬光が差すと
通りでも市電での中でも
人々は一瞬動きを止めて、空を見上げる
そして見知らぬ者同士でも
顔を見合わせながら微笑み合う

冬の間
そんな風にして陽光を待ち望んでいるわけだから
増設されたテラス席は
あっという間に満杯になった

明は、どこか静かな通りに入って
落ち着いた場所を探すのかしら?と思ったが
美礼は広場の中で最も混雑している場所を目指して
進んでいった

ちょうど通りに面した最前列にいた二人組が
席を立って出ていくところだった
美礼は近くにいた給仕にあいさつして座り
ビールを二つ注文した

明は持参した大きなショールに包まっていた
外の風はまだ刺すように冷たかったが
それでも外の光はいいものだった

西日に当てられた人々の幸せそうな横顔が
金色の縁に彩られている
座席は密集し
群れを成した人々の会話がこだまし
喧騒となって辺りに響いた

この日のことを振り返った時
美礼はきちんとこの場所を選んだのだ、と
明は感心させられた

陽光のテラス席は
最もあの国らしいものの一つ
あちらではありふれた日常が
こちらでは手に入らないことを
美礼はきちんと分かっていたのだ

アルコールで温まり
じんわりと血色を帯びた頬に
冷たい風が心地よかった
日の傾きと反比例するように
夕暮れ時の喧騒はヒートアップしていった

明も美礼もサングラスをかけたまま
まぶしそうに眉をひそめ
通りや人々を見やったままだった
話すべきことは沢山あるように思えたが
何一つないようにも思われた

午後の陽光と喧騒

必要なものは全てそろい
二人の間を満たしていた

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