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2025年7月5日のこと(後編)

高エネルギーの帯と災害の可能性

 
 2025年7月5日についてはたくさんの方が予言されていて、まとめられている動画や記事もたくさんあると思うので、すべては書きませんが。

 あまり他の方から紹介はされていないと思うのですが、レイキの協会の代表の女性が、ある政府要人の人から聞いた話を動画で紹介してくださっています。
2025年かその近くの時期に、高い波動の帯の中に地球が包まれる、それ自体が危険というのではないのだが、ひょっとしたらそれによってポールシフトや海面上昇が起こる可能性があり、実は「特別な人」用に台湾沖の海底に半年~1年滞在できる施設が作られているらしいのです。

 その他にも不思議な話を語られています。

 高い波動の帯って、2012年のフォトンベルトの話を思い出しますね。あのときは3日間ぐらい真っ暗になって極寒になるとか言われてましたっけ。

 そしてユダヤの大金持ちのシェルターが「台湾沖」なのにはちゃんと理由があるらしく動画の中で説明してくださっていますが、たつき諒先生の話ではあのあたりは「海底がモッコリ」となる場所なので「逆にまずいのでは」とも思われますけどね。

 
 そして教えてくれた政府要人は、
「シェルターに入れない人は、長野や山梨等標高の高いところ、できれば日本海寄り、活火山や蛇行した大きな川などの近くではないところに土地を購入した方がいい」と勧めてくださったそうです。
 
 この動画の方自身も先立つものがなく高地の土地の購入の予定はないようで、この方は何度か同じ内容で動画を発信してくださっていて、準備はしておいてそのときだけお友達のところへ身を寄せるのもよいとかおっしゃっていたかと思います。

 この方とはお会いしたこともなくレイキもしたことがなくて、本当の話なのかどうか判断はつきませんが、
「そうは言っても動けないよ」と言う人の不安が低減できるように、動画の後半では、現実的な費用のかからない準備の方法(食料等の備蓄のことなど)、そして心の在り方を語っておられてます。

 そのあたりはとても参考になり、またその心の在り方は私がこれから紹介する、ヴァジム・ゼランド氏の「振り子の法則」に書かれてあった内容とも共通するところがあります。

 それでは、ヴァジム・ゼランド氏が「誘導転移」について書かれている部分について引用します。
 少し長くなりますが、なぜ同時に多くの人が災害や天災に遭うということが起こるのかについても書かれてあります。
 興味のない人は飛ばして下へ行っていただきますと、ゼランド氏の本の内容とリンクする興味深い動画を引用の下に貼っていますので、そちらをご覧ください。

