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人生、万事塞翁がひのえうま 


何が幸いするかわからない


 今休職中の身なのでありますが、前の会社を辞める前、在職中に次の仕事を決めたいと思っていました。
 派遣会社さんを通して2社申し込んだのですが、
1社は、正直、もう『求人をチェックするたびに毎回求人情報が載っている』ところで、
「きっと行ってもたいへんなんだろうな」と思っていたので、そこは別によかったのですが、
 もう1社は仕事内容的にも私に合っていると思われましたし、また自分でもなじみのある会社だったので、できれば働きたいと思っていました。
 
 そしてその行きたいと思っていたところで話が進み、顔合わせさせていただけることになったのですが
(実質『面接』なのですが、派遣では、派遣元と被雇用者は事前に『面接』はしてはいけないことになっているらしく、『顔合わせ』とか『職場見学』とかと名前を変えてますけど、まあ、面接です)
 
 ところがその顔合わせはトラブル続きで、
派遣会社の担当さんが待ち合わせ場所を間違えて案内してくるわ、
当日待ち合わせに遅れてくるわ、私の経歴シートは間違っているわで、
もう『面接』前から「これはもうダメかもわからんね」と嫌な予感がしたのですが、
結果やっぱりダメで。
 
 そこの会社には親しみがありましたし、
「自分だったらこんな感じで仕事ができるだろう」と描けるぐらいだったので、正直残念ではあったのですが、
それはもうそれこそ「ご縁がなかった」ということでしょうがありません。
 
 そして、こうして求人を見ては、ブログを書き、本を読み、朗読し、英語を勉強し、歌を歌い、ネットサーフィンをし、と
通常運転の日々を送っておりましたら、
なんと、私が応募した会社が今たいへんなことになっているとネットで見ました。
 あらぁ。
 こんなこともあるんだわ、と思う一方で、
もし採用されていたら、もう、とんでもなく大変だったと想像され、
「何が幸いするかわからないわー」と思った次第でした。

 採用されていたらされていたで、こうしてたいへんになったらなったで、「祭りきたー」って感じで(不謹慎)モリモリ働いていたと思うのですが、
まあ「行かなくて良かった」ということでしょう。

人間万事塞翁が馬といいます。何が幸いするかわからない。


人間万事塞翁が丙午


 
 ところで、「人間万事塞翁が丙午」という本がありましたよね。
青島幸男さんが直木賞を受賞された本です。
 今wikiを見ますと、なんと「オレは直木賞を取る」と公言したうえで執筆しデビュー作にして実際に賞を取ってしまわれたのですね、すごいですね。
才能豊かな方だったようです。

 
 wikiの「生い立ち」で、『お兄さんの許婚さんのことが好きすぎて青島さんが病んでしまって、見かねたお兄さんから許婚さんをゆずってもらった』との記載で仰天。
譲るか~?
 まあでも許婚ってことは、お兄さんにも許婚さんにもお互い恋心とか特になかったのかもしれませんものね。
 奥様も、病むぐらい思いを寄せられた末にご一緒になられたのなら生涯お幸せだったに違いありません。

 私にとって青島幸男さんといえば、意地悪ばあさんと東京都知事の印象。
あらためてwikiを見ると、政治家としてのキャリアの間、様々なことがあったようですが、
私が何より印象に残っているのは、都知事当選のとき、せっかく当選したのにまったく青島幸男さんがうれしそうな顔をされてなかったことです。
報道陣にマイクを向けられても、本当に憔悴しきったような顔だった記憶があります。
 そしてその都知事選は1995年4月9日ということで、1995年3月20日にあった地下鉄サリン事件の直後ではありませんか。
いざ当選したらその混乱の中都政を担う重圧がヒシヒシと・・・という感じだったのでしょうか。
 
 あの年は1月17日に阪神淡路大震災もあり、まさに1995年は日本にとっての「節目の年」って感じがします。

 昭和天皇のご崩御、そして美空ひばりさんや手塚治虫さんなどの各界を代表するような方々のご逝去が相次いだ1989年
多くの国民がショックを受けたあの頃から、「24時間働いて」「イケイケどんどん」だった日本が変わり始めたように思います。

