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奥の手、切り札、逃げ道

生まれ育った京都にUターンして1年が過ぎた。


自分で言うのもなんだが、量産型の、何の特徴も無い学生だった。元来自信が無く臆病な性格を引きずり、大学を卒業するまで、ただただ環境に流される生き方をしていた。自分で物事を成し遂げたり、決断をしたといえる記憶はほとんど無い。何の変哲もない学生生活を送り、就職活動すら自分の意志を強く持たなかった私は、何となくいくつかの企業を選び、選考を受けたものの、思い通りに進めることが出来なかった。これは当然だと思っている。それでも何とか細々と採用試験を受け続け、たまたま大学の合同企業説明会で出会った、社員300人程度の中小企業に内定を貰い、東京配属になり3年、新潟に2年、再度東京に戻されて5年、満10年を過ごした。この10年間に後悔は無い。細かい不満や愚痴程度の事はあったが、総じて本当に良くしていただいたと思っている。


その間、ずっと「京都に戻りたい」という想いを持ち続けていた。
就職活動の際も京都を離れたくないという思いから、京都の企業を中心に受けていたが、私が就活をした2009年はリーマンショック直後の就職氷河期と言われた時期で、新卒採用の見送り、内定取り消し等が頻発していた。関西圏の企業も例外ではなく、縁が無かったものと諦めてしまった。
何故京都に戻りたいかは正直分からなかった。だが分からないままで良いと思っていた。自分が生まれ育った場所に戻りたいという気持ちは自然なものだ、だから理由は無くて良い、くらいの考えでいた。


そして実際に今京都に住んでいるが、正直言って別にどうでも良いと思い始めている。例えば東京と比較した場合、遊ぶところ・出かけるところは東京の方が圧倒的に多いし、東京でも近隣の都道府県まで足を運べば大抵のことは出来る。雄大な自然を感じることも出来る。京都の魅力として、適度な都会と適度な自然が同居している点が挙げられる。確かに魅力ではあるが、東京でも都会を感じたければ都内へ遊びに行き、田舎を感じたければ栃木や群馬や山梨に行けば良いだけのことだと個人的には思っている。車の運転が好きな私にとってはそれほどビハインドにはならない。旅猿18で山梨へグランピングに行った際、東京から数時間のグランピング場で至れり尽くせりの施設が揃っているのを見て、東野幸治が「なんなんこれ。東京最高やん。絶対東京離れられへんな」と言っていたが、まさにその通りだと思う。


鴨川に魅せられている友人は数多いし、エネルギーを感じることが出来ると語るその姿は素敵だと思っていたが、私は鴨川に行ったところで特に元気にはなれなかった。ひとりで行った機会はこの1年間で数回しか無い。その数回も、空から獲物を見張っているとんびにコロッケを盗られたり、体当たりされたりとろくなもんじゃなかった。学生時代の想い出を共有した友人はほとんど京都に居ないし、残っている友人もみんな家庭を持っている。


要は「京都に居てもそれ程自分は満たされていない」ということである。これは結構ショックなことで、京都に居れば活力が湧き、充実した暮らしを送れると思っていた。10年越しの想いが実現したオチとしては大変残念な状況である。実際問題として、親族が近くに居れば安心するとか、母親が頼りにしてくれているといった要素はある。しかしこれは利点であり、理由にはならない。


自分にとって、「京都に戻る」という奥の手を持っておきたかった。やりたいことがある、と語る人間を演じていたかっただけで、それを京都に当てはめていたのかもしれない、というのがこの1年の結論だ。


そして今、また新たな奥の手を持っておきたいと考えている。京都の山奥や北陸地方、いっそ札幌に移住してみたいという想いもある。次も、その次も、新たな奥の手を持ち続けていくのかもしれない。これは良いことなのだろうか。良し悪しではないかもしれないが、常に退路をイメージし、逃げ続けているだけの生き方の様にも思える。

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