振り子の漏斗
 人間の刺激は、ネガティブな刺激に対してより強く反応するようにできている。ネガティブな刺激は、望ましくない情報、敵対行動、危険、または単なるネガティブなエネルギーである。もちろんポジティブな作用も強い感情を引き起こす。しかし、怒りや恐れは、強さという点では、喜びや楽しみを凌ぐ。こんなふうに釣り合いの取れていない理由は、怒りや恐れが生き抜くための決定的要因となっていた遠い昔に遡ったところから来ている。喜びから何の得があっただろう。喜んだからといって、身を守ったり、危険から逃れたり、糧を得たりする助けにはならなかった。どの時代を取り上げても、困苦欠乏ばかりがずっと続く人生は、喜びや楽しみよりも怒りや恐れをより多くもたらしてきた。こんなところから、人々は憂鬱や落胆状態へは簡単に陥るという傾向を持つようになったのだろう。その一方で、喜びはすぐに過ぎ去ってしまう。正常な人間が過度の喜びに苦しんだという話をどこかで聞いたことがあるだろうか。ところが、ストレスや憂鬱は常に人々を苦しめてきた。
 人間の近くのこのような特性を積極的に利用しているのが振り子、とりわけマスメディアである。情報番組で良いニュースを耳にすることは滅多にない。なにがしかのネガティブな事実が取り上げられ、それが急速に展開し、新たな詳細が表面化し、こうしたすべてが噛んで含めるように、あらゆる手立てを尽くしてドラマ仕立てで報じられるというのが、通常行われているやり方だ。
 同様の原則に従って、ほかのネガティブなニュース、つまり、惨事、天変地異、テロ活動、軍事紛争なども報じられる。ある法則性に注意を喚起したい。ものごとはスパイラル状に展開するということだ。まず発端があり、次に急展開が起こり、どんどん緊張が高まり、その後にクライマックスとなり、感情が猛烈に煮えたぎり、遂に終局を迎え、すべてのエネルギーは空中に飛散し、しばらくの間、静寂が続く。岸辺で砕ける波を思い起こすことだろう。
(中略)
 前述したスパイラル状の急展開という仕掛けを詳しく見てみよう。最初に、人は、ある事実に遭遇する。それはその人を不安にさせるかもしれないそ、ひょっとしたら不安にさせないかもしれない。このニュースはネガティブな出来事に関するもので、どこかほかの国のこととしよう。これは破壊的振り子からの最初のゆさぶりである。もしこのニュースが、視聴者の誰かを動揺させたならば、その人は働きかけに対して反応し始める。自分の姿勢を表明し、気にかけるようになる。つまり、最初のゆさぶりと同じ周波数によるエネルギーを放射することで応答するのだ。その人は、ほかの数千人と同じく、自分の関心を表明して参加するという形で、振り子に反応する。放射したエネルギーは振り子と共鳴し、振り子のエネルギーは増大する。マスメディアは引き続き自分のキャンペーンを行う。人は関心をもって出来事が展開する様子を追いかけ、振り子はまたエネルギーを摂取する。このようにして振り子は自分の網に信奉者たちをおびき寄せ、彼らからエネルギーを吸い上げる。関心を示した人々は、自分の中にエネルギーを取り入れ、当面は傍観者としてゲームに没頭する。
 一瞥した限りでは、何ら特別なことは起こらず、よくある出来事のように思える。人が破壊的振り子にエネルギーの一部を与えることについては、どう考えたらよいだろう?これはその人の健康にはほとんど影響を与えない。しかしながら、本当は、その人はネガティブな出来事の周波数でエネルギーを放射しながら、似たような出来事がますますその人に近いところで発生するような人生ラインへと移動している。人は発端に関与することで、気が付くとスパイラルの影響域にいる。スパイラルは猛スピードで回転し始め、あたかも漏斗のように、その人を自分の中に引きずり込む。人と振り子の相互作用はどんどん緊密になり、その人は前記のような出来事を、自分の人生にとって避けて通れないこととして受け入れるようになる。その人の注意力は選択的に働き、様々な国々における新たな事実がいたるところでその人の耳に入ってくる。こうしたニュースを知人や友人たちと話題にし、彼らから関心や同情という形での反響を受け取る。振り子のエネルギーは増大し、その人は自分の放射周波数によって出来事が本当に発生するラインへとますます接近し、すでに傍観者ではなく直接的な参加者になりつつある。
 このように漏斗へと引き寄せられる現象を、信奉者が破壊的振り子の犠牲になる人生ラインへと向かう誘導転移と定めることにしたい。破壊的振り子からのゆさぶりに対するその人の反応とそれに続く振動エネルギーの相互補給は、振り子の振動に近い周波数の人生ラインへ転移することを誘導する。その結果、ネガティブな事象はその人の世界の層に取り込まれてしまう。

