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「いいかげん」なのに夢を叶えた伯父と、まじめないい子だったのに失望を繰り返してきた私 望む「人生ライン」に行くために何が必要だったのか


労働密度の話の続きと「選挙」の話


昨日は、
現代の私たちはテクノロジーの発展で様々な恩恵を受けている一方で、
いわゆる「労働密度」が上がっているというところまで書きました。

アナログだったからこその「手間」や「無駄」が息抜きになっていたのに、
パソコン、インターネットの普及、携帯・スマホなど通信の変革により、
「勤務時間はびっちり仕事」になってしまい
昭和の頃のような「抜け」や「ゆとり」がなくなってしまいました。

また、下のリンクであったように


とくにスキルがなくても、長時間頑張れば、
結構なお金が入って来て、所帯を持って子供を持ち家を建て、
そんなことが当たり前にできていたのが、

そういった仕事を派遣社員が担うようになり、
また最近でこそ人手不足で時給は上がっているようですが、
他国との競争の兼ね合い等もあるのか、
一般的には正社員よりもずっと低い時給が設定されています。

そのうえ、
「平成」になってから増え続ける「過労死」に対応するためか
「働き方改革」が実施され、
それは労働者を過重労働から守るためのものではあるのでしょうが、
逆に「時給が低いのであればその分長時間働いて稼ぐ」という選択が難しくなり、
文中では「レベルキャップ」という言葉が使われていますが、
ある意味『単価が低い分長時間労働をしてでも収入を上げたい人』の首を絞めることにもなっているのかもしれません。

「過労死」のwikiを見てみたのですが、
言葉が生まれたのが昭和末期ということもあるでしょうが、
「日本の事例」の平成になってから、特に2000年以降の事例の数がすごい


日本の「過労死」という言葉が各国にそのまま固有名詞として取り入れられていることは有名ですが、

「海外の事例」を見ていて、

インドネシア[編集]

2019年インドネシア総選挙では開票作業などの重労働によって、400人以上の選挙スタッフが過労死した[168]

wikipedia「過労死」

選挙で400人亡くなるって、
いったい何があったんだよ、インドネシア!


どうやら、インドネシアの有権者数の多さ(1億9300万人)や、
特殊な投票方法(用紙に名前は書かず、投票したい候補者の名前や顔写真にくぎで穴を開ける。それを職員は探し出さないといけない。さらに、報告書も含めすべて手作業)、
また地理的要因(インドネシアの国土は東西約5000㎞に及び、その広い土地を、投票箱を抱えながら歩いたり、バイクにくくりつけたりして票を運ぶ作業が必要)
それに酷暑も相まってのことだそうですが、

2019年でそんなに昔ではないですが、知りませんでした。

・・・まぁ、選挙方法は何とかした方がいい気がしますね。


もうすぐ日本でも東京都知事選がありますね。
いろいろyoutubeやサイトを見てしまうとまた、余計なことをいろいろ考えてしまうので、
もうね、選挙についてあんまり見ない、言わないようにしようと思うのです。
こうやって注意を向けると、「振り子」にエネルギーをあげることになりますからね。

選挙なんて、大義名分で多くの国民市民の関心を動かして、
ゴンゴンとエネルギーを吸い取りまくってるに違いないですって

候補者の問題にしても、掲示板の件でも、政見放送の件でも、
もうあきらかに常軌を逸していますが、
「注目を集める」ことには見事に成功しているようで、
「それが非難であっても軽蔑であっても『エネルギー』を奪うことに成功すればええんや」
そんな潔い心意気を感じます。

揺らしてはいかん、心を揺らしてはいけません。

私の記憶で、近年でものすごく盛り上がって世間の関心を集めていたんではなかろうかと思うのが、2010年の選挙
私でさえ駅前まで演説とか聞きに行ったりしましたもの。
その翌年にあの大災害が起きたのは、
関係があるのかないのかわかりませんが、
非常にイヤな感じがします。

なので、
正しいことがなされるようにと思う気持ちは大事ですが、
決して憤ったり自分の心を波立たせたりせずに、
エネルギーが持っていかれないように、


たとえあきれるようなことややるせないことがあっても、
なるべく淡々と対処するのが自分のためでもありますし、
「振り子」に余計なエネルギーを与えないためにも
「振り子」に「破壊や破滅」につながる力を持たせないためにも大切
かと思います。