 週刊誌に「バブル」とか「今の経済の絶好調はもうすぐ弾ける」と匂わせるような記事が載るようになり、
実際に株価も下がり始め、なんとなく暗い重いムードにつつまれるようになってきて、
それでもまだバブルの残り香は十分あって、「ジュリアナ東京」でお姉さんたちが扇子とお尻を振り回したりしていたのに、
1995年の大震災とサリン事件で、一気に不穏な感じが加速しました。

 その後山一證券や北海道拓殖銀行が廃業など、
ええっと思うようなことが次々に起きて、
そして日本はその後も低迷が続いていると。

 銀行もくっついたり名前が変わったりでずいぶん減ってしまって(私が新卒のお給料振込で口座を作った都市銀行は、もう名前が跡形もない)、
メーカーも、まさかと思うようなところが大リストラを行ったり業務を縮小したり、消えていったりしました。

「失われた30年」と言われますが、
日本の企業が軒並み世界ランキングを席捲したり、
きっと大金を積んでオファーしたのでしょう、「こんな大物が!」と思うようなミュージシャン等が日本に来てCMを取ったりしていたのが、
今や欧米のみならず東南アジアの国々からも「日本は何でも安い」と観光客が大勢訪れるようになりました。
 そして以前なら、私たちが海外に行って憤慨していたであろう「海外旅行客価格」を設定するようなお店まで出てきてしまったようです。

 


 「円安は必ずしも悪くない」という人もいるみたいで、私は経済なんぞわからないので何とも言えませんが、
でももし今、JALで往復し、徹子さんのようにハワイを堪能しようと思ったら一体日本円でいくらかかるんだろうと考えると、
そしてやはり国力って通貨の強さにある程度反映されるのじゃないの?海外に行けない、外国に食料を買い負けるというのは行き過ぎではないの?
とも思ってしまいます。


 

そんな1995年の都知事選から約30年を経て


 青島幸男さんが当選した1995年の都知事選から約30年が経って、またこの7月都知事選があるようですね。
 なんかいろいろ複数の候補者に詐称があるらしいとか言われていますが、このブログでは穏便を旨としているので(本当)、それについては何もいいません。

 でも、政治を志す人はたくさんいて、やる気も経歴も十分な人はきっとたくさんいらっしゃるでしょうに、
そりゃ、『生まれた時から立候補するまで生涯に一片の曇りも陰りもありません!』っていう人はいなくても、
『ごんごん叩きまくったらパフっと埃が出ました、でもまあよくあることですよ ごめんなさい』ぐらいで済むような、
少なくとも、もうあからさまに各方面から「怪しい」って叩かれるのが分かっている人じゃなくてもいいのではないかしら、
人材がいないのかしらと、とても不思議に思います。

 出る人も、本当に「強心臓」なんだろうな。
もし詐称している自覚があったら、バレたらどうしようって挙動がおかしくなりそうなんだけれども、きっと違うんだな。

「振り子の法則」でも書いてありました。

君主や権力者の罪悪感は可能な限り小さいか、またはほとんどないだろう。罪悪感は、冷笑家やその他良心を持たない人々にとって、まったく無縁の感情である。人の頭や亡骸を踏みつけていくのが彼らのやり方である。しばしば権力の座にあくどい者が座ることも驚くに値しない。ここでも断っておくが、これは権力とは悪いものであり、権力の周辺にいる人も悪い、ということを意味するのではない。それどころか、権力の振り子のお気に入りたちばかりではなく、たぶんあなたの幸せも、振り子のお気に入りとなることにあるのだろう。自分の良心をどうやって秤に掛けるかは、各人が自分のために自分自身で決めるのであって、そのことについて他人がとやかく言う権利は誰にもない。ともあれ、いずれにせよ罪悪感とは縁を切る必要がある。

ヴァジム・ゼランド著「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン 第4章バランスP201

 
 別に私はだれか特定の人を人の頭を踏みつけていく人だとか言ってません。言ってないよー

 そんなわけで、
もし私たちが「詐称じゃないか!説明しろ!」とか怒ったり書き立てたり騒いだりしても、その行為すらゴンゴンと自分のエネルギーを候補者に与えていることになるので
もし候補者として不適格とご自分が思われるのであれば、
もう粛々と「違う人に投票する」ということでさっくり済ますのが一番エネルギーロスが少なくてよいのかも。
 そう思うと、今いろいろ選挙運動でフライングどうとか揉めてるのも、
「さらに上の振り子が都民その他報道を見た市民からのエネルギー収奪のためにワザとやらせてる?」とさえ思えてきます。