惨事
多くの人々が、いずれにせよ理論的には惨事に遭遇する可能性はありうると考えている。しかし、全員が自分の世界の層にこうした可能性を取り込むとは限らない。もしテレビのシリーズドラマを見ない人々がニュースにも興味を持たないのならば、どこかで誰かの身に起きている出来事がそうした人々を煩わすことはない。彼らは自分たちの層に住んでいて、ほかの振り子の信奉者となっている。どこかで飛行機が大破しても、彼らが動揺することはない。彼らはそうした出来事に関するニュースを耳にしても、平然と夕食を味わう。自分の心配事で手一杯なのだ。
 誘導転移をより多く蒙りやすいのは、どこか別の場所にいるほかの人々の身の上に起こっている惨事について関心を示し、不安を感じ、心配する人々である。もしある人の人生が心配事や気苦労でそれほどいっぱいでなければ、注意をほかの人々の層で起きている出来事に向け、心配や気苦労の不足分を補おうとする。こうした人は、扇情的で興味本位の記事を売り物にしている新聞を定期購読するか、テレビのメロドラマを見るか、または、惨事や天変地異に関する新たな報道を待っている。低俗な新聞・雑誌やメロドラマは、矮小で悪気の無い振り子の典型である。そうした振り子に献身することは、情報、感情、心労の不足分を補うことに過ぎない。だが、惨事や天変地異といった破壊的振り子に関心を示すことは、自分の中に現実の脅威を持ち込むことである。破壊的振り子は強力で攻撃的である。
 メロドラマの場合と同様に、似たような出来事に注意を向ける人の思考放射の周波数は、乗っ取られてしまう。ネガティブな情報に関心を寄せる人は、いつもそうしたものを過剰に受け取ることになる。最初は傍観者という当たり障りのない立場で、その人は観客席にでも座って、サッカーの試合を観戦しているような気分だろう。だが、次第に試合に引き込まれていき、熱心なファンになっていく。その後フィールドに降り立ち、まだボールはパスされないまま、駆け出す。少しずつ知らず知らずのうちに、その人はますますのめり込んでいき、ついにボールを受け取る。そうして傍観者がプレイヤー、すなわち惨事の犠牲者へと変わっていく。
 必ずそうなってしまう。なぜなら、惨事はその人の人生の一部になっており、その人自身が自分の層に惨事を取り入れ、いつの間にか犠牲者の運命を受け入れ、不運なバリアントを現実化してしまったからだ。もちろんその人は、犠牲者の役割を引き受けたくはなかっただろう。しかし、それは仕方のないことだ。もし人が振り子のゲームを受け入れたならば、役割を割り振るのは振り子の方なのだから。その他大勢の犠牲者にとってこの災難は破壊的な悪状況の重なり合った結果であるのに対し、その人にとっては、これは法則に則った論理的帰結ということになる。その主人公にとって、しかるべき時刻にしかるべき場所にいあわせる確率は、すでに平均を上回っているのだ。
 もしあなたが破壊的振り子からのゆさぶりを無視したならば、惨事に遭遇することは決してないだろう。その確率はゼロに近いともいえる。では、災害や天変地異の時に、なぜ数千人もの人々が命を落とすのか?犠牲者たちは皆で一斉に災害のことを考えていたとでもいうのか?こうした反論もあるだろう。だがあなたはこの世界にひとりでいるのではない。破壊的振り子の下で積極的に活動し、こうした振り子のスペクトルでエネルギーを放射している多くの人々に囲まれている。誰もがそのような放射から理想的に遮断されることはできない。放射フィールドはあなたをつかみ取り、あなた自身もそのことを認識しないまま、同じ周波数で放射し始める。こうした行動の根幹部分は、太古の昔にまで遡る。当時は群棲本能が危険を回避するのに役立っていた。まさにそのため、誘導転移のエネルギー場は、雪崩のように急激に高まり、漏斗のように引きずり込もうとするのだ。
 漏斗の中心からいかに遠くに居られるかが肝心だ。これは、惨事や災害に関する情報を取り入れず、それらに関心を持たず、思い悩まず、話題にせず、総じて聞き流しておくことを意味する。ここで注意することは、情報から遠ざかりはしないものの、それを自分の中には取り込まないという点だ。これまでの章からわかる通り、振り子との遭遇を避けようとするのは、振り子との遭遇を求めるのと同じことである。あなたが何かに抵抗し、それを望まず、または憎悪をあらわにしたりすると、そうすることによって、逃れたいことからの周波数で活発にエネルギーを放射してしまうことになる。自分の中に取り込まないということは、ネガティブな情報を無視する、反応しない、ということであり、自分の注意を悪気の無いテレビ番組や本へと切り替えることなのだ。
 もし反応しないでいることがうまくいかないのならば、守護天使に期待するしかなくなってしまう。例えば、もしあなたが飛行機に乗ることを恐れるならば、飛ばないほうがよい。もし恐怖を感じるならば、あなたの放射スペクトルには、飛行機事故が起こる人生ラインと共鳴する周波数が含まれているということである。必ずしもそれはあなたの人生ラインが事故と遭遇することを意味するわけではないが、そうは言っても、その確率はある。もし飛行機に搭乗する危険性に関する思いが、ただ単に浮かんでこないのであれば、恐れることは何もない。反対に、あなたが飛び立つ前にただならぬ不安を覚えるならば、その便はやり過ごすのが妥当だろう。もしも飛行機を利用しないことが不可能であれば、明け方の星々のさざめきを学ぶ必要がある。それはいったいなんであって、どうすればできるのか、本書であなたはさらに理解を深めることになるだろう。