頼むわよ、東京都民。

いろいろ言いたいことはあるけれど、
平和なブログ活動のためにも、ここはぐっと我慢の子。

話がそれまくりましたね。
なんだっけ、「労働密度」の話でした。


振り子に気に入られた人、買わせた人と、振り子に囚われている人の「格差」


少し前にこんな記事を書きました。

今の若い子たちはひょっとしたら、
振り子にエネルギーを捧げ「奴隷」のように生きるのではなく、
唯々諾々と「振り子」にエネルギーを奪われるのではなく、
「スルースキル」を生かし、
常識として強いられていた様々なことへの「重要性を排除」して、
うまくかわせる世代なのではないか

そんなことを書いたと思います。


wikiの「過労死」の項を見て2000年から事例が多くなっていますが、

まだ私が正社員として働いていた頃は、
バブルは崩壊したもののまだ余力が残っていて、
業種にもよるでしょうが、
まだのんびり感が残っていた平成前半。



それが1999年の派遣対象業種の拡大、2003年の個人情報保護法などもあって、雇用の形、働き方も変わり、
それにテクノロジーの発展によって、上にあげたように
「労働密度が高い、息がつけない」
そんな状態になっていきました。

それが過労死の事例の数にも表れているでしょうし、
いわゆる氷河期の世代の就業の過酷さ、格差の激しさを見るに、
「法制度」「雇用形態」「テクノロジー」など、
あらゆる方法を用いて「振り子」にぎゅうぎゅうに搾り取られていると思います。

このブログは、とにかくなんにでも隙あらば
ヴァジム・ゼランド氏の「振り子の法則」を絡めることになっているのです(そうです、そういうブログです 悪しからず)


「振り子」のお気に入りになれた一握りの人々、
「振り子」をうまくかわし、手懐け、自らが「振り子」になった人、

そんな人たちは、昨今でも豊かな生活を送れているようですが、


それ以外の給与労働者や個人事業主などは、
上記に加えて物価高もあり、苦しいのではないでしょうか。
(そういえば今回のお札が新しくなるのも、昔のような手渡しでなく、機械で自動がメインになると、設備導入が苦しいですよね)

たとえどこかの「振り子」に属して働いてもなかなか楽にならず、

そして「振り子」に搾り取られる苦しさから逃れようと、
「ニート」、「引きこもり」となる人も多数出て、

その結果が、「結婚しない」「結婚できない」「子供を持たない」「人口が減り続ける」につながっているかと思います。

0006 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 1f05-55sQ) 2022/11/29(火) 11:20:10.58

59 名無しさん@12周年 2012/02/09(木) 18:12:51.85 ID:BOYSqRGu0
今までニートとか、派遣とか馬鹿にして笑い者にして、自己責任だの、甘えだの、
クズだのゴミだのと叩いて、
勝手に飢え死にさせとけとか残酷なことばかり吐き捨ててたけど、
それらの行為の報いは全部自国、ひいては自分の企業、自分の生活に跳ね返ってくるんだよね。
それに国民はおろか、為政者すら気付いてない。

本来なら、「お願いしてでも」20~40代なんて安定雇用で「全員」が働いて「頂いて」、
結婚してもらって子供最低2人以上、出来れば3人、4人と産んでもらわないと困るのに、
その現役世代が、最初の就職ごときですら悲壮感漂わせながら必死に
求職活動しないといけなくて、つまずくような社会にしてしまった。
そして一度つまずいたら二度と戻れない社会を、弱者を馬鹿にしてそのまま放置してきた。
現役世代に金の不安を与えたら、それが非婚化・少子化に直結するのは当たり前のこと。
本当にバカだよ。

社会全体でニートだ派遣だと弱い男性を笑い者にして、クズ扱いして、
「こんな人間誰が採るよw」とかいって余裕ぶっこいてた会社員様が、
超少子高齢化・人口減少による内需の縮小で
自分の所属してる企業が大赤字で潰れる。
そして年金も破たんし国ごと崩壊。
今自分がこの日本と言う豊かな国で、豊かなインフラで、幸せに生活で来てるのは、
「どこかの他人が子供を作ってくれて、その国力によって維持されてる」ものなのに。
昔の為政者はそれが分かってた。
「全員揃って豊かにならないと、国は決して繁栄しない」ことを知ってた。だから底辺を見捨てなかった。

