親の期待通りになれなかった過去②
母に対して初めて反抗的なことを言って、その時の母の反応は記憶にもないんだけど、次の日に謝られたことだけは覚えてる。わたしは「うん」しか言わなかった。
具体的に、今まで何がどう嫌だったかは話さなかった。(これから先も絶対言わない)
でもそれ以来、何かを没収されることはなくなったし、勉強ができなくて怒られることもなくなった。
進路は自分で考えてみた。
行ってみたい!とワクワクする高校が、地域にひとつだけあった。
そこは公立の総合学科で、わたしは商業に興味を持った。
小さい頃から、将来の夢はいつもお店屋さんだった。
保育園ではお店屋さんごっこに夢中。
小学生の頃は本気で雑貨屋さんになりたくて、雑貨屋さん研究ノートを作っていた。
何回か、母と一緒に地域のフリーマーケットに出店したのもすごく楽しい思い出。
おこづかい帳をつけることも大好きだったし、お金を数えるのも大好きだった。
商業の内容を見て、学びたいと思えた。
母に、この高校に行きたいと初めて言った時は、そんなとこ行かすの恥ずかしいと言われた。わたしには何が恥ずかしいのか全然わからなかったけど。
先生との三者面談では、この高校だったら推薦できますよ。と言ってもらえて、母も納得してくれた。
推薦入試は、なぜかわたしの中学だけほとんどの人が落ちてしまってびっくりしたけど、わたしは無事合格できた。
就職に力を入れている高校だったので、資格を取ることを目標にする授業が多くてやりがいを感じた。
Excelは日商1級、Wardは2級、
ホームページ作成検定とか、P検とか、電卓検定とか…とりあえず取れるだけいろいろ頑張った。
苦手だったけど、プログラミングとか、Excelはマクロとか、当時の普通科の高校生ではやらないような授業が必須科目でたくさんあった。
いちばん面白かったのが簿記。
高校2年生で日商簿記3級も取った。
何のために取ってるのかはわからなかったけど、合格するのが嬉しくて。
母はパソコンが苦手なので、わたしが学んでいる姿を見て、「いいなあ〜絶対役に立つと思うわ〜!お母さん全然なんのことかわからん…」って、いつのまにか認めてくれていた。
父から言われて嬉しかった言葉は
「お前は、学歴がなくても生きていけそう。そのコミュニケーション能力がいちばんの武器。それが活かせる仕事はいくらでもある。」
いつのまにか、もう親と同じようにならなきゃいけないという重圧からは解放されていた。
両親も、わたしとは何か違う…と気付いてくれたのかな。
わたしの自由な人生は、この辺りからスタートした。
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