 不正をしっかりと見張ることは大切なことですが、
「許さない!」とその問題に入り込んでしまったり、決して、自分を削ってまで相手にエネルギーを与えたり、巻き込まれたりしないように、
「ほーーん」と生あたたかい目で、引いてみるのが大切かもしれません。

 
 この間たまたまみたyoutubeの動画で、
「7月はいろいろ大変なことが起こるようだから、平和な6月を楽しんで!」みたいなことを配信者の方がおっしゃっていて、


 火星と天王星がコンジャンクションということですが、

 火星は悪い意味では「事故」や「戦争」
 そして天王星は「革命」や「電気・通信」などもつかさどるようで、


新紙幣発行が7月3日、都知事選が7月7日、
そして最近相次ぐシステムの不具合等のニュース。

 以前、来年「2025年7月」についてのときも書きましたが、
心配したり不安に思ってはならないけれども、
でも何が起こるかは目をそらさず注視する、
そしてそれに飲み込まれず傍観者でいられるように常に「内なる観察者」を働かせておく、
それがヴァジム・ゼランド氏の説くトランサーフィン的には、振り子の挑発に巻き込まれたり、不運や不幸に陥らないようにするためのコツだそうです。

 具体的に7月をどう過ごせばよいのかは難しいですけどね。
情報は取り入れつつ、でも「最悪の状況」を何度もグルグル頭で考えたりはせずに、ポジティブでよいことが起こるイメージを、特にお風呂タイムは効果的なようですから、思い浮かべるようにして、
「どこかで何かが起きようが、なんかしらんけど、とりあえず自分は大丈夫」というスタンスでいるのがよいのではないでしょうか。


 

少子化時代の「ひのえうま」


最近少子化が加速しているということで下のようなグラフをよく見ます。

https://www.enomotokosuke.com/post/%E5%B0%91%E5%AD%90%E9%AB%98%E9%BD%A2%E5%8C%96%E3%81%AE%E6%B3%A2


 たしか、竹内久美子さんの本だったと思います。
2000年ぐらいかな?「利己的遺伝子」という考え方、「しょせんあたしらは『遺伝子の乗り物』やで」という説が話題になり、
 私が読んだ氏の本には「少子化は心配ない、産まない人がいて一時的に子供が減っても、そんな中で生まれた子供は『産みたい』と思う親から遺伝子を受け継いだ子供たちだから、自分も『産む』を選択するし、そういう人たちばかりの世代では多産になりまた人口は増える」と書いてあったと思う。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%B7%B1%E7%9A%84%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90

 それが本当かどうかはわからない。
遺伝子だけに着目したらそうなのかもしれないけれど、
こんなに日本の社会背景や、若者の恋愛や生き方、働き方に関する価値観が変わってしまうとはその当時はまだ想像できていなかったのかもしれません。


 今でも婚活市場では、出産が可能、というか、初産で出産しても多くが母子ともに安全と思われる30代前半までの女性を希望する男性が多いということから、確かに「子供を持ちたい、育てたい」という希望や意識のある人は今でも多いのだと思います。
 けれど適齢期の方の総数が小さくなるとどうしてもお互いなかなか出会えなくなりますし、そうすると子供は一人では産めませんからね、
 また今の時代、幸いにも子供を持ちたいと思う二人が出会えても「本当なら産みたいんだけど」「教育費のこととか考えると、十分なことができないかも」とためらう人だっているかもしれません。

 結婚とか少子化について書くと、またながーーくなるので今度書こうと思いますが、
やっぱり社会の変化、特に情報化時代になったのが大きいでしょうね。
 
 私の親世代ではまだ「お見合い」があって、
「家どうし」「条件」「釣り合い」とかで決めたり、仲人さんに取り持ってもらったりとかがあって、
私の世代でも、たとえば結婚相談所のチラシが必ず「書店の紙袋」に入っていたり、私の友達は「保険のおばちゃん」に「あんたたちお似合いと思うよ」と理系のまじめないい人を紹介してもらって結婚してました。
 つまり昔は条件や年長者の紹介で決める結婚だったんですね。

