新入社員研修の記憶
もう数か月前になるが、久しぶりに新幹線に乗って東京へ行った。
昨年の京都移住の際には複数回関西と関東を往復したが、コロナの影響もあり専ら車で移動していた。新幹線を使うのは2年ぶりとかだったかもしれない。
一時期は月に1~2回のペースで往復していたし、新潟に居た際は飛行機を使っていたりと、移動に関しては慣れていたつもりだったが、今回は結構疲れてしまった。
先に用事を済ませ、以前お世話になっていた方や旧友と会ってお茶等しつつ、気ままに都内を動き回っていた。明確に行きたいところがあったわけではなく、どちらかというと東京に住んでいた際によく行っていたところを中心に訪れていた。有楽町、神保町、二子玉川、吉祥寺、下北沢など。当時のいつもの休日を追いかけたといった感じである。
ひとつ目的があった。大層なものではなく、むしろものすごくしょうもないことだが、pasmoを払い戻したかった。
京都に戻り、現在は市バスで通勤している。通勤定期を購入する際、社会人になりずっと使い続けていたpasmoに市バス定期券機能を乗せようとしたが、なんと非対応だった。そのため新しくicocaを作り、そちらに乗り換えたため、pasmoは不要になってしまった。払い戻せば、残っているチャージ金額とは別途で500円返ってくる。絶対に忘れないでおこうと固く誓い、財布に1年近く忍ばせていた。icocaを使用する際にpasmoとの2枚重ねエラーで弾かれ、苛立つことがあっても、払い戻せるこの日を待っていた。
こう書くとかなりケチに見えてしまう。でも思わぬところから500円戻ってきたら嬉しくないですか?
二子玉川に行った際、払い戻すことを思い出し、駅の事務室に入った。本人確認を済ませ、用紙にサインをする。処理の際、pasmoを作った駅名が表示されることに驚き、続けて表示された駅名にまた驚いた。
せんげん台。前職で新入社員研修を受けていた時の最寄り駅だった。
もう11年前になる。あの時は本当に気楽だった。同期の仲も悪くは無く、徹底的に合わないやつがひとりだけ居たが、それを除けばまあ普通だった。逆に今後も一生の付き合いになるであろう友人も出来た。
社員寮住まいで、窮屈に思うこともあったし、プライバシーなんてねえよ、みたいなことを言う先輩が暴れまわっているような環境だったが、妙な連帯感みたいなものもあり、ここに居れば大丈夫だという安心感があった。希望があったよなと思う。
今はどうだろうか。
まず、ここに居れば大丈夫だという安心感は無い。それはある意味成長とも思う。ここに居れば安泰なんて企業や環境はこの時代あまり無い気もするし、ここに居れば大丈夫というマインドが100%になっている状況は実は危険なのではないだろうか。
しかし本当に大丈夫かどうかは置いといて、このままで大丈夫かもな、なんとかなるかもな、と思える状況はすごく救われているように思う。
当時と今を比べるとどちらが幸せだったか、と考えると、正直当時の方が幸せだったかもしれない。幸せで、希望を持ち、エネルギーがあった。新しいことの連続に怯え、上司や先輩からこっぴどく叱られながらも、わくわくしていた。ひとつひとつ業務をこなす成長と喜びがあった。
今、その気持ちを思い出すにはどうすれば良いのだろうか。当時の環境を再現するにあたり、仲間、雰囲気、年齢、活力等、思い当たる要素はいくつかあるが、30代の何の特徴も無い独身男性が、今から同じような希望や幸福感を得るのはかなり難しいように思える。
そもそも、何か環境を変えれば良いというわけでもないのかもしれない。少なくとも、10年勤めた企業から転職をして、生まれ育った京都にUターンするというかなり大きな決断をしたにも関わらず、満たされていないことは確かだ。
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