インドの民よ聞いてくれ。わたしは今でも立派なマフィアだ。

『あなたはまだ、マフィアやってますか?』と、インドの友人から電話を受けた。はたまた違う友人からは『みなみさん、わたし、マフィアの映画見ましたね。そしたらみなみさんみたいなラルキー(女の子)出てきましたね。あなた、すごい強いでしたね。今もそうですか?』と言われた。だいたいなんの映画を見たのかはよくわかったが、いつの間にやらわたしのイメージは『マフィア』になっていたらしい。マフィア、と言われて嫌な気はしない。むしろ嬉しいかもしれない。空手を始めたことによって色々な人が、『みなみは一体どこを目指していっているのだろう。』と混乱しているようだ。やるからには徹底的にやる性格もよく知っているので、『黒帯を極めるまでやる。というか一生涯のものだ。』とわたしが言い出してもさほど驚かれなかった。むしろそういうと思ってましたと言わんばかりの反応をされたので、さすがみなさんよくわかってらっしゃると思ったことは言うには及ばない。インドカレーのお店のオーナーだった頃は色々なことをした。女で若いオーナーは十中八九舐められるので基本的に常に強く見えるように自分を奮いたたせていた。インドカレー屋というのは(どの業界も一緒だとは思うが)基本的に情報がどのお店もダダ漏れになっている。インド人同士がどんなに仲が悪そうに見えても基本的には根っこの部分ではつながっている状態なので、実際には日本人が思っている以上にお互いの状況についてよく知っている。つまり、日本の業者が贔屓にしているお店にカシューナッツ(バターチキンに必須でなかなか輸入できずかつ高い。)を多めに流したとなればすぐに耳に入るのである。うちの方が早く予約していたにも関わらずそんなことをされてはたまったもんじゃない。しかもバターチキンは看板メニューだ。多めに作ってもいつも足りなくなるくらいなのに!!!となると、もう、やることはただ1つ。ドスのきいた声で凄んで持って来(てもらう)させるしかない。というわけであの手この手でいろんな問題を解決したのだが結局は本物のマフィアに騙されて900万近くお金を持っていかれちまった。だが転んでもタダじゃ起きない女とはわたしのこと、とにかく悔しくて直接事務所まで乗り込み、一生のうちで一番ブチギレてわめき散らした結果、200万くらいは取り返すことができ、残りをシェフと山分けして借金地獄から抜け出した。思えばちょうど去年の2月ごろの話である。それまでの間にわたしは階段で派手に転び寝たきりになり、その際に見つかった卵巣嚢腫の手術もあり、いわゆる全く動けなくなった時期がある。後になって親に、『そういえばあんた、あの時どうやって諸々のお金払ったの?怖くて聞かなかったけど。』と言われたが自分でもあまりよく覚えていない。嘘です。メルカリでいろんなものを売りさばいてお金にしました。そしてうまいこと、きっかりのお金が回ってきて難なく支払うことができました。不思議です。世の中って不思議です。そんなことが実際におこったりもするんです。という状態が続き、兎にも角にも借金は無事に支払い終わって今に至るわけである。インドの友人たちはあの時ブチギレたわたしをみて、今だに『みなみはマフィア』というのである。30歳になる前に一度社長になってみたい、という夢を持っていた。結果的にそれは達成されてしまったのと、お店を経営することに自分の幸せを見いだすことはできなかったのでそのあとはすぐにやめてしまった。思えば『誰かが期待している自分』になろうとしてきた。もっといえば、『親が期待している自分』になろうとしてきた。みんながぶつかる壁のようなもの、通過儀礼と一緒だ。わたしは弟に比べれば、勉強ができなかった。うちでは勉強ができない人間はクズと一緒だった。運動ができても、芸術的才能があったとしても、勉強ができないという時点で何をやってもドベだった。絵を描きすぎて紙を取り上げられた。色鉛筆を捨てられたりした。勉強ができないと殴られた。寒い冬、ベランダに出された。弁当のジャーで殴られて気を失って病院に運ばれたこともあった。それでもわたしは親を憎んだり嫌ったりしてはいない。こういうとおかしいかもしれないが、親にとってわたしは『殴りたくなる子供』だったのだろう。如何にもこうにも話が通じず、わからないことばかりが起こるので『殴る』とか『放り出す』という方法でしか、教える術がなかったのだろう。これに関しては同情する。わたしが親でも子供に同じようなことをするかもしれない。ただそういう事実があった、というだけでそこはあまり重要ではないと思う自分がいる。DVに関しても同じようなことを思う。わたしは『殴りたくなる女』だったのだろう。あの時もし、殴り返していれば、もしかしたら違う交流があったのかもしれない。今では確かめる術がないが、それでもそんなようなことを思ったりする。だからこそ、最近では特に『コミュニケーションは殴り合いだ』と言っているのかもしれない。話がうっかりそれてしまったが、わたしは今でもマフィアだ。売春街の女王でヒンジュラと渡り合ったり、何歳も年下の若い恋人がいたりするわけではないが、それでも色々な経験と出会った人たちがわたしをマフィアにしてくれた。否、もともと心の奥底にいたわたしのマフィアを呼び起こしてくれたのだ。目覚めさせてくれたのだ。人生は沈黙の中でいかにメッセージを聞くかだ。そしてそれは同時に、目覚めるということでもある。誰かの期待を背負ったり、誰かの期待に応えている場合ではないということを今一度肝に命じておこうではないか。


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