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菜食主義とそうでない人たちの議論がなぜ不毛なのか、5分で読めるようまとめてみた


あけましておめでとうございます。
今回は最近話題の菜食主義について考えてみました。

前回までの反省を生かしてもっと読みやすい長さにしようということで、ざくざく本題に入ります。

数冊のヴィーガンに関する書籍と20くらいのブログやnote記事を参照して僕が思ったのは、見解があまりにもバラバラすぎて判断がつきづらいということです。たとえば、主な論点のひとつである「菜食生活が健康に及ぼす影響の話」は体験談で賛否が半々といったところで、再食生活を経て目覚ましく体調がよくなったという報告から、シンプルに精神が病みそうになって辞めましたというのもあります。

その原因として、人間が植物だけの食事を摂った時にどんな影響があるのかを大規模な調査で行っている記録がないというのがあると思います。だからこそ、再食生活を実践した方々の主観でしか語られない場合が多いのです。統計がとれていないのであれば、その食生活が本当に万人にとって良いものなのかはわからないですよね。

一方、両者の多くに共通しているのは「主義の違う人の価値観を否定はしない」というスタンスです。どちらの主義の方にもほんの一部、他の人もこの食習慣にすべきだ!すべきではない!という主張を聞いてもいないのにする方々もいますがね。

以下にそれぞれの主張をまとめてみました。

菜食主義の主張
・心を持っている動物たちを劣悪な環境で太らせて食べるのは倫理的に正しいの?
(他方の反論)植物だって生きているし、感情論じゃないの?

・健康面では僕(私)は全く問題ないよ?むしろ肉は体に悪い。
(他方の反論)肉食べないと体調崩す人もいる。イヌイット等先住民族は肉だけ食べても健康的。

・肉食自体は否定しない


菜食主義以外の主張
・動物だけがかわいそうというのは感情論。人間が従属栄養生物である以上、命をいただくことでしか命をつなげることができないし、それは植物も動物も同じである。自分の心が痛まなければそれでいいというのは、倫理的に正しいということではない。

・菜食主義は『人間にとっての』持続可能な社会のためであって、動物のためというのは的を外してないか?

・取り組み自体は否定しない


お気づきでしょうか。
菜食主義の方とそうでない方の主張が論点としているポイントが違うということに。

菜食主義の論点:
・畜産物の供給体制は人道的ではない 
・環境にもいいよ 
・健康にいい

肉食OK 派の論点:
・人道的かどうかの話をするなら、植物にだって命があって栽培環境は劣悪であるともいえる
・菜食主義をこちらにも強制してこなければOK
・健康的かどうかは結局は体質にもよると思うよ?

僕自身の意見としては、菜食主義の広がり自体には賛成です。所詮人間たちの都合であろうがなかろうが、ヴィーガンが増えればそれだけ(人間にとっての)持続可能な社会に近づくわけですから。

ただ、健康や環境のことを考えるのではなく「動物カワイソー」という理由で菜食主義をしている方々には、あまり強く勧めてこられたくはないですかね。否定はしませんが、ちょっと主張の底が浅い……。人間が生きていくということはそれだけ命が奪われることであり、それは肉食動物も同じことなんですけれど……。人間だけが賢からぶってそれを言うのはなんか傲慢だという気がしないでもありません。それを主張の核にするのであれば、人に薦めず自己満足で終わらせるべきですよね。

その上で本音をぶちまければ、『肉は食いたい』欲求は消えません。消えないのです。

その結果、僕はジビエという活路を見出しました。悪い言い方をすれば、逃げ道ともいえるかもしれません。人が生きるのに家畜が1匹必要で、鹿やイノシシなどの害獣が生き延びるために1日10株の農作物が失われるのであれば、まあ、害獣を処分してそのお肉を食卓に並べるのが一番合理的かな、という判断ですね。

自己防衛としてのヴィーガンの方々とほとんど変わりません。

僕の話は置いておくとして、まとめると、以下が菜食主義をめぐる論争の効率の悪さの原因です。

・それぞれで論点・妥協点が違う
・双方が他方を何となく「わかってないなあ」と思っている

まあどちらの立場の方々にも多種多様な意見があると思いますので、これが原因のすべてだなんて思いあがったことは言えませんが。

菜食主義だけに言えることではありませんが、宗教・環境・嗜好・健康問題等、常に多角的に物事を見ることが重要だなと思いました。

なんとなく意見を深める参考になったという方は、いいねとかコメントくれると嬉しいです。泣いて喜びます。

それでは、また次の記事でお会いしましょう。

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