 けれど私の頃はもうほとんどは自由恋愛というか、結婚したいために相手を探すのではなく、先に好きな相手ができて「気も合うし、長くやっていけそうだから結婚しよう」という順序だったと思うのです。

 それが、また昨今、「条件」というのがクローズアップされてきているような気がします。

 以前と比べて、勤務先と年齢で検索するとだいたい年収いくらとかわかってしまう情報化時代。
「なんとなくこの先、世界も私の待遇もどんどん良くなっていくんだろうな~」とふわーっと希望が持てた昔と違い、
年金分給料から引かれているのに
「老後は2000万円、いや4000万円必要。用意しろよ、自分で。自己責任やで」とか言われる時代。

先に目的が「結婚」に来てしまう人ほど、
「ここまでがんばったんだから、みんなに『さすがね』って言ってもらえるようなすごい人を見つけないと」
「絶対老後も安泰な見込みのある人を見つけないと」
みたいになってしまったりして、
そうするとこれはもう他人軸になっていて、
「魂」ではなく「理性」に舵を取らせている状態で、
しかも相談所等に「課金」までして重要性を高めてしまったりしていると、
それこそ「振り子の法則」で言う「誘導転移」に巻き込まれ、
「自身は十分に素敵な人なのに、頑張ってるのに、なぜかいい人と出会えない」ということになる可能性が高いかもしれません。

 なので、「結婚したいな」というのはもちろん頭に置いておいて、
そしてそこにあまり「重要性」を置くと「平衡力」の揺り戻しになって婚期が遅れてしまうかもしれないので、
 以前引用したケルマさんのお知り合いのケースのように
「自分のしたいことをする」「魂が喜ぶ好きなことをする」をゆったり繰り返して自分を満たしていたほうが、
「マンションのすぐ隣の部屋の人が実はすっごく気の合ういい人だった」みたいな、まさに青い鳥は近くにいた、みたいなこともあるかもしれません。

 「バリアント空間の小流」は、もっともエネルギー消費の少ない道を選ぶので、「青い鳥はすぐ近くに」「なんか知らんがとんとん拍子に」というのは、本当にアリアリらしいです。

 ・・・なんでこんな話になったんだ?

 そうそう、「人間万事塞翁が丙午(ひのえうま)」で、ひのえうまについて書こうと思ったんだ。



 上の人口グラフでベコっとへこんでいるところ、1966年が丙午(ひのえうま)で、その年に生まれた女性は気性が激しいとされていると。

https://www.hokenminaoshi.jp/areainfo/2015/11/areainfo_14243/

 そんなわけで、およそ60年前のひのえうまの年には、男女の産み分けなんてできませんから「もし万が一女の子だったら」と思って出産を控える人が多かったのか、人口がべこっと減っているのですね。
 そして、それから60年近くたっても、確実な男女の産み分けは私の知る限り実現されていないようで、次のひのえうまは2026年の2年後ですが、 
2026年のひのえうまも同様に人口がべこっと減るのかということなのですが。
 どうでしょう。
 私の知る限り、確かにひのえうまの女性はしっかりしている人が多いように思います。全員ではないと思うけれど、さっぱりサバサバ。はっきりしていて勇ましい人も。
 けれど、60年前に良しとされた「控えめで男性に逆らわない女性」というのと女性像も変わってきていますからね。
「女性には家を守ってほしい」という男性も今もいるかもしれませんが、
「そうも言ってられないし、バリバリ一緒に働いてほしい」
「働いて輝いていて欲しい」と望む男性も多いのではないでしょうか。
 「ひのえうま的な気の強い女性に引っ張って行ってもらいたい」とさえ思う男性がいても昨今不思議ではありません。

 それに、万が一、他のカップルが産み控えることがあったら、
「その年は進学にしても就職にしても競争率が低くてお得」ということになりますからね。
 逆にそれを見越して集中する可能性すらある。

 ひのえうまが、迷信にしても、たとえば「この年に生まれた子は身体が弱い」とかだったら考えちゃうけれど、
「気が強くてしっかりしている」なんて、今の女性に求められているファクターですからね。
昔ほど気にする人も少なくなって、
たぶんそんなにはベコッとは減らないんじゃないの?に一票。


さて、今日住民票の納付書が届きましたよ。
おおおーん
無職でも容赦ないですね。







 

 
 
 

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