「自分だけ金持ちでいられる」なんてそんな虫のいい話はないんだよね。
金持ちになるには、庶民に自分とこの商品を買ってもらってなんぼなんだから。
その庶民をないがしろにして、子供産めないような状況になっても「自己責任」「努力不足」と吐き捨ててたら、
自分とこの商品買ってくれる人がいなくなるのは当たり前のこと。
それで今、超一流企業様の自動車産業すら危機に貧してるからね。

安泰と思ってた自分の企業が、その報いを一身に受けて潰れる日が来るなんて夢にも思ってないんだろうね。
人を大事にしなかった国は滅びる。弱者を馬鹿にして見捨てた報いは全て自分に返ってくる。
因果応報。

https://itest.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1669688330/


「甘え」「自己責任」という、
一度落ちたものは切り捨てて叩くような言葉をよく聞くようになったのも、
2000年以降ではないでしょうか。


今は、ぎゅうぎゅうに絞られた結果、
「~しなければ」に縛られて、どんどん自分を追い込んで辛くなる人たち
(今回のテーマの「労働密度」の高まりに苦しんでいる人たち)、

そして、そこから逃れようとする人たちに分かれているかもしれません。

逃れようとする人たちも一律ではなく、

「引きこもり」になり社会からは逃れたものの、
「恥」「罪悪感」「無力感」「不全感」を抱えており、
その結果、結局エネルギーは「振り子」に取られ続けている人

「スルースキル」を生かして「振り子」をかわし、自由な生き方を模索する人たち(『奴隷予備軍』のブログに書いた新しいタイプの人たち)
とに分かれているように思います。


私の伯父の話と「魂と理性の一致」

私のこれまでの働き方から、
私が「労働」を通じてどんなふうに「振り子」にエネルギーを取られてきて、
テクノロジーの発展による「管理」や「労働密度」の高まりを感じてどうだったかなど書こうと思ったのですが、
やっぱりやめにして。(やめるんかい!)


私の義理の伯父について書こうと思います。

私の伯父は若い頃、工場とも呼べないような小さな工作所に雇われて働いていましたが、
その後独立して起業、工作機械の会社の社長さんになりました。

もう亡くなってしまったのですが、
今はいとこが後を継いで社長さんになっています。

ほとんど連絡を取っていませんが、
ホームページもあり、海外とも取引をしているようで、
順調なのではないかと思います。

伯父さんは、伯母さんに言わせると「いいかげん」な人で、
私からみても、明るく、こだわりがなく、
何かというと人を笑わせている人でした。

子供の頃ふにゃふにゃと頼りない感じだったいとこに対しても
「まあ、しゃあないな、わしの子やし」と
まったく問題にしないような人でした。

私がまだ小学生のときだったでしょうか、
学歴も、おそらく資金もない伯父さんが会社を興すと聞いて
子供心に驚いたのですが、実際に会社の社長さんになりました。


一方、子供のころ成績は良く、一応学校も出してもらい、
「将来が楽しみだね」と親族から言われていた私は、
「勤め人」としてしか働いたことがなく、
いく先々でしんどい思いをし、働けば働くほど自信を失い、
とにかく社会で自由に活躍している人が信じられないくらい、
自分から「振り子のひも」にしがみついていくようなありさまでした。

そして、「振り子の法則」を読んだ今でさえ、
いちおう「振り子」をかわそうとはし、
以前よりはエネルギーを取られるのを防いではいますが、
大きく状態が変化しているとは言えません。

小さな工作所勤めから社長になった伯父と、私とでは何が違ったのか。

「振り子」の支配下にとどまることなく自ら「振り子」となった伯父と、
ずっと「振り子」に揺さぶられ続けている私とでは何が違うのか。

伯父が夢を果たせたのは、
「振り子の法則」にある、
振り子にエネルギーを与えるような不満や罪悪感などのマイナス感情を持たず、
「重要性」を持たない生き方ができたからともいえると思います。