ヴァジム・ゼランド著振り子の法則 リアリティ・トランサーフィン 第5章誘導転移 P247-254


南から来て霊的強者を訪ねる三人のお坊さんの話

  これをご覧になって、どのように心構えをするか、どのように行動するかは個々人の解釈になると思います。
 上のレイキの方の動画が参考になるかもしれませんし、もし転居を考えていたり、そもそも自由業でリモートワークが可能な人なら動いちゃったほうが気が楽でよい、という方もいるかもしれません。
 
 私はどうするかを話す前に、以前紹介した動画で関連で出てきた動画が興味深かったので貼ります。

https://youtu.be/IBhPOjeDQzg?si=R0hmngtWDYcF5U3A


 大企業などすでに来年に向けて準備しているという話も紹介されていますが、
 後半紹介されている南から来た三人のお坊さんが力の強い人たちを訪ねて回っている話は興味深いですね。力の強い人を訪ねて、「もう2025年7月に関して発信するのは止めて祈ってほしい」と言って回っておられるそうです。
 そして動画の締めくくりが「気にしないですごしましょう」となっていました。

 「振り子の法則」からの引用の、「誘導転移」「ネガティブな情報を自分の中に取り入れない」というのに通じる内容だったと思います。
 
 力の強い方は(そんな方がたまたま私のブログを見る機会はあまりないかもしれませんが)どうか祈っていただき、そして皆さんできるだけ気にしすぎたり気持ちを持っていかれたりしないようにしたほうがよいようですね。

お風呂で大惨事と相いれない現実創造

 私はどうするか。
 昨日のブログでも書いた通り先立つものもないので何もしない、できないと思います。
 宝くじとか当たったらどうかな。
 でもお金をかけて安全と思われる土地に不動産を買ってもりもり備蓄して備えたところで、本当にそのような事態が起きたら、無法状態になって、力の強いものが奪っていくという状況になると思います。
 ある程度信頼できる人たちと多すぎず少なすぎずの人数で協力できるコミュニティとか築ければ別でしょうけれどもね。
 それでも命と生活を守れるかどうかはわからない。

 
 私は水風呂の中で、今のちょっと情けない状態は脇に置いといて、
今日もとても元気でおいしいものが食べられることに感謝しながら、これから自分がすばらしく豊かな生活をする、そしてすばらしい人たちと出会って自分の能力を生かせる場で楽しく過ごすことを意図しています。
  私がこの人生ラインにたどり着くことができれば、この私が幸せに過ごす現実と太平洋側あぼーんの未来は相いれないので、
 大惨事は起こらないか、もしくは私は大惨事の時にまったく被害に遭わない場所にいることになると思います。

