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元気になれるかな?2

さて、前回は3軒目の病院で悪性リンパ腫か白血病と診断されて4軒目の病院を紹介されました。はたしてここで治療してもらえるのでしょうか。

4軒目の病院に来た私は、数10種類以上もあるという血液がんの種類を特定するため、検査を続けていました。
手術は必要なく、抗がん剤の投与だけで腫瘍は消えるということですこし安心しました。血液内科で、検査をしながら前の病院で受けた検査手術の結果を待っていました。結果は1週間か2週間、長ければ1か月かかることもあると聞いていたけど、一か月過ぎても結果が出ない。。経過の音沙汰もない。。担当の血液内科の先生が日に日に焦りの色を濃くしていく様子が明らかでした。「難しい検査ですごく時間がかかります。」から後、
「ずっとこのまま分からない場合もあります」って目を伏せたまま段々弱気に。
く、雲行き怪しいな(・・;)
このまま分からないと、治療の手立てもなく死ぬのを待つだけなのかなぁ。ってもう考える力もなくなったような頭で、ぼんやりと思ったのでした。

そういう間にも私の足はみるみる腫れ続け、痛みは耐えきれず、靴も入らなくなりついに歩けないほどになりました。その頃も、痛いという言葉を無意識に抑えていた私は、全身のMRIを撮る時に検査技師さんに気づかれ、
「そんなにも我慢しないで。。夜眠れていないでしょう」って言われてそれまでの緊張感が一気に緩んだのを感じました。

組織検査から一ヶ月半ほどたった頃、しびれを切らした担当医は分かった事だけでもと問い合わせてくれてなんと!血液がんではないと判明しました!!
え、えええーーー。。。。前の病院の先生、自信満々で断言しとったんやけど💦
で、血液内科からまた整形外科へ戻され、診察時間も終わってるのに急に病名も分からないややこしい私を担当にされた今の主治医(笑)なんか可哀そう(笑)

診察時間もお昼時間もとっくに過ぎて初めて見る私のややこしいデータ。
もういろんな先生の焦る顔を見るのに慣れた私。お医者さんってそんなに顔色変えないよね普通。。


〇血液がんじゃない何か。
〇がん細胞の分裂スピードが超速い
〇もう大きくなりすぎて手術できない

切断をしない治療方針で有名な病院だったけど
「このまま効く薬が見つからなければ切断を考えてください」と。
まさかの事で頭は真っ白に。

あ、前のブログに書きましたね。
先生「足の骨2本(脛骨と腓骨)、血管、神経、筋肉。全部がっちりとがんが巻き込んでいて、手術はできません」って言われました。
先生「とりあえず有効そうな抗がん剤から試します!」

その日は帰って二日後には入院、私は入院までの二日間で切断の決心を固めました。あんまり迷う時間がなかったんです。膝が残せれば車いすではなく、義足で歩けるという先生の言葉で希望が持てました。膝を残すためには急がなければなりません。


生きてさえいればなんとかなる。足なんかなくたって私が私であることに変わりはない。私の周りの人は私に足がなくたって今までと同じように私を受け入れてくれる(たぶん)。

このあと、検査結果が出るのを待たず先生が試した抗がん剤は見事に当たり、腫瘍は小さくなっていったのでした。キターーー!最後に名医キターーー!!!!(笑)

あと、鎮痛剤も効かず一睡もできなくなっていた足の痛みもいくつか別の鎮痛剤を試し、最終的に医療用麻薬で効きました。これで効かなくてもまだ何種類、何段階も強いのがありますから我慢しなくていいですよって言われて、安心感で余計に気持ちが楽になりました。
薬剤師さん、主治医、担当医、化学療法医、理学療法士がチームになって全力であたる治療は万全で頼りがいがありました。
夜、ぐっすり眠れることがこんなに幸せかと思いました。
まだ全然治ってない状態ですでに満足!(笑)
だって、治療が始まっただけで安心したから(*´▽`*)

一回目の抗がん剤治療が終わったところでついに判明した私の病気は、
ユーイング肉腫。骨のがんで、小児がん。希少がんでした。しかも50代で発症するなど極めて珍しい。症状はあの骨肉腫とほぼ同じで、もっと希少で悪性度はさらに高い。極めて悪性度の高いがん。
これは、前の先生の診断が間違っても無理はないね。。レアすぎる。
それまで、よくこんなにずっと悪い方へ転ぶよな。。って落ち込んでいたけど、ここから不幸中の幸いって言葉が、ずっと続くようになります。


●一軒目のお医者さんで見つけてもらった。
●骨のがんなのに、なぜか神経に出来て骨は無事だった。
●転移しやすいのに、1年も放置して転移がなかった。
●抗がん剤の副作用がまるで軽かった。

しかしハゲた!!!!!(笑)

これは仕方ないねww

このあと14回もの抗がん剤投与が待ち受けているのでした。




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