「振り子の法則」シリーズ第2巻に、
社会や世界で活躍している人も、そうでない人も、
本質的には変わりないのだ、誰だって活躍することができるのだ

ということが書いてある部分がありましたので、
そこを今日は引用したいと思います。

あなたは心の奥底では、願望が叶うことについていつも疑念を抱いている。願望が実現するためなら行動することさえ厭わないとしても、それだけでは不十分である。信じていないということは、自分が所有するに値しないと認めないか、実現することに端に疑いの気持ちを持っているかのどちらかだ。
スターや億万長者になった人たちは、あなたと能力の点で異なっているのではなくて、ただ単に彼らは欲していたことを所有するよう自分に容認したという点で異なるのだ。所有することを自分に容認してあげることが必要だ。これは、あなたが初めて自転車に乗ることができるようになった状況と似ている。疑い、ためらい、そして口げんかは消え去り、ただ説明の不要な明快な知識だけが残った状況だ。言葉を必要としない明快さの感覚、信念の含まれていない知識、ためらいのない自信は、魂と理性が一致した状態だ。このような状態のあなたは、宇宙を律するもの言わぬ力と自分とが一体化したと感じる。この力があなたをつかむと、それは魂と理性の一致した事柄が履行されるセクターへあなたを運んでくれる。