 昔ネットで、「大きな地震が起きた場所に、いつも『あともう少し滞在していたら巻き込まれていた、でも自分はそこから移動していて無事だった』というタイミングでいる。自分が移動した後に、今までいた場所に地震が起きる」という男性がいて、
本当かどうかはわかりませんが、「いやああ、絶対うちの町には来ないで!」と話題になっていたことがありました。
 これが本当なら、この人の人生ラインは「災害に遭う」という未来から遠く離れていて、ネガティブな要素をいっさい取り入れていないのでしょう。
 


 以前の記事、「巫女さんに罵られながら読み進むヴァジム・ゼランド氏最新刊の『お風呂を利用した願望実現方法』にチャレンジ中」https://note.com/monica9993/n/n0ad2131e350dでも紹介しましたが、もう一度引用します。
 

その他の効果的なやり方は、お風呂やその他の水のある場所にいるときに、三つ編みを使うことです。たとえばお風呂に入っている時間を有効に使うことができます。エネルギーの流れを使わずに、三つ編みを起動させて、浴槽の壁にはもたれかからずに、自分の現実や自分自身、つまり新しいマネキンを描きます。力を入れる必要はありません。2,3分集中するだけで十分です。そのあと三つ編みのスイッチを切り、さらに10分ほどお風呂でリラックスしてください。

この方法のポイントは何でしょうか?三つ編みの力に加えて、水も効果的に作用します。水は情報コンテンツとして、思考フォームを(もちろん思考マーカーも)簡単に蓄えますが、水はあなたの意図を宇宙に送り出す働きはありません。まず水はあなたが与えた情報を吸収して、次にあなたのエネルギー体にそのエネルギーを染み込ませるのです。水はこの点で優れた機能があります。水に浸かっていると、自分の意図が体に染み込むように蓄えられ、その後に歩き回ると、まるで「生きているラジオ局」のように、大気中にメッセージを放出することができるのです。

バスタブがない場合には、「コントラスト・シャワー」という方法もあります。まず熱い(かといって熱すぎない)お湯で2,3分体を温めてから、冷たい水を1分以内でかけ続けます。これを3,4回繰り返します。温度差が大きいほどいいのですが、決して気分や体調を損なわない範囲で行ってください。

 コントラスト・シャワーの場合、バスタブに浸かっているときほど集中できないので、三つ編みの作業は後でしてください、ただコントラスト・シャワーを浴びていると、エネルギーの流れが劇的に改善されます。なので、シャワーの水を止めたら気持ちを落ち着けて、集中してから、三つ編みエネルギー・メソッドを実践してください。これも非常に効果的なテクニックです。

ヴァジム・ゼランド著 タフティ ザ・プリースティスLesson37三つ編みとエネルギーの流れ P266-268


「水に浸かって意図することで「生きているラジオ局」のように、大気中にメッセージを放出することができるのです。」
とあります。
 別に水風呂でなくて、温かいお風呂でかまわないので、
お風呂に入っている間、あなたが感謝してこれからも満たされて幸せで充実した日々を過ごすことを意図したら、それは大気中に発散されて、それに近い人生ラインへと近づいていくことができる、そしてその人数が多ければ多いほど、大気中に発散された意図は広がり、大災害とは無縁で皆が各々幸せを追求できるような未来へと続いていく、はず。
 なので間違ってもお風呂に入りながらよくないことを考えるのはやめたほうがいいですね。
 お風呂タイムに「来年7月どうしよう」とか、もってのほかですね。
 
 温かいお風呂に上を仰いで顔だけ出して頭まで浸かると、本当にほぐれて気持ちがいいので、そこで自分がひたすら満たされている現実を思い浮かべるのがよいと思います。


  また今日も長くなってしまって、これでは「noteにエネルギーを奪われている」ことになりはしないか・・・

 ともかく、
 各々が一番安心できて心が揺れない程度の準備、恐怖からではない「ま、やっとこか」と思える準備をして、あとはひたすら楽しいお風呂タイムで、よい現実を創造していくのがよいのだと思います。




 

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