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作品に対しての思い

夏至ですね。
(アップするのかいつになるか分からないけど書き始めたのが夏至の朝。いや早朝。)

いつも通りまとまらないかもしれないけども、最近感じた事をツラツラ書こうと思う。

ワタクシゴトではございますが、3月に2人目を出産しました。

女の子です


今回は無痛分娩でめちゃくちゃ楽だった。(この事に関してもまた書きたいと思っています。)ただやはり妊娠出産って命がけ。1人目の時は悪阻がひどく最終的には水も飲めなくなった。体重が激減して点滴にしばらく通う事になってかなりしんどかった…。今回も前ほどはひどくなかったが悪阻があった。食べづわりで空腹になると気持ち悪くなる。私の場合そして季節柄、梨がすごく良くて、夫がいっぱい切って冷蔵庫に入れてくれて「やばい!」と思ったらそれを食べていた。悪阻の事もあるが、年齢もアラフォーなので大事のため仕事をセーブせざるおえなくなった。そういう意味でも色々綱渡り。少しお腹が痛いとすごく不安になるし、神経質になってしまっていた。でも無事に産まれてきてくれた我が子に本当に感謝してるし、二人とも私の大事な宝物。

最近考えていたんだけど「制作って妊娠出産」に似てるな、と。産むまでに「あれでもないこれでもない」と考えて完成した時は「描けたーー!!」と作品が「産まれる」。でも赤ちゃんと作品とで決定的に違うことは、「育児」があるかないか。出産は「産まれたー!良かったー!」ではなくてその日から育児が始まる。新生児のときは3時間おきの授乳・オムツ交換・沐浴…などなど。大きくなってくると保育園の送り迎え・食事・教育・寝かしつけ…我が家の場合、上の子がトイレトレーニング(通称トイトレ)を始めて色々試行錯誤中である。アギャー!

…と思っていたけど…最近感じたのは「本当にそう?出来た作品もその後育てないといけないんじゃない?」

出来た作品をSNS等にアップして宣伝する。その後誰かのもとに渡るかもしれない。いや、渡ってほしい。だけどなぜかその行為を尻込みしている自分がいるのに気がついた。

今制作中のもの。産後初めての作品だからいつもより丁寧を意識してる。

最近「毒親」という言葉をよく耳にする。色んな毒親がいるけども、作品に対して「子離れしていない親」になってない?と。

うちの教育方針として「自己決定権を重視する」というのを大事にしている。上の子が「これがいい」というものは尊重しようと思っている。それは大人になった時に自分で選択するチカラを持ってほしいから。私たちが決めてばかりいたら、私たちから離れた時に苦労するかもしれない。
そして自己決定権を身につけるためには「自己愛」も大事。そのために親が愛情をかけて「自分はすばらしい人間なんだ!」と思ってほしい。私たち夫婦も「あの子は大丈夫」と手放せるようになりたいと考えている。なのでなるべく「大好きだよ」「ありがとう!」と声かけするようにしてる。(だけども怒っちゃったりして、かわいい寝顔を見て「言い過ぎちゃったね…ごめんね…」と思うことがしょっちゅう…(T_T))

それを作品にしてるか?
作品に「産まれてきてくれてありがとう」って思ってるか?
自己満で終わってないか??

自己満で描く事は悪いことじゃない。だけども「はぁ〜描けた描けたぁ〜ポーイ」となってないか?

育児は「小さい頃に愛情をかければかける程、手が離れるのが早い」という言葉を聞いた事があるが、それは親の気持ちの話なんじゃないかな?
「もっとこうしてあげれば良かった」とずっと思ってると親が子から離れられない。それって本当に子どものためかね?それは親のエゴでしょ?
そりゃ小さい時はちゃんと見てなきゃダメだけど大きくなったら離れていかないとねぇと思っていた。   

わたしはそれを作品に出来てなかった。

今日から完成した作品を見て「完成してくれてありがとう。私の大事な大事な分身だよ」と声かけしていきたいと思う。
はたから見たら気持ち悪いけど笑

作品に出来なきゃ、子どもたちにもできないし。

素晴らしいアーティストでいたいし、
かっこいいママでいたいから。

今日はこんな感じで。

そしてまだ色々決定してないけども
7月末と8月末にワークショップをやる予定なのでご興味のある方はゼヒ❤詳細は決まり次第SNS等にアップします🖊

いつもみんなありがとう!
ではまた👋

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