ヴァジム・ゼランド著『願望実現の法則』リアリティ・トランサーフィン 魂の快・不快の選択 第2章スライド 快適域の拡大 P142


 振り子にとって有益なのは、人間が灰色の人格のまま、振り子というモンスターのために働くネジ釘に徹してくれることだ。人間が自己実現に向かうことは、振り子にとっての破滅を意味する。なぜなら、自由な人格は自分自身の発展や向上を目指すので、振り子のためには役に立たないからだ。そのため人間は、子供の頃から一般常識や規則を吹き込まれ、振り子にとって重宝で従順な信奉者に仕立てられていく。
 この世界において正常に生存していく方法を学ぶ必要があるのは疑いのないことだ。一般常識や規則に違反すれば、敗北者か脱落者になるしかないからだ。しかし一方、一般常識や規則を吹き込まれることは、一人一人の唯一無二の個性をひどく抑圧されることにつながる。そしてその結果、人々は、自分たちが本当は何が欲しいかはっきりと言うことができず、自分たちにはどのような能力があるのかも知らない状態に置かれる。
 外的意図をコントロールする能力を人から奪うためには、理性を魂から分離すればよいだけだ。実際、そうしたことが行われてきた。人類の全歴史を通じて、理性を魂から乖離するという大変な作業が行われてきたのだ。理性はいつも自分の記号言語の完成に取り組んできたため、ますます魂の言語から遠ざかっていった。宗教の振り子は科学の振り子と同様に理性を様々な方向へ引っ張っていくが、それも理性を魂の本質からできるかぎり離れさせようとするものだ。最近数百年における工業技術や情報技術の発展は、魂と理性の結びつきを完全に断ち切ってしまった。
 誰もが本を読み、ラジオを聞き、テレビを見、インターネットからの情報を受け取る現代こそ、振り子の影響が特に大きい。人類は膨大な知識を蓄積してきたが、それと同じくらいの誤解も積み重ねてきた。誤解は知識と同じように、揺ぎなく維持されている。人類の主な損失は、魂と理性の関係が断絶したことにある。ビジネス、科学、芸術、スポーツ、その他の分野で本物の成功を収めるのは、選ばれた一握りの人間だけだ。誰もがこうした状態に馴れっこになり、これは異常だという思いが浮かんでこないのだ。
 この本の読者であるみなさんと著者の私にとって、「人類を救済する」などということは大それたことでほとんど意味はないだろう。しかしながら修行者のみなさん、私はほかならぬあなたに提案したいだけなのだ。次のように自問していただきたい。「なぜあの人であって、私ではないのか?選ばれた一握りの中に入るには、私に何が必要なのか?」私は魔法使いグドウィンではないので、あなたに魔法の儀式を行ってあげられないが、ただこの問いへの答えは述べることができる。あなたには、必要とするものすべてがある。あとはそれを活用するだけだ。あなたは何でもできる能力を持っているのに、誰もあなたにそのことを言わなかっただけだ、とーーー
 あなたは偉大な芸術的傑作を想像したり、天才的な発見をしたり、スポーツ、ビジネス、その他どんなプロ活動でも、抜きんでた結果を残す能力を持っている。そのために求められていることは、自分の魂への呼びかけだけだ。魂はあらゆる知識、創作、成果を手に入れる権利を持っている。ただあなたはそのことについて魂にまだ頼んでいないだけのことだ。芸術、科学、ビジネスなどの分野の偉大な天才と呼ばれた人々は、自分の魂に呼びかけたために、偉業を成し遂げることができた。ところで、あなたの魂にどこか劣っている点はあるだろうか?どこも劣ってはいないのだ!
 (中略)
 あなたに必要なのは、あなたの魂はすべての能力を持っているという事実を自明の理として受け入れることだ。そのうえで、その能力を利用することを自分に認めてあげよう。それはとても簡単なことなのだが、ともあれ、あなたは思い切ってあなたの能力を所有しようとしてみよう。所有する決意は、あなた次第だ。あなたは何でもできる。
(中略)
 あなたには最高のものを受け取るだけの価値があり、なんでもできる能力を持つというこの事実こそは、あなたのわからないところに非常に巧妙に隠されている。自分の限りない可能性を信じるなんて無邪気すぎることだとあなたは吹き込まれている。しかし、本当は全く逆なのだ。目を覚まして、幻影を振りはらおう。もしあなたが意識して自分の権利を行使すれば、ゲームはあなたの決まりに従って進むことになる。
 そうすることを誰もあなたに禁じてはいない。しかし、慣れ親しんだ世界観に加え、振り子たちが事ある毎に、それは不可能なことだと言ってあなたを説得しにかかる。そしてあなたの可能性の世界を示す筋の通ったありとあらゆる論拠を突き付ける。そうした論拠ははねつけて、「筋が通らず根も葉もない」論拠の方を積極的に利用してみよう。それは、あなたの魂と理性が一緒なら、なんだってやってのける、というものだ。あなたには、失うものが何もないのだ。ところで、これまでに、筋の通った論拠の枠内であなたはたくさんのことを成し遂げてきただろうか。
 この人生はあなたにとって一度きりである。山と積まれた古めかしい確信は、ほこりを払って、洗いざらい調べ上げる時期に来ているのではないだろうか。お決まりの確信は誤っているかもしれない。あなたはそのことをずっと知らずにいるつもりだろうか。それに気づく前に人生が幕を閉じることだってあり得る。可能性は無限にあるが人生は短い。奇跡に満ちた人生の幸福は一握りの他人に与えられることになり、そこにあなたは含まれない。
 自分の権利を行使するかしないかを決めるのはあなただけだ。もし自分に自分の権利を行使することを思い切って認めてあげたら、そのようになるのだ。魂の無限の可能性を信じ、自分の理性を魂の方に向けることから始める必要がある。そうしようとするのを妨げるのは誤った確信である。トランサーフィン・モデルではそれらの多くは叩き壊される運命にある。
 (中略)
 あなたが身に付けている数多くの仮面や衣装の下に隠れている存在は、本当にすばらしい長所を持っている。要は思い切ってありのままの自分でいるようにすればよいのだ。あなたが身に付けている仮面や衣装が、成功や平穏や幸福をもたらす助けになっただろうか?あなたを変える必要はない。そうすることは、もうひとつの仮面をかぶることになるからだ。破壊的振り子に押し付けられた仮面をかなぐり捨てたら、あなたの魂の中に隠されていた宝物が現れる。本当にあなたにはもっとも素晴らしいものを受け取るだけの価値がある。なぜなら、あなたは不思議さと驚きに満ち溢れた唯一の存在だからだ。思い切ってそうなろうとしてみるだけで良いのだ。

ヴァジム・ゼランド著『願望実現の法則』リアリティ・トランサーフィン 魂の快・不快の選択
第3章 魂と理性 あなたの内なる魔法使いP185-191


 私は子供の頃から大人に阿ったり、良い子に思われるようにふるまっていたきらいがありました。
子供の頃に親から離れた時期があり、見捨てられるような恐怖心があったのかもしれません。
 人によく思われるように、いい人としてふるまっても、それが良い結果につながることはあまりありませんでしたし、本当の意味での自身や自尊心を持つことができませんでした。
 子供の頃から本が好きでしたが、今から思えば、いわゆる「児童文学」には、子供に「これが正しいのだ」「こうすることがいい子なのだ」と植え付けるようなものもありましたね。
 
 結局、この歳まで本当に魂が望むものは何かを聞くこともできないでいます。あまりにも長く無視し続けていたからなのかもしれません。

 一方で伯父は、特に学歴などはなくても、本当に機械が好きだったのでしょう。
「自分で会社を興して、自分の満足のいく工作機械を作って販売する」というのは、まさに伯父にとって「魂と理性が一致」することであり、
それは「外的意図」を動かし、一工員から独立して社長になるのが可能になったのでしょう。
 当時景気が良かったこともあるでしょうが、おそらく10年もかからずに、ある程度の大きさの会社になっていたと思います。
 伯父の「こだわらない性格」「ある意味不真面目な性格」も、
平衡力を生み出す「重要性」を排除し、振り子に掴みかかられない「空」の状態を維持したに違いありません。


外的意図をコントロールする能力を人から奪うためには、理性を魂から分離すればよいだけだ。実際、そうしたことが行われてきた。人類の全歴史を通じて、理性を魂から乖離するという大変な作業が行われてきたのだ。理性はいつも自分の記号言語の完成に取り組んできたため、ますます魂の言語から遠ざかっていった。宗教の振り子は科学の振り子と同様に理性を様々な方向へ引っ張っていくが、それも理性を魂の本質からできるかぎり離れさせようとするものだ。最近数百年における工業技術や情報技術の発展は、魂と理性の結びつきを完全に断ち切ってしまった。

上記引用より再掲

と、上の引用にあります。

近年の著しい情報技術の発展により魂と理性が断ち切られ、
自分の魂が何を望んでいるのかもわからず、
「振り子」には「雇用の変化」「労働密度の高さ」などの社会的要因をはじめ、あらゆる方法でゆさぶられ、
非常に苦しい日々を送っている人が、多くいると思います。

「ネジ釘として働くことに徹する」ように強いられていると感じる人も多いと思います。

 けれども、誰であっても、
自分の能力を認めれば、
魂と理性の一致があれば、
所有することを自分に容認しさえすれば、
「外的要因」により、望みが履行されるセクター(人生ライン)へ運んでくれるというのです。

 私も含めて、長く「振り子」の影響下にいた人にとっては信じられないかもしれませんが、
「振り子」についてなんの知識もない伯父はやってのけましたし、同じように自分の夢を叶えている人は大勢います。

 余談ですが、
よくノーベル賞を取った、とか、社会的に成功した人に、
「子供の頃はやんちゃで、先生によくしかられましたよ~」なんて言っている人が存外に多いのは、
自分の魂の望みを聞き、満足させてあげることが大切だということを、
「振り子」に従順になって良いことは何もないことを、
知っているからかもしれませんね。


 私は思うのですが、

振り子の影響下にいる人は、辛くても、
意識を必要以上に制度への不満に向けたりすると、
振り子にますますいいようにエネルギーを奪われてしまうので、
あまり重要性を持たせず淡々としているほうがいいと思います。
不満をSNSに書き込んだり、愚痴を言いあったりするのは、
とても消耗する行為だと思います。
 
 上で書いた通り、
「選挙」もやはり、今回の「節操の無さ」からみるに、エネルギー収奪の手段と思われますから、
必要以上に憤ったり熱くならず、淡々と投票するなり拒否するなりするほうがいいと思います。

 「こんな不正は正さなければ!」
 「誰かがやらないといけないことなのに!」

 もちろんそうなのですが、
そして以前の私もそんな考え方をする性質だったのですが、

やはり振り子にエネルギーを与えるのはよい方法ではないので。

「魂と理性の一致」を目指して、淡々と過ごし、

私たち一人一人が理想の人生ラインに行くことができれば、
すなわちそこでは、今私たちが不満や問題と感じていることが、
解消されているか、関係なくなっているということなのですから。

 
そんなわけで、
油断ならない世の中だけど、
腹の立つことやままならないことも多いけれど、

それだけ「振り子」がなりふり構わず躍起になっているということは、
本当に近々「振り子」の命運が尽きようとしているのかもしれないので、

ここは、

「必死だな」

みたいに、生あたたかく横目で見ることで、
期待した餌がもらえない振り子がガッカリするようなシチュエーションを
皆で作っていくのが、一番の変化の早道のように思うのです。

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